+α/あるふぁきゅん。

+α/あるふぁきゅん。

【+α/あるふぁきゅん。
インタビュー】
最後には必ず
“やっぱり生きていたい”
というマインドで歌っていた

自分に負けそうだと思った時に、
ちゃんと自分と会話をしようと思った

2種類に分類される歌詞のもうひとつは、言わば“隣人を愛せよ”といったスタンスです。これは「共鳴ダリア」がもっとも色濃いと思いますし、「かくれんぼ」や「口癖(feat. Gero)」も逆説的に隣人の大切さを描いているようにも思います。

そうですね。まず「共鳴ダリア」で伝えたかったことはふたつあって、ひとつは個人的なことで、もうひとつはみんなに言いたいこと。個人的なことというのが、“その子が死んだら私も死ぬ”みたいな私の心臓だと思っている友達がいて、絶対にその子のことを歌いたかったというのがありました。それは私の自己満ですね。もうひとつは、よく亡くなった人に対して“もっといろいろとしてあげれば良かったな”って言うじゃないですか。それって本当に意味がない。だから、歌詞にも《君が逃げたいと言うなら/私は止めないよ》とあるんですけど、私はそう言えるくらい、どんな身近な人であっても、相手がいつ亡くなっても後悔しないように、私がやれることは全部やろう、応援してあげよう、助けてあげようっていうふうに思うんですね。それを伝えたいんですよ。極論、“死んじゃったら仕方がない。黙って合掌しよう”と思えるくらい、身を削ってでも相手を助けてあげてほしい。

「共鳴ダリア」はそういう内容ですね。「かくれんぼ」は相手が亡くなってしまったことが綴られていて、まさに逆説的という。

「かくれんぼ」は後悔の曲で、「共鳴ダリア」は“後悔のないようにちゃんとやんな!”という曲ですね。「かくれんぼ」は後悔のないように“死んでしまっても仕方がない”と思うくらいやってあげようと思いつつも何もできなかった人に対する曲でして、“このくらい本当に愛している人がいなくなったらつらいんやで”っていう(苦笑)。

+α/あるふぁきゅん。さんは“歌ってみた”というところから出てきた方と聞いています。これも変な固定概念かもしれませんが、あれは歌詞もメロディもすでにあるものを歌うわけで、そこに自分の気持ちを反映させるといっても限界があるように思うのですが、お話をうかがってますと、+α/あるふぁきゅん。さんはご自身の気持ちを伝えたいという想いのほうが強いのでしょうね。

そういう感情が芽生えてきたのが2018年くらいですかね。

それまではボカロ曲を歌って楽しい、面白い…くらいだったんですか?

当初は歌手、アーティスト、歌い手としてやっているはずなのに、どこか気持ちが楽曲のファンみたいな意識のほうが強くて(苦笑)。

コスプレイヤーに近い感覚でしょうか?

そうです、そうです(笑)。“○○になりたい!”みたいな感じですね。“この曲を歌いたい! ボカロP、最高!”みたいな感じだったのが現在のスタイルになったことで、きっとリスナーさん、ファンのみなさんは感じていると思いますね。“あぁ、何かあったんだろうな”って(苦笑)。歌う曲も一気に変わったし。みんな、流行モノを聴くじゃないですか。私も当時はファンだったんです。+α/あるふぁきゅん。なんだけど、楽曲のファンだった…YouTube、ニコニコ動画全般なんですけど、ネットアーティストのファンだったから、流行っているものは聴くし、流行っていてめちゃくちゃハマっちゃった曲は“歌いたい”って思うし。

今回収録されている“歌ってみた”の既存曲にそれを重ねていいかどうか分かりませんが、「-ERROR」のずっと上がり続けるメロディはーとてもスポーツ的と言ったらいいのか、ああいうところを歌いきれたら気持ち良いでしょうし、ボカロ曲を歌う快感のようなものは本作を聴いて少し分かった気がします。

