劇団民藝『忘れてもろうてよかとです
』~演出家・丹野郁弓と俳優・日色と
もゑに聞く

劇団民藝が『忘れてもろうてよかとです──佐世保・Aサインバーの夜』(作:河本瑞貴、演出:丹野郁弓)を、2022年9月23日(金・祝)〜10月2日(日)、東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで上演する。
2002年、市制100周年を迎えた佐世保の小さなバーで、女主人のエリーは「影」を相手に、その街で過ごした人生を振り返る。記憶のなかから、敗戦直後の混乱期、朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、2002年までの時間がよみがえる。だが、語られたことのすべてが事実ではなかった。演出家の丹野郁弓と、エリーを演じる日色ともゑに話を聞いた。

■敗戦直後の長崎・佐世保のAサインバー
──佐世保のAサインバー(註)が隆盛だった時代は、女性たちがたくましく、まさに「女性の時代」という感じがしました。敗戦で萎れてしまった男たちの代わりに、それならと、女の人が体を張って生活を支えようとした。とりわけ、劇の前半に登場する朝鮮戦争が始まった当時の米兵相手のホステス、上海帰りの龍子(たつこ)と緋牡丹ネネには、気風のいいところがあります。
日色 まさにあの喧嘩の場面はそうよね。おたがいに相手を認めたうえで意気投合してるのに、どちらが「姉(あね)さん」になるかを体を張って競いあう。
丹野 あのふたりが意気投合しているのは、なかなか面白いですよね。「こんなに駄目になった国を、誰が支えていると思うんだ」といった感じ。「嫌々やってるんじゃない、好きでやってるんだ」というプライド。本来ならば、社会的には蔑まれる職業なんでしょうけど、彼女たちは胸を張ってやっている。
──生活費を稼いで、なんとか生きていけるように支えてくれたのが、女性たちだった。
丹野 この人たち、何重にも国家に捨てられているんですよ。たとえば、Aサインバー「ELLIE’ S」の店主エリーは、奄美群島の出身で、戦前も戦後も差別を受けていた。
 戦後、エリーは佐世保にやってきたら、頼りの兄は造船所の事故で死んでいた。そのように、頼りにしていたものに裏切られ、アメリカに振りまわされ、日本に捨てられ、社会からはパンパンと呼ばれて米兵に媚(こび)を売る女として蔑まされた。登場するどの女性も、何重にも裏切られている。
 国家とか、社会とか、そういうものから捨てられた人たちが、それでも胸を張って生きている。つらいとか、哀しいとか、苦しいとか、だれも言ってないんですよ。女性とはそういうものかもしれないですけど、そのたくましさというか、生活者としての原型を、わたしはこの女性たちに見ます。
──日色さんはいかがですか。
日色 そのとおりで、茨木のり子さんの詩のなかに「強くなったは女と靴下 女と靴下ァ」という詩のフレーズがあって、大好きなんですよね。終戦と同時に選挙権をやっともらって、駄目になった男たちを尻目に、すっくと立っているところは、みんなそうだったんだと思いますね。
 銃後のなんとかで、戦争へ行った男たちの留守を守って、ある程度、女はそこで自分で強くならなければならなかった。そして、戦争が終わり、やっと重圧から解放されることができた。ウチの母も「戦争終わったとき、どう思った?」と訊いたら、「ほっとした」と言いましたから、そうだったんだと思います。もう戦争じゃない、戦わないでいいと。
民藝公演『忘れてもろうてよかとです──佐世保・Aサインバーの夜』(河本瑞貴作、丹野郁弓演出)のチラシ。

