新国立劇場でグルックの《オルフェオ
とエウリディーチェ》が開幕~男女の
葛藤を描いた究極のオペラ【ゲネプロ
・レポート】

いつの時代でも人間の悩みは変わらない。心の底から愛し合っているはずの男女も、お互いを理解しているとは限らないのだ。愛する妻エウリディーチェの死を嘆き悲しむオルフェオは、アモーレ(愛の神)の導きで黄泉の国に妻を迎えに行く。だが神々が定めた、地上に戻るまで彼女の顔を見てはならぬ、という条件は二人の心を危機に陥れる…。
《オルフェオとエウリディーチェ》は1762年にウィーンで初演された、バロックから古典主義音楽への過渡期の作品である。イタリア人の台本作家ラニエーリ・デ・カルツァビージとドイツ人の作曲家クリストフ・ヴィリバルト・グルックが、それまでのバロックオペラの、歌手が自分の技量を披露するためにアリアを次々に歌うという流行に反発して、ドラマと歌の融合を目指した作品だ。ストーリーの枝葉をカットして、登場人物を可能な限り減らし、音楽的にも無駄な装飾を排している。全3幕で作品の演奏時間自体は約95分と、作りもコンパクトだ(今回は第1幕と第2幕を続けて約60分、休憩25分間を挟み、第3幕が35分で、トータルの上演時間は約2時間となる)。
この作品はまた、ダンスが重要な要素になっている。歌の合間に踊りのための曲が数多く挿入されているのに加え、全曲を通してダンサーたちが活躍する演出もよく見られる。その意味で今回、舞踊家の勅使川原三郎が《オルフェオとエウリディーチェ》の演出・振付・美術・衣裳・照明を手がけるのはまさに理にかなっているといえよう。勅使川原は、パリ・オペラ座バレエ団から何度もダンス作品振付を委嘱されるなど、ヨーロッパの一流劇場におけるバレエ振付や、オペラの総合演出を手がけており、彼の振付の才能と独特の美学に貫かれた舞台作りはグルックの世界を表現するのにふさわしい。
ここでは、2022年5月19日(木)に新国立劇場オペラパレスで開幕した《オルフェオとエウリディーチェ》の、舞台総稽古(ゲネプロ)の様子をレポートする。
指揮は今回、バロック時代の音楽に造詣が深い鈴木優人が新国立劇場に初登場。序曲が始まると東京フィルハーモニー交響楽団から、一瞬ピリオド奏法のオーケストラかな?と思わせられる、繊細で颯爽とした音色が立ち昇る。オリジナル楽器のシャリュモー(クラリネットの前身)とコルネット(ツィンク)が追加されており、オペラ冒頭部分のオルフェオの嘆きをこだまが返す場面では、舞台上でシャリュモーが演奏され素朴な音色に魅せられた。第2幕、第3幕が始まる前には、本来はこのオペラ最後のダンスのために書かれた舞曲が演奏され、それぞれ雰囲気に合っていて楽しめる。グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》は物語の進行を担うレチタティーヴォ(語り部分の歌唱)の伴奏に、全て弦楽がついてドラマチックな響きを持っているのが特徴である。この部分で使われるチェンバロも鮮やかな音色でムードメーカーとして重要な役割を果たしていた。
美術装置は第1幕と第3幕は舞台中央に大きな盆が置かれ、主人公たちは主にその上で演技をする。一方、ダンスが重要な第2幕では盆はなくなり、巨大な百合の花が黄泉の国への門を形作る。照明は全体を暗く抑えた始まりから、物語に沿って光に満ちた空間へと静かに変化していく。
このオペラは各幕にそれぞれ違った特徴があり、第1幕はエウリディーチェの死を嘆くオルフェオが黄泉の国へ旅立つまでを格調高く描く。第2幕は黄泉の国の描写で死霊たちの歌や踊りが見せ場となり、彼らを説得するオルフェオの歌も聴きどころだ。第3幕はエウリディーチェに事情を説明できないオルフェオと夫の愛を疑うエウリディーチェの苦悩が描かれ(モーツァルト《魔笛》の試練に近いものがある)、分かり合えない男女のやりとりが会話劇としての醍醐味を持つ。そして最後は愛の神が再び降臨し喜びの歌と踊りで幕となる。
