末満健一(作・演出)&和田俊輔(音
楽)が語るミュージカル『ヴェラキッ
カ』制作の裏側~“虚構”の音楽〈B
lu-ray&DVD 9/21(水)発売〉

最新作 ミュージカル『ヴェラキッカ』Blu-ray&DVDの発売を記念して、TRUMP series Blu-ray Revivalよりシリーズ3作品のBlu-rayプレゼント企画あり! 詳細はページ下部 概要欄にてご確認ください。

劇作家・末満健一がライフワークに掲げ、2009 年より展開する演劇作品<TRUMPシリーズ>。人間でいう思春期=繭期(まゆき)の吸血種の少年たちが生を渇望する姿を描いた一作目『TRUMP』をはじめ、これまでに『LILIUM-リリウム少女純潔歌劇-』、『SPECTER』、『グランギニョル』、『マリーゴールド』、『COCOON 月の翳り星ひとつ』、『黑世界雨下の章・日和の章』と上演され、多くのファンに愛されてきた。
その最新作として今年2022年1月・2月に上演され、好評を博したミュージカル『ヴェラキッカ』のBlu-ray ・DVDが9月21日(水)に発売される。ヴェラキッカ家を舞台にしたTRUMP流「人間愛奇劇」は、シリーズの中でもスピンオフと言える作品で、これまでのシリーズを観ていない人も楽しめる内容となっている。出演者は美弥るりか、松下優也、古屋敬多、平野綾、愛加あゆ、大久保祥太郎、斎藤瑠希、西野誠、宮川浩ほか。
本作について、作・演出の末満健一と、本作をはじめ末満作品の音楽を数多く手掛ける和田俊輔に、作品を振り返ってもらった。
※以下、作品のネタバレがあります。
「0カロリーで味がする音楽」を作らなければいけなかった
――2022年1月から2月にかけて上演されたミュージカル『ヴェラキッカ』が映像化されます。いま振り返るとどんな作品だと思われますか?
和田:しんどい作品でしたね(笑)。あまりにも「道筋がわからないアドベンチャー」をしていたから。疲れるんですよね、やっぱり。
末満:うん。作劇的にもそうでしたけど、音楽的にも多分、あまり得意じゃないところに踏み込んだので。
和田:そうでした。
――それは「得意じゃないところで作品を立ち上げたい」というような前提があったのでしょうか。
末満:はい、ふんわりとしたトライアルだけど、そういう意識はありました。だから音楽もそうですし、脚本にしろ、演出にしろ、消費カロリーがとても高い作品だったなと思います。
――和田さんがしんどかったのは、どういうところでしたか?
和田:一曲でも、作ったあとに手応えがあれば、それで解消される部分があるんですけど、ないままやっていたんですよ。
――「手応えがないまま」ってどういうことですか?
末満:そこはこの作品の構造だと思います。シーンごとにわかりやすい「場面的な消化」や「感情的な消化」がない作品だったから。「今回はここに投げます」という的(まと)があれば、そこに向かって球を投げればいいんですけど、それがない作品だから難しかった。
和田:そうですね。
――末満さんはどうしてそういう作品をつくったのでしょうか?
