「鎌倉殿の13人」第36回から (C)NHK

「鎌倉殿の13人」第36回から (C)NHK

「鎌倉殿の13人」第36回「武士の鑑」
権力を持て余す北条時政の行く末は?
【大河ドラマコラム】

 「政を正しく導くことのできぬ者が、上に立つ。あってはならないことです」
 これは、9月18日に放送されたNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第36回「武士の鑑」で、主人公・北条義時(小栗旬)が語った言葉だ。この回は、歴史上有名な「畠山重忠の乱」が描かれ、鎌倉幕府を支えてきた御家人・畠山重忠(中川大志)が激戦の末、悲運の最期を迎えた。
 その裏で義時は、畠山に“謀反人”の濡れ衣を着せて御家人たちに討伐を命じた父・時政(坂東彌十郎)の排除をひそかに画策する。冒頭に引用した言葉は、義時がその覚悟を姉・政子(小池栄子)に打ち明けた時のものだ。
 義時の言葉通り、独断で畠山討伐を命じただけでなく、付け届けを持参した御家人たちに訴訟の便宜を図り、比企一族滅亡後は武蔵国をわが物にしようとするなど、執権となった時政はやりたい放題。とても為政者にふさわしいとは思えない。その点は義時に同意する。
 だが、時政が悪意や野心に満ちているのかというと、そうではないだろう。本作の時政は一貫して“単純で思慮の浅いところはあるが、家族を愛する気のいいおやじ”として描かれており、執権になってそれが裏目に出ただけに思える。
 第34回、御家人たちから付け届けを受け取ったことを義時にとがめられた際、「分かってねえな。俺を頼ってくるその気持ちに、わしは応えてやりてえんだ」と反論した場面などは、いかにも時政らしい。
 激動の時代、息子の義時が真っすぐな若者から清濁併せ飲む政治家へと変貌してきたのに対し、北条家を取り巻く環境が激変しながらも、時政は伊豆の小さな豪族だった頃から基本的に変わっていない。
 それが突然、執権という権力を手に入れたことで、暴走につながった。むしろ、執権の座に就いたことは、時政にとっては不幸だったのかもしれない。
 この回、戦で討ち取られた重忠の首おけを持参した義時から「執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ!」と迫られた際は、逃げるようにその場を去り、時政の覚悟のなさが露呈した。
 とはいえ、その欠点こそが時政の人間的魅力でもあり、見ているこちらとしては、突き放すことができないのも事実。時にはその暴走ぶりを、わが身に置き換えて考えることもある。果たして自分が時政のように、持て余すほどの力を手にしたとき、正しく振る舞うことができるだろうか。
 この「鎌倉殿の13人」の時政は、源頼朝(大泉洋)に出会いさえしなければ、そして権力さえ手にしなければ、伊豆で子や孫に囲まれて穏やかに幸せな人生を送っていたのかもしれない。
 それこそ、脚本の三谷幸喜が当初、例え話として挙げていた「サザエさん」の波平のように。ことあるごとに時政をたきつける妻・りく(宮沢りえ)との関係にしても、状況が違えば“愛妻家”と受け止められていたはずだ。
 第25回、酒をくみ交わしながら「不満があれば申せ」と促す頼朝に、時政が「そんなもんあるわけねえでしょ。こんないい思いさせてもらっているんだ。腹の立つことなんて、なにひとつございません」と答える場面があった。
 これこそが、時政本来の姿ではないだろうか。そう考えると、時政も時代に運命を翻弄された人間の1人と言える。
 従来の“こわもての野心家”という時政のイメージを一新し、視聴者が親近感を覚える人間味あふれる人物として描いた三谷脚本と坂東彌十郎の好演は、キャラの立った登場人物ぞろいの本作の中でも白眉と言っていい。
 その時政にも、ついに運命の時が迫る。義時の決断が、どのように時政を追い込むのか。だが、第35回で畠山討伐を訴えるりくに「わしら、無理のし過ぎじゃねえかな?」と語っていたように、持て余すほどの権力を手にしてしまった時政にとっては、それが必ずしも不幸ではないのかもしれない。
 いよいよ近づくそのときがどう描かれ、時政がどんな姿を見せるのか。三谷脚本の妙と俳優陣の好演に期待しつつ、静かに成り行きを見守りたいと思う。
(井上健一)

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