ジュディ・ガーランド生誕100年記念
(Part 9) 生涯最後の絶唱を収め
たライヴ録音がリリース!~「ザ・ブ
ロードウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]

ジュディ・ガーランド生誕100年記念(Part 9)生涯最後の絶唱を収めたライヴ録音がリリース!
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 今年2022年に生誕100年を迎えた、20世紀を代表する天才歌手ジュディ・ガーランド(1922~69年)が遺した、数々のレコーディングを紹介してきたこの連載。遂に、その生涯を締め括る最後のステージとなった、1969年のライヴ録音「ジュディ・ガーランド/ザ・ファイナル・コンサート・イン・コペンハーゲン」がリリースされた。決して万全とは言えぬ体調の中、それでもベストを尽くす彼女のエンタテイナーとしての矜持を捉えた、貴重な記録となっている。
■「ジュディ 虹の彼方に」のその後
空港で記者会見に応じる、ガーランドとミッキー・ディーンズ(5番目の夫) Photo Courtesy of Scott Brogan

 レネー・ゼルウィガーがガーランドに扮し、アカデミー賞主演女優賞に輝いた「ジュディ 虹の彼方に」(2019年)。あの映画は、最晩年のガーランドが、ロンドンのナイトクラブ「トーク・オブ・ザ・タウン」に出演した際のエピソードを中心に構成されていた。実際の記録では、1968年12月30日から、翌69年2月1日までの公演。実はそれが最後のライヴではなく、その後に北欧ツアーをこなしていたのだ。3月19日からスウェーデンを巡演後、デンマークに移動し、3月25日にコペンハーゲンのファルコナー・センターでコンサートを開催。それがガーランドにとって、ラスト・ステージとなる。この録音は、7年前に限定盤でリリースされたが、今回新たにリマスターを施し、追加曲も収めたコンプリート仕様での発売だ。

■衰えを知らぬ歌声で新曲にも挑戦
 ガーランドがロンドンのアパートで、鎮静剤の過剰摂取により急逝したのは1969年6月22日。その3か月前に録音されたのが、コペンハーゲンでのコンサートだった。上記のジャケ写や、ここに掲載したステージ写真を見る限り、身体はやせ細り何とも痛々しいが、声は非常に良く出ている事に驚嘆する。最後まで、舞台を全うするプロの矜持は失わなかったようだ。
コペンハーゲンでのコンサートより(下も) Photo Courtesy of Scott Brogan

 当日ガーランドが歌ったナンバーは11曲。1曲目の〈ゲット・ハッピー〉から快調に飛ばし、〈行ってしまったあの人〉や〈ロッカバイ・ユア・ベイビー〉などの得意曲を、張りのある声で歌い上げるが、比較的新しいレパートリーも取り入れており興味深い。それが、「新曲」と紹介して歌う〈アイド・ライク・トゥ・ヘイト・マイセルフ・イン・ザ・モーニング〉だ。ガーランドに才能を認められた若手作詞作曲家ジョン・メイヤーの曲で、「朝は自分が嫌になる。でも夜は大騒ぎして顰蹙を買いたくなるの」という、酒量も半端なかった彼女に相応しいコミカルな歌。また1966年のリリース後に、トニー・ベネットやスティーヴィー・ワンダーのカバー盤で大ヒットした、〈フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ〉も晩年に好んだ曲だった。ここでも、「人生に一度だけ、私を必要とする人と出会う」と情熱的なヴォーカルを聴かせている。

Photo Courtesy of Scott Brogan
■波乱の生涯を締めくくる感動のパフォーマンス
 さらに、このコンサートで前座を務めた、ジョニー・レイとのデュエットも2曲収録しており注目だ。彼は、〈クライ〉や〈歩いて帰ろう〉、〈雨に歩けば〉などのヒットで、1950年代に一世を風靡した熱唱型歌手(上のジャケ写でピアノを弾いている男性)。芸人一家の悲哀を描いたミュージカル映画「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)で、芸人を辞めて神父になる長男を演じたレイを、御記憶の方もいるだろう。ガーランドとは公私共に親しく、〈雲流るるままに〉と〈アム・アイ・ブルー?〉で息の合った二重唱を披露する。特に前者は、ブロードウェイ草創期の記念碑的名作『ショウ・ボート』(1927年)を生み出した、作曲家ジェローム・カーンのナンバー。ガーランドも出演した、カーンの伝記映画(1946年/ワンコインDVDで入手可)の同名タイトル曲で、センチメンタルな旋律が美しい。
ガーランドを始め、フランク・シナトラら豪華スターが総出演した、映画「雲流るるままに」(1946年)のアメリカ公開時ポスター Photo Courtesy of Scott Brogan
 続いて十八番の〈サンフランシスコ〉で盛り上げた後、プログラムの最後にガーランドが歌った曲が〈虹の彼方に〉。出世作「オズの魔法使」(1939年)で披露して以来、彼女のテーマ・ソングとなった美しいバラードで、ソロのコンサートでは人生の最後に歌った楽曲となった。ステージに腰を下ろし、「虹の彼方の空高くに、いつか子守歌で聴いた国がある」と歌い始めると、客席は水を打ったように静まり返る。やがて歌声が涙で曇ると、観客もガーランドの苦難多き人生に想いを馳せ感無量に。それでも最後は声を振り絞って力強く歌い上げ、スタンディング・オベーションが延々と続く。ガーランドのライヴではお決まりの光景だが、特にこの日は渾身の力で熱いヴォーカルを聴かせており、感動もひとしおだ。
ステージに腰掛けて、ラスト・ナンバーの〈虹の彼方に〉を歌う。 Photo Courtesy of Scott Brogan
■ガーランドの輝かしきレガシーを後世に
 ガーランドはその後、3月にロンドンで結婚したミッキー・ディーンズ(NYのディスコのオーナー兼ドラッグのディーラー)と共に、ロンドンとNYを往復。6月15日にはNYのライヴハウスで、友人のジャズ歌手アニタ・オデイのショウに飛び入り出演して、〈エイプリル・シャワーズ〉など数曲歌ったのが、観客に姿を見せた最後となる。一方、コンサートやレコーディングへも意欲を示していた。しかし気力は十分だったものの、肝心の体力が追い付かなかったようだ。17日にロンドンに戻り、その5日後の6月22日、バスルームで息絶えていた彼女をディーンズが発見した。享年47。当時から自殺説が後を絶たなかったが、10代の頃から撮影所にドラッグを強要され、身体は衰弱の極み。47歳が天命だったのだろう。
6月23日に、ガーランドの訃報を一面で伝えるNYのデイリー・ニューズ紙 Photo Courtesy of Scott Brogan
 1960年代中盤からは、公演への遅刻やドタキャンが相次ぎ、加えて好不調の波も激しかった事から、「晩年ヨレヨレ説」が近年まで喧伝されてきたガーランド。今回リリースされたコペンハーゲンでのライヴ録音は、それを覆す優れたアルバムに仕上がった。なお音源は、デンマークのラジオ局が収録したものと、コンサート・ホール側でレコーディングしたオリジナル・テープから、最新鋭の技術を駆使しリマスター。満足の行くクリアなサウンドを再現している。カナダのリリース元 HIGH DEFINITION TAPE TRANSFERS か、Amazon.ca(Canada)からオーダー可能だ(詳細は下記リンクを参照)。

ガーランドの遺体はNYに搬送され、6月27日にキャンベル葬儀礼拝堂で葬儀が執り行われた(共演者や友人、ファンを含む22,000人以上が参列)。 Photo Courtesy of Scott Brogan

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