末満:こういう作品をいつかやってみたかったんです。45年以上生きる中で、知り合いが亡くなったり、家族が亡くなったり、いろんな別れを経験してきました。そういうものを……これは作家の浅ましさかもしれないけど、そういう「近しいものを亡くした喪失感」を種にしてみたらなにができるんだろう、という思いがあった。でもそういう「失われていったものに対する感情のあてどころ」って結局ないので。
――「近しいものを亡くした喪失感」が種になって生まれた作品だったのですね。
末満:あともうひとつあって、そういう「この世に存在しない者に対する感情や愛情」の持つ「虚構性」です。その虚構性に対してどうしていくんだ、我々はっていう。そしてそこに、エンターテインメントと重なる部分があるなと思ったんですよね。
和田:ああ~。
――虚構性とエンターテインメント。
末満:最近よく「推し」って言うじゃないですか。でも自分が見ている「推し」って結局「自分が見たい推し」であって、じゃあそこに「推し」本人の実質的なものがどれくらいあるのかはわからないですよね。そういう、虚像であり虚構であり幻影でありっていうところが重なると思いました。その重なるところに、(主人公ノラ・ヴェラキッカを演じた)美弥るりかさんという……。
ノラ役の美弥るりか(撮影=遠山高広)
――素晴らしかったですね。
末満:美弥さんは元タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の団員)で、虚構の花の最たるところだと思うんですよ。そういう方が中心になってくれたことで生まれた威力というものがありました。ただ、根幹には「この世からいなくなった者に対する感情の向けどころ」という題材があったので。それってやっぱりスッキリはしないですよね、どうしても。そこに「上辺だけ、エンターテインメントという皮をかぶせよう」という作品だったので。
――ああ、なるほど。
末満:その難しさは、美弥さんにノラを演じてもらう中で如実に表れました。(ノラは登場人物たちの“共同幻想”で存在しているので)発言や行動に(本人の)動機がないわけです。前半は特にそうなんですけど、「この感情があるからこの発言、この行動がある」というのが一切ないから、これどうやって演じてもらったらいいんだろうと思いました。演出として、一瞬路頭に迷いましたから。「あれ、起点がない」って。
和田:うんうん。
末満:つまり「なにも考えずに上っ面で演じてください」ということになる。ただそれを役者に要求するってとても苦しいことで。だけどそうしないと成立しない物語だったんですね。音楽に求めるのもそこだったんですよ。「中身のない、上っ面だけの虚構性」だった。それは非常に難しく苦しいものでしたね。
――中身がないものって求め方も難しいですよね。
末満:はい。自分で設計しておいてなんですけど、「演じてもらいようがない」と思いました。「でも中身がないのが正解なんだ」と思うんだけど、そのロードマップを描けないというか。「このお芝居はこういうふうに組み立てていきましょう」というロードマップの組めなさによる難しさは、和田さんが音楽をつくるうえでも苦しめた部分じゃないかなと思います。
和田:話を聞いていて腑に落ちました。思ってたもん、「中身がないな」って(笑)。
末満:うん。プロデューサーからも「中身がない」って言われてた。それで「そう、中身がないんです」って言うんだけど、説明してもなかなかわかってもらえなかったですね。作品の中では、一幕のラストナンバーで「実は中身がなかったんですよ」という種明かしをして、「あ、ハリボテだったんだ、この世界は」とわかるようになっているんだけど。
――和田さんが今「腑に落ちた」とおっしゃるということは、そういう話し合いはせずに音楽を作られたのですか?
末満:それっぽい話はしたけど、あの段階で共有するのが非常に難しかったんですよ。「中身がないことやりたいんですよ」ってなかなか。
和田:たしかに(笑)。
末満:だから「いまは腑に落ちないかもしれないけど、腑に落ちないままやってください。幕が開いたらわかります」という話はしました。自分たちがなにをつくっていたのかは、お客さんが教えてくれると思ったので。
和田:いま末満さんが言語化してくれて、そこが辛かったんだなっていうことがわかりました。僕は「中身がないことをやろうとしている」ということはキャッチできていなくて、でも「中身がない」ということはキャッチできていたんですね。ただ、それって言えないんですよ。「末満さん、これ中身ないっすよね?」って僕は言えない……。
末満:現場でめちゃめちゃ言われたよ(笑)。プロデューサーにもキャストにも。
和田:僕には言えないな(笑)。だから、なんというか、「0カロリーで味がするもの」を作らないといけない、みたいな感じでした。
末満:それがまさに、僕がエンターテインメントに感じているものなんだと思う。エンターテインメントを楽しんでいる人たちから生まれるのは「本気の感情」なんだけど、その感情を生み出してるものは「虚構」という。この気持ち悪さと面白さを基にして組み立てられないかと思った。
和田:とはいえ作り手としては、あまりにもハリボテを作り慣れてなかったんですよね。
――観る側もそうかもしれないですね。「末満さんの作・演出で中身がないってことはないだろう」と思って観るじゃないですか。だから混乱する、みたいな。
末満:ただ、お客さんには、「最終的にこういうふうに受け止めてもらいたいな」という受け止め方をしてくれたなと思います。お客さんの洞察力や汲み取る力がすごくて、こっちが思っていた以上に受け止めてくれました。あとは美弥るりかさんも大きかったと思います。普段から精霊というか、この世ならざる空気を纏った人なんですよ。それは舞台の外でも。しかもタカラジェンヌという虚構の最たる世界で生きてきた人がそういうものを演じてることで、意図がものすごく伝わりやすかったんだと思う。
和田:そうだよね。
>(NEXT)腹七分目で終わるように、余韻を残したい
腹七分目で終わるように、余韻を残したい
――話は戻りますが、和田さんは苦労しながら音楽を作られたわけですよね。
和田:(しみじみ)はい、それはもう。いつも以上に、これが響くかどうかの判断がつかないまま作っていました。
――とはいえ素晴らしい楽曲だったのですが、どういうふうに作っていかれたのですか?
