ゴスペルシンガーを経てミュージカル
の世界へ! 塚本直にインタビュー「
音楽業界と演劇業界の架け橋になれた
ら」/『ミュージカル・リレイヤーズ
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「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第十三回は、前回奥山寛さんが、「ものすごく強烈な歌声! ただ上手いだけじゃなくて、深みがあって、心を鷲掴みにされる」と紹介してくれた塚本直(つかもと・なお)さんにご登場いただきます。(編集部)
「最近、音楽の現場では『舞台の人』、舞台の現場では『音楽の人』って言われるんです。それって何なのかなあって思うんですよね」
そう疑問を呈するのは、シンガーであり俳優の塚本直だ。
ゴスペルグループでの10年に渡る活動を経て、30歳で初めてミュージカルに出演。近年は『グレートコメット』『ビューティフル』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』等、ミュージカル作品で持ち前のソウルフルな歌声を響かせ注目され始めている。
インタビューを通して異色の経歴を持つ彼女のルーツを探りつつ、業界の垣根を超えて活躍する今の率直な想いを聞いた。
突如芽生えた「音楽をやりたい」という想い
――まずは、塚本さんと音楽の出会いから教えてください。
母がオペラ歌手だったので、生まれたときからずっと身近に音楽がありました。生まれは熊本です。母は結婚して熊本に来ていて、その頃から教会や幼稚園の保護者の方にコーラスを教えていたそうなんです。時には私を抱っこしながら指揮をすることもあったみたいです。
――そんなお母様から、塚本さんも音楽のレッスンを受けていたんですか?
母はピアノも教えていたので、幼稚園くらいの頃に(ピアノを)習い始めました。でも、私が全く言うこと聞かない子で(笑)。譜面を見て弾くのが嫌だったので、自分の好きな曲を母に弾いてもらって、その指を真似て弾くといった感じ。もちろん母とは喧嘩になるし、結局あまり続きませんでした。小学校に入ってすぐにピアノを辞めて、水泳と空手を習い始めたんです。
――かなり突然の方向転換ですね(笑)。
全然方向性が違いますよね(笑)。音楽よりも身体を動かす方が向いていると思われたのか、兄弟と一緒に通うようになったんです。それからはしばらく音楽から離れていました。高校生の頃に歌が好きという想いはあったけれど、それはただカラオケで歌うのが好きというもの。カラオケでは友達から上手いと言われるので、「歌をやるのもいいなあ」と母に漏らしたら「あなたの声はガサガサで全然艶もないし、声楽は無理よ」とバッサリ(笑)。なので、声楽は諦めてポップスを歌えるようになりたいなあと考えるようになりました。でもその頃は歌を仕事にしたいとまでは思っていなかったんです。
――音楽の道に進もうと意識し始めたのはいつだったのでしょうか?
高校卒業の頃ですね。当時は熊本の進学校に通っていたので、卒業したら大学に進むつもりでセンター試験を受けました。でも第一志望の大学に少し点数が足りなくて。でも、だからといって一浪する程の気持ちもなく……。そのとき、本当に自分がやりたいことって何だろうと真剣に考えたんです。悩んだ末、親に「音楽をやりたい」と伝えました。そんなことを言ったのは初めてだったので、相当びっくりしたでしょうね(笑)。元オペラ歌手の母はもちろん、父も俳優を目指していた過去があって芸事には寛容な家庭だったので、みんな背中を押してくれました。そこで改めて音楽を勉強できる場所を探して、母の知り合いに紹介してもらった福岡スクールオブミュージック&ダンス専門学校へ通うことになったんです。初めて実家を出て一人暮らしも始めました。
>(NEXT)ゴスペルとの出会い。最初は「正直ちょっと引いてました(笑)」
「最初はゴスペルの授業がめちゃくちゃ苦手でした(笑)」
――専門学校での学びはどうでしたか?
専門学校に通って出会ったのが、ブラックミュージックやゴスペル、R&B、ソウル、ファンクといった洋楽でした。それまではゆずやaikoのような弾き語り系のJPOPが好きだったんですけど、ここで一気に洋楽にハマったんです。どんどんその魅力に惹かれて、中でもブラックミュージックやゴスペルに寄っていきました。
――特に印象的な授業はありますか?
