渡辺美佐子が『美しきものの伝説』で
舞台活動引退。89歳、伝説の新劇女優
・松井須磨子役でラストステージへ

渡辺美佐子が、舞台俳優としての活動を引退する。68年のキャリアの最後を飾るのは、2022年6月16日(木)開幕の新劇交流プロジェクト2『美しきものの伝説』(作:宮本研 演出:鵜山仁)だ。会場は俳優座劇場。ベル・エポックといわれる大正期の、美しいばかりではない側面を描く群像劇で、渡辺は伝説の女優・松井須磨子を演じる。
5月9日に行われた会見では、はじめに渡辺が「舞台活動の引退という個人的なことで、皆様にお集りいただいて大変恐縮しております」と、丁寧に感謝を述べた。そこで語られた最後の舞台への意気込み、舞台俳優としての思いとは。会見の模様をレポートする。

■美しきものの伝説
渡辺美佐子は、1932年10月23日、5人兄弟の末っ子として東京・麻布に生まれた。現在89歳。
「私は非常に元気です。持病もありません。戦時中は、母から毎朝渡される一握りの大豆が1日の食料ということもありましたが、そのような時も病気一つせず、70年近い舞台生活でも休演や降板は一度もありませんでした。元気な体をくれた両親に大変感謝しています」
渡辺の佇まいの若々しさ、言葉のたしかさや瑞々しさを前に、あらためて「なぜ引退を」と問う声もあった。
「舞台に立つならば、とにかく元気でなければダメという思いがあります。たとえ病人の役をやるにしても、役者本人は健康でなくではいけない。体だけでなく気持ち的にも、余計な感情や心配事のない状態で舞台に上がれるよう心がけ、公演期間は体に悪いものは食べないように。好きだったテニスやゴルフも怪我を恐れて控えました。それから、苦手な方とはあまり会わないようにして(笑)」
「そのように70年近く過ごしてまいりましたので、元気なうちに舞台活動をおしまいにしようと考えていました。今回は、鵜山仁さんの演出、宮本研さんのお芝居で、新劇女優第一号の松井須磨子さん役。会場は俳優座劇場です。ちょうど良い機会をいただいたと思いました」

■殻を破ろうとし、自立しようとした女性たち
『美しきものの伝説』は、1968年初演の宮本研の戯曲だ。今回は鵜山仁が演出する。渡辺は松井須磨子を演じる。日本で最初の新劇女優だ。
「(出演が決まった時)早稲田大学の演劇博物館さんから松井さんの資料を色々お借りしました。そしてコロナで公演が延期となった2年の間に、松井さんの真似をするのはやめよう。私が真似ようとして真似できる方ではない。そう思うようになりました」
松井須磨子の活動期間は、1909年から1919年まで。長くはないが、島村抱月との関係や、日本初「歌う女優」などセンセーショナルな話題も多く一世を風靡した。
「松井さんは長野県の田舎から東京に出てきて、島村抱月さんと組み、芸術座でトルストイの『復活』『アンナ・カレーリナ』、イプセンの『人形の家』などを上演します。それまで日本の芝居では、女性の役といえば恋に流され、捨てられ、嫉妬に狂い……悲しみにヨヨと泣きくずれる描かれ方が多かったんです。けれども須磨子さんが演じた女性たちは、殻を破り自立しようとし、自由を求めます。当時の観客は『女性も自立できるんだ』『女の人の自由も認めなきゃいけないんだ』と思われたことでしょう。女性たちは潜在的に押しつぶされそうになっていた気持ちを揺さぶられ、男性も大きな衝撃を受けたのではと思います」
奇しくも渡辺の父親は、松井と同郷の長野県出身。
「私個人の想像ですが、長野の方はクールでさっぱりとした性格の方が多い。松井須磨子さんもそのイメージです。細かい芸をなさるよりは『私は自由を求める新しい女だよ』とドーンと舞台に立った女優さんではないでしょうか。鵜山さんからも、舞台でただドンと立っていてほしい、と言われました(笑)」
物語の始まりは大正元年。劇中には松井須磨子や島村抱月の他、大杉栄、荒畑寒村、伊藤野枝、小山内薫、澤田正二郎、平塚らいてう、辻潤などをモデルにした人物が登場する。
「大正は、明治と昭和にはさまれた、穏やかで良い時代だったように思われていますね。私もそう思っていました。平塚らいてうさんが『原始女は太陽であった』という言葉を軸に活動され、菅野スガさんのような方々がいて、これから明るい世界がはじまるような匂いがして。でも裏では大逆事件で皆が投獄され、管野スガさんは死刑になり、その後、大杉栄さん、伊藤野枝さんは虐殺されました。密かに昭和の戦争へ進んでいく土壌が敷かれ、恐ろしいことの序曲のような時代だったとも思えます。『美しきものの伝説』は、そのような時にも演劇がどうあるべきかを懸命に論じ、新しいものを求めた若い人たちの思いが綴られた舞台です」