和田:最初に書いたのは、劇中でも1曲目の「靴音が囁く」で、キャンディがヴェラキッカ家の屋敷に来る、という曲なんですけど、あれを書いた時点で「『ヴェラキッカ』で書くものはこれで終わった」って気がしたんですよ。それが自分の中で大きかったかな。ここから中身のない作業をしないといけないんだなって覚悟ができた気がします。そこからが長いんですけど。
末満:「靴音が囁く」はすごくすんなりいったよね。
和田:そうだよね。
末満:ミュージカルのスタンダードな導入という感じもしたし、僕は「これが騙し討ちになるな」と思いました。「あ、ミュージカルが始まったな」っていう意味でもわかりやすい曲だったので。
ミュージカル『ヴェラキッカ』(撮影=遠山高広)
――そういう中で、キャストの存在は楽曲にどう影響するのですか?
和田:僕はキャストさんのことを知れば知るほど強いと思っているので、知りたがりなんですね。それで言うと『ヴェラキッカ』では、(シオン役の)松下優也くんや(ジョー役の)愛加あゆさん、(クレイ役の)大久保祥太郎くんは、何回かご一緒してきたので、既に知っていることがある。そういう方には、作品とはまた別の文脈でひとつ、「一緒にやってきた歴史がないとできないような曲」をやろうとしたところはあります。それを『ヴェラキッカ』の中でどう表現するか、という楽しみ方をしました。
――それって具体的にどういう楽しみ方なのですか?
和田:これは作曲家のエゴでもあるのですが、「前回はこれ歌えなかったよね」をやってもらいたかったりするんですよ。前にご一緒させてもらったときに出た結果はもうわかっているから、次のステージ行こうぜ、みたいなことを取り入れていました。
――それは、曲をもらう方は……。
和田:大変になるのかな(笑)。松下優也くんには妙にそれが伝わっていて、ずっと僕との「戦いだ」みたいなことを言ってました(笑)。
――逆に美弥さんとは初めてですが、そうなるとどう作るのですか?
和田:はい。そこは暗中模索中の暗中模索で。どこが美弥さんが輝くところかなっていうのは、書きながら、稽古映像を見ながら、自分の中で誤差を修正していく、というような感じでした。
――最終的にできた楽曲に、和田さんご自身はどう思われているのですか?
和田:めっちゃいいっす(笑)。もう書けないなって思いますし。それは毎回どの作品でも思うことなんですけど、『ヴェラキッカ』は特にそう思う。もう二度と書けません。さっき末満さんもそのようなことをおっしゃっていましたが、僕も、自分では使わないセオリーとか、使わない進行とかを積極的に取り入れたんですよ。それが気持ち悪くて。敢えて自分は使わないルールを使いながら自分らしさを出すってどうすればいいんだろう、ということをやってみました。だからめちゃめちゃ気持ち悪かったです。その気持ち悪い中で、自分に引き寄せていく作業を2か月くらいかけてやっていきましたね。
――末満さんはどのように感じていましたか?