実は、最初はゴスペルの授業がめちゃくちゃ苦手でした(笑)。音を与えられて、その場でメロディと英語の歌詞を耳で覚えて歌うという授業。「Make some noise!」と突然言われて、みんなで「イエーイ!」って。やばいところに来ちゃったなって、正直ちょっと引いていました(笑)。
――そこからどのようにゴスペル好きに?
授業の中で、先輩たちがアメリカのゴスペル歌手カーク・フランクリンの「Lean On Me」を歌ったんです。それがとにかく衝撃で! 「みんな日本人だよね?」と疑っちゃうくらい上手くて。ゴスペルを歌っている人たちはみんな上手い人が多いなと感じたので、頑張ってそのクラスを受け続けようと決めました。木曜日の6〜7限と遅い時間だったのですが、毎週頑張って通っていましたね。
――音楽を学びながら、専門学校の卒業後のことは考えていましたか?
当時はデビューしたいという想いはあまりなくて。どちらかというと、知る人ぞ知るような技術を持っている人になりたいなと思っていたんです。学校の先輩たちがゴスペルグループを作って活動する姿も見ていたので、そういうグループに入るのも素敵だなと思いながら過ごしていました。実際に専門学校を卒業する瞬間は何も決まっていなかったんです。ただ漠然と、一旦音楽から離れようって。
――なぜそのタイミングで音楽から離れようと?
音楽漬けの3年間だったので、一度離れて落ち着こうと思ったんです。洋楽を中心に勉強をしてきて、英語で歌うことはできたけれど、英語で話すことはできない自分にコンプレックスもあったので、語学留学を考えました。ただ決して裕福な家庭ではなかったので、留学費用を貯める必要があったんです。そんなときに、住んでいたマンションを、道路の拡張工事のために退居しなくてはいけなくなって。引っ越し代としばらくの家賃としてまとまった金額を立ち退き料としていただいたんです。しかも専門学校卒業とほぼ同じタイミングの3月に! こんなミラクルあります?(笑)留学しろと言われているんだと思い、オーストラリアのUniversity of Queenslandへ行きました。
――すごいミラクルですね! 留学中に音楽をやりたいという想いは?
留学して約10ヶ月ぐらい経った頃に、帰国したらまたゴスペルを歌おうと思うようになりました。留学って、どうしても孤独なんですね。もちろん友達はできたけれど、深いところで話せる相手というのはなかなかいなくて。そういうときにいつも聴いていたのがゴスペルだったんです。やっぱり私はゴスペルをやりたいんだなと、改めて気付きました。
帰国後、専門学校でお世話になっていた先生にゴスペルをやりたいと話したら、ちょうどその先生が福岡・大阪・東京にそれぞれゴスペルグループを作っているところだったんです。私は福岡校出身なので、福岡チームだろうと思っていたのですが、編成の都合でまさかの東京チームに。声を掛けていただけたことがまず嬉しかったので、スーツケース1つ持って東京へ行きました。それが「THE SOULMATICS」(ザ・ソウルマティックス)です。
――熊本から福岡、オーストラリア、そして東京と、すごい展開ですね。約10年間のTHE SOULMATICSの活動はどうでしたか?
