『吉野大作ランプ製造工場』は
“幻の名盤”にしてはならない

アシッド? サイケ?
心憎い独特の余韻

M5「朝の賛歌」からはLPでのB面になる。そのM5のイントロのギターの音が如何にもサイケ。歌の主旋律には昭和40年代の日本のフォークグループに似た大らかさを感じ、アシッドフォークをよく知らない筆者であるが、この辺りから何となく理解した気にもなる。ただ、全体的なサウンドは完全にロックだろう。間奏も含めてスケール感が大きい印象ではある。

一方、M6「あの丘から遠く離れて」はアコギ弾き語りから始まって軽くエレキが絡む。トーキングスタイル寄りと言えばそう言えるかもしれない。これもまたマイナーで、ややダークな雰囲気だが、そこがまたいい感じ。歌詞はロストラブソングであろう。歌メロ、それを奏でる歌声と相俟って絶望感が表現されているように思う。

そこから一転、M7「特急列車に乗って」はちょっとブギーっぽい明るさがある。ぶっちゃけて言うと、T-REXにも似ているような気がする(個人の感想です)。面白いのはベースライン。所謂リフが一定のリズムである種、淡々と鳴らされていく様子はファンキーだし、まさに汽車っぽい。牧歌的というと少し言い方が変かもしれないが、楽しい印象ではある。間奏も長く、ボーカルの入っていない演奏が多め。歌を《吹きとばして》いく辺りが“特急”らしさなのかなと少し思ったりもして──。

アルバムのフィナーレを飾るのはM8「自由」。冒頭は昭和のフォーク感はあるが、そののちにバンドサウンドが入る。7分を超える大作と言っていい楽曲で、トーキングスタイルに近い8小節の歌を繰り返しながら進行していく。基本的に同じメロディのリピートだが、歌詞の一部とそのバッキングのサウンド変化していく。歌詞のすべてを掲載するのは流石に憚られるので、一部だけ引用させてもらうと、以下の感じ。
《私の小学生のノートの上に/机の上に木の上に/砂の上に雪の上に/私は書くおまえの名》《夜の不思議や驚異の上に/昼間の白いパンの上に/いいなづけの季節と季節の上に/私は書くおまえの名》《取り戻した健康の上に/消えさった危険の上に/思い出のない希望の上に/私は書くおまえの名》(M8「自由」)。
ノートや机の上といった具体的、物理的なものが、抽象的な概念に変わっていく。文学的と言うか、哲学的と言うか、シュールと言うか、何と言うか──。しかも、楽曲の最後はヴォーカルのシャウトからのハミングを経てフェードアウトしてくので、強く余韻を残す。これもまたアシッド、サイケなところと言っていいだろうか。最後の最後に、我々が楽に理解し得ない楽曲を用意しているところは極めてアーティスティックではある。ここでまたこの楽曲のタイトルを見る。「自由」。そこでもまた簡単には結論を示してくれない。心憎く思う。

と、ザっと『吉野大作ランプ製造工場』を拙く解説してみても、本作は主旋律の親しみやすさ、多彩なバンドサウンド、アンサンブルの巧みさ、そして歌詞の精神性を湛えた名盤であることが分かる。また、ここで改めて言うことでもないだろうが、吉野大作というアーティストの偉大さを確認するところではある。前述した通り、ソロ活動以外にもプロスティチュートを始め、さまざまなバンド、ユニットでも活動。今のライヴ活動をしていることも前述の通りだ。日本のロック史にその名を残す人物であることは論を待たないだろう。だが、今回、『吉野大作ランプ製造工場』を取り上げるにあたってネットで氏のことを調べてみて、案外、取り上げているサイトが少ないことを知った。これは意外だったし、このコタツ記事の作成にも難儀した(本稿で“だろうか”みたいな疑問形が多いのはそのためでもあります)。Wikipediaにもあまり書かれていない。しかしながら、ソロ、バンド、ユニットを合わせて15作品も世に送り出しているアーティスト。あと、何度も言うようにいまだ現役である。取材対象、研究対象としてもっともっと媒体で取り上げられていいと思うが──。まぁ、今回の再発がそのきっかけとなってくれたいいと思う。

TEXT:帆苅智之

アルバム『吉野大作ランプ製造工場』1974年発表作品
    • <収録曲>
    • 1.風の街から
    • 2.掘っ立て小屋のある街
    • 3.六月の空
    • 4.朝陽のように
    • 5.朝の賛歌
    • 6.あの丘から遠く離れて
    • 7.特急列車に乗って
    • 8.自由
『吉野大作ランプ製造工場』('74)/吉野大作

OKMusic編集部

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