今回はウィーンで初演されたイタリア語版の上演だが、《オルフェオとエウリディーチェ》にはグルック自身が後にパリで上演したフランス語版(1774年初演)も存在する。第2幕の「精霊たちの踊り」の中の有名なフルート・ソロはパリ版のために書いた曲なので、ウィーン初演版の「精霊たちの踊り」には出てこない。今回、パリ版からは迫力に満ちた「復讐の女神たちの踊り」が転用され、「精霊たちの踊り」の前に追加された。
登場人物はオルフェオ、エウリディーチェ、アモーレの3人だが、アモーレは第1幕と第3幕に少しずつ登場、エウリディーチェは第3幕にしか歌わない(第2幕の最後は姿のみ登場)。したがってオルフェオと合唱がオペラの大部分を歌うことになる。今回の上演でまず素晴らしいのが、オルフェオ役を歌うカウンターテナーのローレンス・ザッゾだ。バロックオペラの経験が豊かなザッゾは声量たっぷりの輝かしい声を持ち、音楽的にも充実した歌唱である。愛情深いオルフェオを演じ、有名な第3幕のアリア「エウリディーチェなしでどうしたらよいのだ?」では悲しみで言葉が途切れ途切れになるような歌い方に感情がこもる。ザッゾの歌を支える指揮とオーケストラも見事だ。
エウリディーチェのヴァルダ・ウィルソンは長身の美しい歌手で、夫を理解できない悲しみをストレートに伝える歌唱は、現代にも十分通じる男女の葛藤を表現して秀逸。ザッゾとのバランスも良い。アモーレの三宅理恵は味方なのかどうかあいまいな愛の神を完成度の高い歌で聴かせた。
合唱団は主に舞台脇に位置し古代ギリシャ劇のコロスを思わせる雰囲気も。友人たち、復讐の女神たち、エリゼの園の精霊たちなどを演じ分ける多彩な歌唱だ。
ダンサーは4人。特定の人物を表現するのではなく、その時々のドラマや心理を踊っていくようである。振付は動きがとにかく音楽的で素晴らしい。衣裳を変えることで対比が変化するのも効果的。勅使川原の舞台に欠かせない佐東利穂子に加え、今回は名門ハンブルク・バレエのプリンシパル、アレクサンドル・リアブコが出演する。リアブコは日本でもよく知られているアーティストだが、ジョン・ノイマイヤー振付『ニジンスキー』が彼の代表作に数えられるように、魂の嘆きや叫びを表現する踊りに長けたダンサーだ。佐東のしなやかな動きとリアブコの手足の先まで使った造形は物語を次々に描き出していく。高橋慈生と佐藤静佳もバランスの良い踊りで、特に高橋はパリ版から追加された「復讐の女神たちの踊り」でリアブコとシンクロして動く細かいステップのたたみかけるような踊りが印象的だった。
ギリシャ神話のオルフェウスは竪琴の名人である。愛するエウリディーチェを失い黄泉の国に行って歌の力で地獄の住人たちの心を和らげるというストーリーは、モンテヴェルディの《オルフェオ》をはじめ多くのオペラになってきた。カルツァビージとグルックが〈オペラ改革〉を目指した一作目の題材に選んだのも頷ける。カルツァビージの台本は、深く愛して結婚したはずの伴侶と理解しあえないという苦しみを、男女両方の側からかなりリアルに書いている点が大きな特徴だ。そしてグルックがそれを見事に音楽にしている。今回の二人がどのような結末を迎えるのか?彼らの歌から私たちひとりひとりが自分なりの解釈を持ち得ることこそ、オペラの真の醍醐味なのである。
公演は5月22日(日)まで。
取材・文=井内美香
写真撮影=長澤直子

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