そこでの活動が私の主軸になっています。歌い方もそうですし、歌で想いを伝えようという心持ちも。ゴスペルは「クリスチャン音楽」と言われていて、元々は神様に対しての音楽なんです。ゴスペルと一言で言ってもジャズっぽい曲やファンクなどいろんな種類の音楽があって、その歌詞が神様に対しての言葉だったり、聖書の内容が描かれていたりするんです。専門学校の先生からは、ゴスペルは神様に向けて歌わなきゃいけないわけではなく、その神様を自分の大切な人や自分を支えてくれる人に置き換えて想像して歌っていいんだということを学びました。私自身もクリスチャンではないですが、「みんな誰かに支えられていて、独りじゃないんだよ」というポジティブなメッセージを歌う活動を中心にしてきました。
――確かに、言われてみるとゴスペルってポジティブで励まされるような曲が多いかもしれませんね。
そうなんです。本場のアメリカでは、みんなで日曜日に集まって、普段抱えている苦しいことや悲しいことをゴスペルを歌うことで発散するんです。それくらいその人たちにとっては音楽が身近にあって、自分を助けてくれる存在なんですよね。ゴスペルはそういうところから生まれているので、基本的にポジティブで救ってくれる音楽になっているんでしょうね。
>(NEXT)舞台・ミュージカルの世界へ! 見つけた「自分の在り方」
「言葉を大事にしつつ、元々の音の面白さやかっこよさを残して歌いたい」
――THE SOULMATICSでの活動を経て、近年はミュージカルの場でのご活躍が目立ちます。ミュージカルの舞台に立つようになったきっかけは?
最初のきっかけは『RENT』のオーディションです。「Seasons of Love」のソリストの役で『RENT』に出演していた先輩がいて。それを観て「こういう道もあるんだな。すごく素敵!」と思って、2013年にオーディションを受けました。ジョアンヌ役で受けて、落ちちゃったんですね。
でもその後プロデューサーさんから電話をいただいて「今回は残念だったけれど、もう1つ紹介したい作品があるんです」とオーディションを紹介してくださって。それが宮本亜門さん演出の『ヴェローナの2紳士』でした。せっかくなのでオーディションを受けに行き、歌の審査、その次にダンス審査があって……。私、ダンスが全然できないんですね(笑)。オーディションでは自由に踊る時間もあったんですが、みんながアクロバットとかしている中、私一人だけイエーイって音楽にノッていたんです。そしたら(宮本)亜門さんが「塚本さん、もういから」って(笑)。でもなぜか受かりました(笑)。あとから聞いた話だと、歌を聴いた時点で合格にしようと決めてくれていたみたいです。
――2014年の『ヴェローナの2紳士』が初ミュージカル出演になるんですね。
そのときは舞台のことは右も左もわからなくて、とにかく初めての世界でした。必死でみんなについていくしかなかったですね。エリアンナちゃんや小此木麻里ちゃんの姿を見て、なるほどこうやってやるんだなと。今思うと、すごく個性豊かなアンサンブルメンバーでしたね。劇中にジャグリングをするシーンがあったんですけど、唯一それだけは亜門さんにめちゃくちゃ褒められたのを覚えています。「塚本できるじゃん!」って(笑)。
――その後4年程経ってから、奥山寛さん演出の『Bklyn』にご出演されています。
(舞台を)もっとやってみたいという想いはあったのですが、当時は音楽活動がメインだったので、次の舞台出演まで期間が空いてしまいました。転機になったのは、2016年にTHE SOULMATICSを辞めたこと。それまで組織の中で頑張っていたけれど、これからは自分で頑張らないといけないなと。その頃にたまたまSNSで見かけたのが『Bklyn』のオーディションだったんです。パラダイスというR&Bシンガーの役があったので、自分で動かないと始まらないなとチャレンジしました。
――『Bklyn』の経験はいかがでしたか?
私のターニングポイントになりました。『ヴェローナ』のときはアンサンブルでしたが、今回は役がついたので台詞もたくさんあって、役として歌を歌うのもほぼ初めて。ずっと自分自身として歌を歌ってきたので、誰かになってその人のバックグランドを持って歌うってどういうことなんだろうと悩みましたね。
キャストは2チーム制で5人ずつ。私のWキャストのエリアンナちゃんがまた上手で。奥山さんはエリアンナちゃんのことばかり褒めて、私には何も言わないんです(笑)。今思うと、きっと私があまりにも必死だったから何も言えなかったんだろうなあって(笑)。途中でエリアンナちゃんを見本にして役を寄せていったら、奥山さんに呼び出されて「直ちゃんは直ちゃんのパラダイスをやらなきゃいけない。直ちゃんらしくていいんだよ」と。Wキャストの経験も初めてだったので、なるほどそういうことなのかと、それを聞いて楽になりました。自分として歌うことの気持ちよさとは違う、役として歌うことの楽しさと難しさを知りました。
――ミュージカルはゴスペルやR&Bに限らず、幅広いジャンルの曲がありますよね。そういった面での難しさはありますか?
