『MAMALAID RAG』は
流行廃りとは
まったく無縁と言える
普遍的音楽良品

良質、上質なメロディーメイク

随分と前置きが長くなったが、ここからは『MAMALAID RAG』の内容について述べたい。まずは収録曲のメロディーから。ひと言で言えば、“良質”や“上質”というワードが似合うだろうか。こちとら作るほうのプロではないので、音階のセオリーといったものを論理的に説明することには長けていないので説明が難しいけれど、強いて言えば、しっかりとした抑揚を持ちながら、これ見よがしなところがまったく感じられないメロディーライン…といった感じだろうか。歌はいわゆるA、B、サビと展開していくものがほとんどのようだが、BがAともサビとも極端に異なるフレーズになっていない印象。J-POP的ではあるとは言えるものの、“はい! ここからBメロです!”みたいな、A、B、サビのそれぞれがパキッと分れているような感じはない。あくまでもシームレスにつながっている印象だ。全曲がそうだと言っていいと思う。

また、歌メロは、それこそ当時の“ディーヴァ”が歌うR&Bほどではないにせよ、ハイトーンに昇る箇所もあって(M4「向こう側」やM6「ワトスン」でのファルセットとか)、そこだけで見てもメロディーの豊かさが分かるが、かと言って、それが“突き抜けている”とも表現できないところにこのバンドの優秀さ、引いては時代性のなさ、普遍性をも見出だせるようにも思う。そこはまさに前述した“これ見よがしなところがない”ところでもある。端的に言えば、田中拡邦(Vo&Gu)の声を張らないヴォーカリゼーションがその秘訣(?)だろう。腹から声を出していない…というと、決してそんなことはないだろうから、かなり語弊のある言い方であることは承知しているが、そのゆったりとした歌い方を分かってもらうにはその形容がベターのように思う。楽に歌っているとか、ましてや歌が下手だとか言っているのではないので、その辺がくれぐれも誤解のないようにお願いしたい。はっぴいえんどを知る人ならやはりその歌を彷彿するだろうし、音楽ファンには細野晴臣や大瀧詠一の歌い方という説明が最も分かりやすいように思う。妙な熱さがない。そこがメロディーの良い強調していると思う。

メロディーが良質、上質なのは歌に限った話ではない。楽器が奏でる旋律もとてもメロディアスだ。そして、そこもまた──“ここまでがイントロで、ここからが歌。で、ここからが間奏です”といった具合に、パキッと分れているのではなく、実にいい感じで連なっている楽曲が多い。だからこそ、聴いていてとても気持ちが良い。これまたどの楽曲もそうで、具体例を挙げるのがちょっと難しいと思ってしまうほどだが、個人的にはM5「夜汽車」で奏でられる旋律の連鎖にグッときた。前半は文字通りの“夜汽車”よろしく、リズミカルだがそれでいて淡々と進んでいくのだが、2サビのあとの間奏では、そのゆったりとしたノリを崩さないようにオルガン~エレキギターで主メロが奏でられていく。派手さはない。地味と言っていいと思うが、だからこそ、感情のわずかな昂りが表現されているような印象がある。

M8「春雨道中」もいい。サビ頭で、ギターがわりとノイジーでオルタナっぽく、そこに若干の時代性を感じなくもないのだが、この楽曲ではCメロ(大サビ)から間奏でのギターソロ、そしてBメロ(ていうか、あそこはAメロ後半かもしれない)からサビ、そしてアウトロで奏でられるギターとオルガンとのアンサンブルが素晴らしい。感情が淀みなく連なっていく様子。ドカンと分かりやすく盛り上がる箇所はないけれど、確実に聴き手のテンションは上がっていくはずだ。何でも最近はイントロや間奏の不要論があるとも聞くが(それはそれでいずれ持論を書きたいが)、それが主流になったらM8の気持ち良さは体験できないだろう。その意味でも、『MAMALAID RAG』は流行廃りとは無縁だし、普遍的と言っていいのかもしれない。

OKMusic編集部

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