『コーラスライン』大特集(Part 1)
初演スターが語る傑作のメイキング~
「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」
番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]

『コーラスライン』大特集(Part 1)初演スターが語る傑作のメイキング
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
人生を赤裸々に語るダンサーたち (c)Tsuyoshi Toya
 4年振りに来日を果たす『コーラスライン』。ダンサーのオーディションを舞台に、最終選考に残った17名が、演出家の質問に答え自己をさらけ出し、それぞれの人生が浮き彫りとなるブロードウェイ・ミュージカルの傑作だ。原案・振付・演出は、自らもダンサー出身のマイケル・ベネット(1943~87年)。1975年に開幕した初演は、15年にも及ぶ大ロングランを記録した(続演回数6,137回)。この初演で、仕事にあぶれた元スター・ダンサーのキャシーを演じ、トニー賞主演女優賞に輝いたのがドナ・マケクニー。現在もパフォーマーとしてミュージカルやコンサートで活躍を続ける彼女に、楽曲の魅力を始め作品の見どころを訊いた。

ドナ・マケクニ―近影 Photo Courtesy of Donna McKechnie

■キャラクターを巧みに表すBGM
 マケクニーはまず、本作の作曲を手掛けたマーヴィン・ハムリッシュ(1944~2012年)について語ってくれた。1974年のアカデミー賞授賞式で、「追憶」(1973年)で劇映画作曲賞と主題歌賞、「スティング」(1973年)で編曲・歌曲賞を受賞と、弱冠29歳で3つのオスカーに輝き、一躍時の人となった才人だ。元々舞台への憧れが強く、アレンジャーとして活躍していた彼にとって、『コーラスライン』がブロードウェイにおける作曲家デビューとなった。
「繊細なメロディーが、縦横無尽に湧き出る才能には敬服しました。またマーヴィンの楽曲は、古き良きブロードウェイの伝統に根差したゴージャスな旋律から、1970年代色の強いポップス系ナンバーまで幅が広い。加えて彼は映画の仕事が多かったので、ダンサーが話している時に、BGM的にバックで流れる音楽の使い方も巧みだった。それも、音楽でそれぞれのキャラクターを的確に表現しているのよ。例えば、演出家に挑発的な態度を取るシーラの場面では、『ドン、ド、ドン…』とドラムの音が低く聞こえるといった具合にね」
アカデミー賞授賞式(1974年)でのマーヴィン・ハムリッシュ(中央)。右隣はシェール、左はデビー・レイノルズとドナルド・オコナ―
■「陰のヒーロー」が深層心理を探る
 今回来日するのは、初演を忠実に踏襲した、2006年のブロードウェイ・リバイバル・バージョンだ。この再演版のオーディションから初日までを、初演の成り立ちを含め詳細に綴った映画「ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢」(2008年)。日本でも好評を博した、このドキュメンタリーで明らかになったように、本作のセリフは、ベネットが旧知のダンサーたちを取材したテープを基に構成された。歌詞も然りだ。作詞を担当したのはエドワード・クリーバン(1939~87年)。マケクニーは続ける。
「エドの事は、『陰のヒーロー』と呼んでいるのよ。賑やかで明るい性格だったマーヴィンとは対照的に、シャイで寡黙な人でした。ただ私たちは、マイケルとのテープ・セッションとは別に、エドのインタビューも個別に受けた。私のように、順序立てて話す事が苦手なダンサーの言葉を拾い上げ、シンプルな歌詞へと昇華させる才能には感嘆したわ。
マケクニ―も出演した、映画「ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢」(2008年)のDVDは松竹よりリリース。Amazon Prime Videoでも視聴可だ。
 今でも鮮明に憶えているのが、ワークショップで〈アット・ザ・バレエ〉を始めて聴いた時ね。シーラとビビ、マギーの3人が、決して幸せではなかった少女時代を振り返りながら、『でもバレエを踊っている時だけは、すべてが美しかった』と歌うナンバーで、詩情溢れる歌詞に心を揺り動かされた。実はマギーが、疎遠だった父親と踊る夢を語る件は、私が話したエピソードをベースにしたものでした。スティーヴン・ソンドハイムの影響を強く受けたエドは、登場人物の心理を掘り下げる術に長けていたわね」
10代後半のマケクニ―。NYのセントラル・パークで。 Photo Courtesy of Donna McKechnie
■パッションと葛藤をダンスで綴る〈音楽と鏡〉