めちゃくちゃあります! そもそも基本的に英語で歌ってきたので、日本語で歌うこと自体違う感覚があります。個人的な見解ですが、日本語の曲って言葉を大事にしているのが多いですよね。それに比べて英語の曲はサウンドを重視することが多い気がします。いろんな作品に出演しながら、言葉を大事にしつつ元々の音の面白さやかっこよさを残して歌いたいなと常々思っています。それが、英語で歌い続けてきた私の一つの武器でもあるのかなと。ちょっとかっこいいくグルーヴ感を出しつつ、メッセージを伝えるための言葉を残すことを意識しています。
――2019年には井上芳雄さん主演の『グレートコメット』にもご出演されています。
本当に失礼だと思うんですけど、(井上)芳雄さんのことも『グレートコメット』で共演するまで全然知らなかったんです……。THE SOULMATICSの活動でニューヨークへ行ったときにブロードウェイミュージカルを観たことはあったんですけど、日本のミュージカルはほとんど観たことがなかったんですね。共演して初めて、井上芳雄さんという素晴らしいミュージカル俳優さんがいらっしゃることを知ったんです。お芝居から繋いで歌で表現するってこういうことなんだと、初めて目の当たりにして衝撃を受けました。「一緒に写真撮ってくださーい」とか、今思えばなんてことしちゃったんだろうって(笑)。
芳雄さんといえば、テレビ番組のミュージカルあるあるネタで「打ち上げの場でガチで歌う人がいる。ホイットニー・ヒューストンとか歌うんですよ」と話していたことがあったんですけど「あ、私のことだ」って(笑)。でもあれは『グレートコメット』の打ち上げで、演出の(小林)香さんにリクエストされたから歌ったんですよ!(笑)
――『グレートコメット』以降、小林香さん演出の作品が続きますね。
香さんとの出会いも『グレートコメット』です。ある日の稽古でプリンシパルの方がお休みされたときに、代役で私が歌うことになったんです。歌ってみたら、稽古場で見ていたみんながドッカーンと大盛り上がりで「直ちゃん超かっこいい!」と言ってくださって。香さんも注目してくださるようになったんです。そこから香さんとはご縁があって、朝夏まなとさんのコンサートで歌唱指導とバックシンガーを担当させていただき、2020年の『SHOW-ISMS』にも誘っていただきました。
――この連載では毎回、注目の役者さんを教えていただきます。塚本さんの注目の方は?
『ビューティフル』(2020年)で共演させてもらった伊藤広祥くんです。『The Musical Day~Heart to Heart~』でも一緒にコーラスを担当していて、最近は西川大貴くん主催の『雨が止まない世界なら』のコンセプトアルバムでも共演しました。彼の特徴は声。前から日本人ぽくないなあとずっと思っていて、アダム・パスカルのような高くてロックでかっこいい声の持ち主なんです。彼の表現力やエネルギーはすごいものがあるなと、注目しています。
――最後に、塚本さんがこれから挑戦していきたいことを教えてください。
私にとってはどの業界でも、音楽を使って表現すること自体にあまり違いはないんです。できれば業界やジャンルの垣根なく、いろんな人が活躍できたらいいのになあと。そのための架け橋になれたらいいなとも思います。例えば、ヘザー・ヘッドリーは元々はR&Bシンガーですが、ミュージカル『ライオンキング』のナラ役を演じたり、Netflixのドラマに出演したりしています。『キンキー・ブーツ』のローラを演じたビリー・ポーターも、元々はゴスペルシンガーだったんです。海外では枠組みにとらわれずに活動している人たちがたくさんいて、それってとても素敵なことだと思うんです。私も自分自身をカテゴライズせずに、ジャンルを問わずチャレンジしていける人でありたいなと思います。
取材・文=松村 蘭(らんねえ)

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