末満:音楽は、一幕に関しては「即時的な楽曲の良ささえあればいい」という感じだったので、そういう意味でも面白い楽曲だと思いました。<TRUMPシリーズ>の中でもちょっと違う肌触りの楽曲になっていたしね。
和田:だってこれ、一幕の曲が面白くなかったら成立しないよね。
末満:うん。そして一幕ラストの「愛は毒だ -Liebe ist Gift-」で、それまでの曲を全部捨てるっていう構成になっている。ご破算にして、ここから仕切り直しますっていう。あの楽曲はすごく威力があった。自分で言うのもなんですが、あそこの演出もよかったなって、映像を観て改めて思いました(笑)。
和田:みんなが寝転がっていて、そこから目覚めていくところね! あれはよかった。まさかそんなふうにするとは思わなかったし。

シオン役の松下優也(撮影=遠山高広)

――では、二幕の音楽はどんなふうに考えられたのですか?
和田:二幕は「種明かし」なので、やりたいことをやれたなと思います。難しかったのは締め方でしたね。そこまではわりかし見えていたんですけど。
末満:楽曲的には二幕はストレートな構成ではありますね。目的がハッキリしているから。
和田:やりやすい。
末満:目的がない一幕、目的がハッキリしている二幕。だから楽曲の雰囲気も変わりますし。
――ちなみに和田さんのおっしゃる「締め方」が指すのは、ノラとシオンが歌う「あの日の続き」ですか?
和田:はい。そこが難しかったです。最後のふたりのデュエットが、あれで良かったのかどうかは、それこそ僕も幕が開くまでわかりませんでした。もっとちゃんと盛り上げたほうがいいのかな、とか考えたりもしていて。
末満:そこは難しいよね。でもよかったと思う。
和田:うん。僕も今回映像で見直して思った。あれがベストだったって。
末満:感情を解消しすぎないほうがいいから。昇華させすぎないっていうか。腹七分目くらいで終わるように余韻を残しておかないと、お客さんは気持ちよく劇場を出てしまうので。
和田:そうそう。
末満:そんな中でも、一幕でやり残した大久保祥太郎と(マギー役の)斎藤瑠希のデュエットがね、顔をのぞかせてますけども。
和田:(笑)。やり残してたね。一幕でやれなかった。
末満:入れられなかった(笑)。
ミュージカル『ヴェラキッカ』(撮影=遠山高広)
和田:あとこれは末満さんが意識的にやっていたかわからないけど、新良エツ子さんが歌うBGMが一幕の最後からかかりだすのが面白いなと思ってた。
末満:無意識だった。でもそうなったのは、一幕が”TRUMP”じゃないからだと思う。
和田:そういうことだよね。「TRUMPの世界、始まりました!」っていうのが一幕ラストの楽曲「愛は毒だ -Liebe ist Gift-」。でもその直前からトランプの象徴みたいなあの歌声が聞こえてきて……っていう構成になっていて。
末満:そこまではえっちゃんの歌で情緒をつくる必要がなかったのよ。だって嘘の羅列だから。
和田:うん、そこが面白かったですね。
>(NEXT)『黑世界』でお客さんを信頼できたから、踏み切れた作品
『黑世界』でお客さんを信頼できたから、踏み切れた作品
――<TRUMPシリーズ>の中で『ヴェラキッカ』はどんな作品になったと思われますか?