■昭和27年(1952年)は「独立した」年
日色 戦争が終わったとたん、アメリカの文化がどんどん入ってきて、ジャズの音楽とともに自由になった。
丹野 解放されたんでしょうね。
日色 そのなかで、ここに登場する生活者もいたんですけどね。
丹野 『グレイクリスマス』の感想文で、面白いのがあったんですよ。「ああ、あのとき戦争に負けてよかった」と。そうでなかったら、デモクラシーはないし、帝国主義がいまも続いていた。
日色 本当にそう思います。で、日本は負けて、佐世保は基地としてアメリカに接収された。台本のなかに「昭和27年に日本が独立」とあるけど、これは前年に吉田茂が調印したサンフランシスコ平和条約がこの年から発効したということでしょう。
──この「日本が独立」という言いかたが意外だったんです。
日色 たぶん、佐世保にいた人たちは「独立した」と思ったんじゃないでしょうか。東京だと、いつのまにか、いろんなところに基地ができちゃってたという感じだったけど。
丹野 だから、佐世保は日本のなかのアメリカだと、自分たちで思っている。そこからの「独立」。面白いのはね、ダンスホールのボーイ長から社長に出世した福ちゃんが、ベトナム戦争が始まったとき、「戦争だ、戦争! みんなガンバロー!」と言って、またひと儲けできると興奮する(笑)。
日色 あれ、本心ですよね。いまだって、本当は戦争が起こったら、儲かるところいっぱいあるわけで……あの福ちゃんはそういう典型として、面白いですよね。
──そういう意味では、女性が支えた歴史の裏面と同時に、佐世保という街から見た世界の動向が描かれている。
丹野 作家が佐世保で生まれ育ったこともあるんでしょうが、うまいところに注目したなと思いましたよ。しかも、佐世保弁だし。
エリー(島之瀬満江)を演じる日色ともゑ。

■受け継がれていく佐世保の記憶
──『忘れてもろうてよかとです』は、2002年の市制100周年を迎えた佐世保が舞台で、登場人物のひとりである相生橋(あいおいばし)さくらは、「独立」した年の昭和27年生まれ。さらに、お孫さんの世代も登場します。
丹野 作家の河本さんも昭和27年生まれなんです。
──すると「独立」後を体現する人物でもありますし、2022年の今年は、さくらも河本さんも、ちょうど70歳ですね。
丹野 さくらと河本さんは同い年ですから、当然、さくらが見聞きしたことは、河本さんが直接的に見聞きしたことですよね。たぶん、佐世保の人たちは、米兵相手の職業の女性たちのことを、若い世代には大っぴらに説明しないと思うんです。河本さんに聞いた話では、子供のときは「ここから先は絶対行っちゃ駄目」と言われていたし、行くのもはばかられるような雰囲気があった。
 だけど、さらに後の孫の世代になると、そうではないわけですよね。孫世代は女たちの裏歴史には疎(うと)くて、どういうことがあったのか、なんとなくわかってはいても、実際にそれを見聞きするのは初めてだから、一幕終わりにある龍子の暴露は、彼らにとってショッキングだったと思うんですよ。
 若い世代の知らなかったことは……ただし、若い世代といっても、すでに20年前なんですが……いまでも初耳だと思うんです。そうなると、いろんなことがわからなくても、若い観客のみなさんには「こんなこと、あったんだ」と歴史を追体験するいい機会になるんじゃないか。
──そういった時間をずっと体験してきて、いまは語り部のように「影」を相手に語るのが日色さんが演じるエリーですが、舞台で語ってみて、どんな感じですか。
日色 まだ、どうなるかわからないんですけど、わたしと小杉勇二さんのふたりが、戦前に生まれていて、彼は銀座で、わたしは日本橋だったから、なんとなくその時代、中心部の世界が少しわかるんですよね。
 去年も『どん底──1947・東京』でパンパンの役を演りましたが、わたしが子供のときに見て知っているのは、パンパンよりもオンリーと呼ばれた米軍将校たちの現地妻たちでした。表通りである銀座通りを、将校たちと腕を組んで歩いていた。その将校たちがいなくなったのは朝鮮戦争で、東京からいっせいにいなくなりました。
民藝公演『忘れてもろうてよかとです』の演出を手がける丹野郁弓。

