SION

SION

デビューしてから今も
やっていることは何も変わってない

今はデビューから30年以上経っていますが、デビュー前は家もないのに路上ライヴをやっていたというエピソードも拝見して…

いやいや、そんなことはないんだよ。俺はね、山口にいた頃からバイトをして、新幹線に乗って東京に来たんだから。潰れかけのスナックの裏だったけど、ちゃんと家も借りていたし。それをあとから山口から東京まで歩いて来たとか、虫を食って暮らしていたとか、神田川に何日か浮かんでいたとか(笑)、イメージでめちゃくちゃな話がいっぱいあるんだよね。

そうだったんですか!?(笑) 失礼しました。30年経って何が変わりましたか?

デビューしてから今もやっていることは何も変わってない。仕事で歌を書いていないからなのか、無理して良く見せても自分は出ちゃうし。一年に十何曲くらいは書くだろうけど、それはずっと昔からやっていることで、それが生活の中心だから変わりようがない。

SIONさんは初めて曲を書いた時から、ご自分のことを歌っていたんですか?

初めて書いた曲は「クミちゃん」みたいな曲だった気がするけど、“なんとかヤラしてくれないかな?”って歌詞だから、それからは変わってるよ(笑)。まぁ、今も「休みたい」とかちょっとふざけた曲も書くから、根本はずっと変わってないかもしれないね。俺は好き勝手にやって、チャンスをピンチに変えてしまうプロだけど、それでも音楽を続けられているのは、俺の歌をまだ聴きたいと思ってくれている人がいるからで。そこがツイているのかな? 今のところ6人くらいいるんだよ。

もっといますよ!(笑) チャンスをピンチに変えてしまうくらいのSIONさんでも“もうダメだ”と思ったことはありますか?

毎回ダメだと思っているよ。35歳くらいからしっかり立ち上がっていないから、“もうダメだ”って落ちても、ちょっと膝立ちくらいで立ち上がったことになるんだよね。そんなに高いところを目指していないし、年齢のせいにしちゃいけないんだけど、いろんなことが全部億劫になってきた。草笛光子さんが“老いとは億劫との戦いです”っていいことを言っていたんだけど、確かに面倒くさくてね。そんな面倒くさがり屋が、今書いている歌のフレーズをどの楽器にするか悩んでいたり、“この歌詞がな~”とか言っているのもまた面白いよね。

その35歳には何があったんですか?

84年くらいに初めてニューヨークに行った時、周りの人にニューヨークにすごく合うって言われたの。たぶん俺に必要だと思うって言っていたんだけど、結局その時に英語を勉強しなかったんだよね。それは必要なかったからだって当時は思っていたんだけど、俺にはその努力が足りないんだよ。“どうして勉強しなかったんだろう?”って、自分にがっかりした。“小さい頃からこの右腕が上がるって思っていたら上がっていたのかもしれない”っていうくらいに頑張り方が足りなかった。それを35の時に強烈に感じたかな?

最後にSIONさんにとってのキーパーソンをおうかがいしたいのですが、思い当たる方はいらっしゃいますか?

いない。誰ともつながりたくなかったからね。でも、爺ちゃんの歌はすごく多いんだよ。親とは話したいと思わないけど、爺ちゃんには話したいことがたくさんある。今、戦争をやってるでしょ? うちの爺ちゃんは若い時にシベリアに行っていて、写真を見たら大砲を引っ張ったりしていてね。“人を殺して褒められることに参加するってどういう感じなんだろう?”とかさ。戦争じゃなかったら死刑になっているところを、その時は殺せば殺すほど褒められて、勲章をもらって、捕虜になって、帰国したら、絶対だった天皇が負けを認めて…もっと話が聞きたかった。でも、たまに狂ったように暴れたのはそのせいかと思うと、やっぱ聞けないね。一緒に縁台に座ってまた西瓜を食べたり、焚き火で芋を焼いたり、干し柿を作りたいなぁ。会いたいなぁ。そう考えると、俺のキーパーソンは爺ちゃんなのかもしれない。

取材:千々和香苗

OKMusic編集部

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