和田:なんだろう。僕、それわからないです。
末満:わからんね。
和田:でも前作の『黑世界』(’ 20年)はわかりやすいじゃないですか。
末満:うん。いろんな実験をしました、という作品だもんね(※末満以外に6名の作家が参加し、短編アンソロジー形式で上演した)。
和田:その次がこの『ヴェラキッカ』というのが、僕は本当にわからない。……末満さん、どうするつもりですか!?(笑)
末満:(笑)。でもこのシリーズを、例えば「吉本新喜劇を観に行けば、いつもの吉本新喜劇が見られる」みたいな意味での、「<TRUMPシリーズ>に来ればあれが見られる」というようなことをできないわけではないんです。人気の高い『グランギニョル』や『マリーゴールド』のようなものをつくり続けていく、ということも可能ではある。だけどそれは単純に僕の性格的にできないんですよ、飽き性だから。そうなると自分がシリーズの完結まで持たないなと思う。
和田:興味がね。
末満:そう。興味がなくなっちゃって。実は、『ヴェラキッカ』みたいなことは、実は以前からやりたいと思っていたけど、<TRUMPシリーズ>でやるのはどうかなと思っていた。でも『黑世界』をやったときに、お客さんのキャパシティがこんなに広いんだとわかって、「このお客さんたちだったらあの球を投げても受け止めてくれるかも」という予感が生まれた。それで『ヴェラキッカ』に踏み切れました。
――そうだったんですね。
末満:ただじゃあ『ヴェラキッカ』の延長線上に<TRUMPシリーズ>の未来があるかというと、そういうわけではないです。(次に上演される)『LILIUM -リリウム少女純潔歌劇-』(’ 09年初演)で一度立ち戻って、もう一回、別のルートを辿り直すというイメージ。そういう意味では『ヴェラキッカ』は割と<TRUMPシリーズ>の文脈の中には入らない作品です。
和田:たしかに唯一のスピンオフと言ってもいいような作品ですよね。
末満:そういう、ちょっと文脈に入らないものもやってみたかった。「(TRUMPの)セオリー」でつくるのが、自分的にフラストレーションが大きくて、一度そこからはずれたかったんですね。そのうえでお客さんに評価してもらえるものをつくれるのかどうか、その馬力が自分の中にあるのか、という作品でした。そして、それはあったと思う。あの難解な作品をエンターテインメントとして届けられたというところは手応えとして残ったので。それをもとに、また王道に立ち戻ったときにどれだけクオリティの高いものをつくれるのか、という方向に行くかなと思います。シリーズとしてはまた別方向に一回逸れますけど。
――お!予告が。
末満:はい。一幕もののどストレートプレイを一回やると思います。ミュージカルの方向ではやることはやったので、ストレートプレイで何ができるのか、というところもいってから、最終章に入っていく。
和田:きたぁー!
――(笑)。
和田:<TRUMPシリーズ>は、お客さんも成長している感じが面白いですよね。このシリーズのことをめちゃめちゃわかってもらえているなと感じる。
末満:『黑世界』でそれに気付けたなと思います。「ああ、<TRUMPシリーズ>っぽいものをやらなくてもいいんだ」と思えた。「信頼していいんだ、お客さんのことを」って。「こういうのじゃないとお客さんは喜んでくれない」とか「こういうのを求めてる」とか、そういう先入観を取っ払ってやっていいんだ、というところで『ヴェラキッカ』に踏み切れたし、そうやって投げた難しい球も見事に受け止めてもらえた、という感覚です。
和田:今日の話を聞いて、いろんなことが腑に落ちました。いま改めて、この作品の楽曲を作るときはすごくストレスがたまっていたなと思います(笑)。そういう心理状態で、一幕最後の「愛は毒だ -Liebe ist Gift-」は、誰にも伝わらなくてもいいやと思って書いたんですよ。(末満作の)詞が長かったので曲も長いんですけど、その長い展開の中で、「誰にも伝わらないだろうけど僕だけが好き」というものをいっぱい詰めていった。だから最後の、みんなが大階段を上がっているところなんかは、自分で「このフレーズ大好き!!」と思いながら聴いていました(笑)。「誰にも伝わらんけど、僕は大好き」と思ってやっていたけど、幕が開くと、お客さんたちが「好き」と言ってくれて、「ああ伝わるんやな」と思いました。
末満:伝わるね。でもこれ多分、10年前では伝えられなかったと思うし、我々も伝える力ができたんだと思う。僕は今回、新しいものはもうないと言われているこの世の中で、なんとか「これは今までに観たことがないぞ、味わったことがないぞ」という味わいをつくりたかった。そこはなんとかひねり出せたなと思います。
末満健一、和田俊輔
Musical「Verachicca」ダイジェスト
取材・文=中川實穂 撮影=iwa

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