快感はありますね。これね、歌い終わったあと、痰にちょっと血が混じっていました(苦笑)。

喉が切れましたか(苦笑)。

はい。なので、絶対に生ではこのままのキーで歌えない曲ですね。やっぱりライヴとレコーディングは違っていて…“レコーディングもライヴみたいに歌うよ!”っていう人もいっぱいいると思うんですけど、私はレコーディングになると職人で、陶器を作る人みたいになっちゃうというか。それだけ感情が乗るんです。それがすごく気持ち良いし、楽しい。ライヴに匹敵するか、ライヴ以上の楽しみがあるんです。

ただ、そうした肉体的な楽しさ、気持ち良さだけでなく、そこに“自分はこう考えているんだ”ということもしっかりと入れ込みたいということですね。それが2018年頃から芽生えてきたと。

そうですね。「命に嫌われている」を投稿した2018年頃なんですよ。「-ERROR」もそうだし。2018年から2020年のお尻くらいまでの間って、たぶん人生で一番しんどい期間だったんですよね。このアルバムを制作して発表するというのは、絶対にその期間がきっかけとしてめちゃくちゃありますよね。

その間というのはコロナ禍でもありましたし、2018年から2020年にかけて+α/あるふぁきゅん。さんが体験して感じたことを楽曲にしてきたという感じなんでしょうね。しかし、それまでファン意識が強かったという方がそこに至ったというのは本当に大きな変化ですよね。

人って変わるんですよね。一年後とかに全然別人になっている可能性もありますから。もしかすると、“何で自分はインタビューをしていたんだ?”って思う日がくるかもしれないですよ(笑)。

自分に関してはもうそれはない気はしますけど(苦笑)。

あり得ないって思うでしょうけど、それが起こっちゃうんですよ。私が体験したのは『奇跡体験!アンビリバボー』みたいなことですけど(笑)。

+α/あるふぁきゅん。さんの場合は、シンガーからアーティスト、創作者になるという、かなり大きな変化だったと。

“どうして私は自分の中にある他人に話たくないことを言えちゃったんだろう?”と考えた時、“あっ、これだ!”と思ったことがあって。“こう思われるかもしれない”“こんなふうに言い返されるかもしれない”“もっと傷つくかもしれない”“私のイメージがだだ下がりかもしれない”…と思うのってプライドなんですよね。自分というものを守っていて、“私のイメージをこのままにしておきたい”という変なプライドがあったんですけど、そのプライドが全部消え去った時、普通に仕事場のミーティングでベラベラしゃべれたという。

鎧なのか殻なのか分かりませんが、己を包んでいたものが剥がれたんですね。

その感覚はありましたね。承認欲求と独りよがりな自己肯定感が一切なくなったという。それが私にとっては素晴らしい出来事でした。

承認欲求、独りよがりな自己肯定感だけに寄りかかってしまうとキツいですよね。

普通にアーティスト活動していて、承認欲求だらけの人ってしんどいと思います。それが悪いとも良いとも言わない…世の中にある病という病は全て個性だと思っているからそれでいいんですけど(笑)、承認欲求と独りよがりな自己肯定感って生きづらいんですよ。人々を蝕んでいるような気がしますね。それが一切なくなって楽ですもん。周りを何も気にしてないんで(笑)。

それは心や気持ちが晴れるというのとはまたちょっと違う感じなのでしょうか?

“晴れる”ということで言えば、私はさっき言ったような経験を経たのでこういう曲を作ろうと思ったし、今、人を傷つけていることに気づいていない人とか、人に傷づけられている人とか、そういう人たちに“ねぇ、あなたたちさ”って語りかけたかった気持ちはありますね。もし私と聴いている人が会話することができたら、そこで気持ちが晴れるのかもしれませんね。ただリスナーに投げかけるだけ、言うだけではなくて、私は曲を通してファンとの会話を目的として書いているので、このアルバムを聴いている時だけでもいいから、その瞬間だけは友達や知り合いのように話せるのかなって。

OKMusic編集部

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