 マケクニーが演じた、オーディションに最後の望みを託すベテラン・ダンサーのキャシー。トニー賞受賞の真に迫るパフォーマンスも手伝って、当時はキャシーとマケクニーを同一視する観客が多かった。だが彼女は意外な事実を明かす。
「実はキャシーには、別にモデルとなる女性がいてね。映画に数本出演した後に仕事が途切れ、マイケルに『バックダンサーでもいいから使って』と頼み込んでいた人がいました。ただ私も、オーディションに落ちた経験はあるし、切迫した気持ちは十分に理解出来たわ」
〈音楽と鏡〉を歌い踊るドナ・マケクニ― Photo Courtesy of Donna McKechnie

 彼女にとって最大の見せ場となったばかりか、『コーラスライン』の白眉と言える一曲が〈音楽と鏡〉。キャシーが演出家に「私を使って」と懇願した後、渾身の力を込めてステージ狭しと歌い踊る長尺のビッグ・ナンバーだ。
「『仕事が欲しい!』と渇望する情熱だけでなく、キャシーが抱える不安を表現しなければならない。そして、鏡に映る姿を見ながら自己を再発見するプロセスを、ダンスで表現するのは本当に難しかった。単に力強く踊るだけではダメなのよ。あのナンバーは、ダイナミックなアレンジが見事でね。フランク・シナトラの編曲を手掛けたビリー・バイヤーズと、後に『ドリームガールズ』(1981年)の音楽監督となるハロルド・ウィーラーが、ジャジーかつコンテンポラリーなテイストを併せ持った、素晴らしいアレンジを提供してくれました」

複数の鏡を立体的に使ったステージングが圧巻だ。 Photo Courtesy of Donna McKechnie

■身をもってセカンド・チャンスを体験
 初演は1975年5月21日に、オフ・ブロードウェイはパブリック劇場内のニューマン劇場でオープン。たちまちチケット入手困難のヒットとなり、早くも同年7月25日には、オンのシューバート劇場に移り続演を重ねる。マケクニーも絶賛を浴び、一躍スターの座を獲得。彼女はその時、自分でも予期していなかった観客の反応に驚いた。
「四面楚歌の状態で第二のチャンスに必死で賭け、オーディションに合格したキャシーに、自身を重ね合わせたお客様が多かったの。つまり事業で失敗して、自殺まで思い詰めた男性が、この作品を観て踏み止まったり、交通事故に見舞われた家族が、病室に私の写真を貼って快復の目標にしているといった、感謝の手紙を沢山頂いた。今でも大切にとってあるのよ。嬉しかったと同時に、『コーラスライン』が万人に訴え掛ける普遍性を実感しました」
振付・演出家マイケル・ベネットと Photo Courtesy of Donna McKechnie
 そして今度は、マケクニー自身がセカンド・チャンスを体験する事となった。彼女は、1976年にベネットと結婚するも短期間で破綻。そのストレスに加え、本作で身体を酷使した疲労がピークを極め、間節リウマチを発症する。進行すると骨や軟骨が破壊される難病だ。しかし、懸命なリハビリの甲斐あって徐々に回復。本格的な復帰作は、もちろん『コーラスライン』だった。カムバックに手を差し伸べたのがバーヨーク・リー。初演ではアジア系ダンサーのコニーを演じ、以降はベネットの薫陶を得て振付と演出を受け継いで、数多くのツアー公演を成功に導いた。今回来日するカンパニーも、彼女の振付・演出だ。
「長い間離れていたので、バーヨークに『以前のように踊る自信がないわ』と不安を漏らすと、『3ケ月あげる!』(笑)。それで必死にレッスンをして、1985年のツアー公演での復帰がいました(翌86年にカンパニーと共に来日)。でも病を克服し再びキャシーを演じてみて、改めてセカンド・チャンスの有難さを噛み締めた。バーヨークには感謝しているし、稀有なミュージカルに関われた事を今でも誇りに思っています」

マケクニーのヴォーカルも収めた、初演40周年記念オリジナル・キャスト・アルバム(2015年リリース/輸入盤CDかダウンロードで購入可)

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