■自分の過去と向き合い、それを伝えること
──日色さんが演じるエリーは、冒頭から、近くにいる「影」に向かって、まるで自分と佐世保の歴史を語って聞かせるように話しつづけます。
日色 そういう意味では、語り部というよりも、その都度その都度、彼女なりに一生懸命、必死に当時のことを思い出して話そうとする。だから、最後に「影」によって過去が暴露されますよね。
──自分がやったことを、自分以外の人がしたことだと強く思い込もうとしていた……。
日色 だから、そういう心の傷や闇を抱えていても、プライドから「絶対していない」と娘には言い張っている。あれは事実の裏返しでしょうね。実際にはおそらく話せないような傷があったんじゃないかと。
──たぶん、やむにやまれぬ事情から……。
日色 そう。だから、そういうことをやっていた。でないと、生きてこれなかったんじゃないかなと思うの。「ただ、子供のために、必死で」という単純な言葉しかないんですけどね。劇の最初に「忘れてもろうてよかとです」とテーマを言っちゃうことだって、自分も暗い歴史を忘れることにしますということなのかなと思ってるんです。そうやってずっと生きてきた。でも、これは忘れてはいけないことだって裏返してあるんでしょうけどね。
丹野 このエリーの人生といっしょに、いまでは佐世保もただの街になったということも河本さんがお書きになりたかったことでしょうね。「外国やったはずのこの街も、いまは普通の、ただの日本たい」という台詞がありますが、個性豊かな佐世保が、ふつうの街になってしまったことへの郷愁は、たしかにあると思うんです。だから、「忘れてもろうてよかとです」とエリーが言うのは、作者の追憶のひと言でもあるんですね。
■佐世保と自分の過去を見つめる
丹野 今回、日色さんは舞台に出づっぱりなんですよ。
日色 楽屋に帰れると思ったら、そうじゃなくて、ずっと舞台にいるんです。
──自分が過してきた時間を、佐世保100周年という2002年の時点から回想して、自分のしたことをずっと見返しているんですね。
日色 たった一日、ひと晩の話ですから……。
丹野 だからわたしは、この芝居は全部エリーの頭のなかの出来事だと思っています。
日色 わたしもこのごろそうですけど、ひとりになったら、勝手に都合のいい方に作っちゃうんですよね。でも、このエリーさんは偉い。自分が見たくないところもちゃんと……。
丹野 それは「影」が出てきちゃったから、本当のことを言わざるをえない。
──「影」は自分自身の良心であり、自分のなかの「他者」……。
丹野 ご自身はご謙遜なさるけど、やっぱり日色さんは戦争の名残りみたいなのをご存知じゃないですか。生きてきた経験の重みには勝てない。
日色 まだ、ウチの客席には、そういう人たちがいっぱいみえるから。河本さん、もしかしたら、わたしと「影」の対話が理解できないかもしれないとおっしゃっていたけれど、みんなわかると思います。みんなそうやって生きてきたから。
丹野 やっぱり、日色さんみたいな、ある程度、年齢を重ねた人が、この芝居をずっと頭から終わりまで出づっぱりでつとめることの意味はありますよね。それは「存在感」という意味です。
──すると、こうも考えることができますね。エリーは「影」によって見られているけれど、同時にエリーは「影」を見ているし、その時代に起きたことを全部を見ている。
丹野 明らかにそうなります。
──いろんな時間が、「ELLIE’ S」のドアのカウベルが鳴るたびに、そこに再現される感じがします。再現されるのに、タイトルは『忘れてもろうてよかとです』ですから、矛盾しているんですが、このタイトルに込められたものについても考えたいし……。
丹野 忘れてもらうのは正しいわけだけど、それこそ黒歴史なので……。
──ひょっとしたら、忘れたいのかもしれないけれども……。
丹野 でも、彼女としては、自分が生きた足跡がここにあるということですね。
註 「Aサイン」とは米軍が店の衛生状態を調べて合格した店に発行する証明書。
取材・文/野中広樹

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