■名だたる演劇人から受け取ったもの
18歳で高校を卒業し、俳優座養成所に3期生として在籍。卒業後は、小沢昭一が立ち上げた劇団新人会へ。映画デビューは、1953年『ひめゆりの塔』。それ以来、舞台と映像で活躍を続け、出演映画は100本を超える。特に印象に残る舞台や演出家を問われると「ありすぎて……」と困った様子をみせつつ、俳優座養成所で師事した千田是也や田中千禾夫、福田善之、斎藤憐、井上ひさし、坂手洋二、演出家の木村光一たちの名をあげた、感謝を述べた。
「沢山の皆さんに育てていただき、演劇人としてではなく、この社会で生きていく人間としての姿勢を教えていただきました。言葉にできないほど大切なものをいただきました」
1959年に俳優座で初演された、田中千禾夫が原爆後の長崎を題材に書いた『マリアの首』では、渡辺は主人公の1人・忍を演じた。
「田中先生は長崎のご出身でした。長崎が壊滅状態にされた怒りや憎しみを封印し、綺麗な祈りを込めて芝居にしてくださったものです。芝居は楽しませたり悲しませたりするだけでなく、祈りを込めるものでもあると教えてくださいました」
また「安保闘争の頃、演劇人たちは仕事を終えると皆、公園に集まりデモに参加するのが日課になっておりました。その中で福田善之さんがお書きになった一連の舞台も忘れられません」と懐かしんでもいた。
1982年には、ひとり芝居『化粧』(のち『化粧 二幕』)が初演される。本作は2010年までの28年間で通算648回上演され、渡辺の舞台活動を語る上で重要な作品の一つとなった。
「井上ひさしさんが作ってくださった、この世に2つとないお芝居です。お芝居は嘘のものですが、このお芝居はその嘘の上に大嘘を重ねます。28年間続けても、後から後から発見がありました。『母』とは、誰にとっても大きなテーマであり、愚かさや愛情といった感情の全てが含まれたお芝居です」
さらに3年後の1985年、広島・長崎の原爆を扱った朗読劇『この子たちの夏』が初演される。構成・演出は木村光一。
「(ウクライナ情勢への思いを問われ)戦争を経験をしているものですから、テレビに釘付けになりますよね。本当に、またか……と。時代は進歩したと言われるのに、今の時代にも爆撃で亡くなる方が大勢いる。いまだに野蛮なことが繰り返されている。人間はどこまで愚かなのだろう……と」
舞台女優としての活動には終止符を打つが、この朗読会には今後も取り組んでいくという。「ご要望があれば全国どこへでも。戦争中に育った私としては、宿命のようなものですから」と言葉に力を込めていた。

■新劇は私の故郷です
10月には卒寿を迎える。今後挑戦したいことを問われると「『美しきものの伝説』の松井須磨子さんをしたいです」と即答し、ユーモアで一同を笑顔にした。同時に、目の前の役への真摯な姿勢に俳優としての矜持を感じさせた。そんな渡辺の、長きにわたる俳優業のモチベーションの源とは?
「とにかく面白かった。それがモチベーションです。私は平凡に育った少女でした。小学4年生の頃に戦争がはじまり、ひもじい思いをしたり、進駐軍に自宅の2階をとられてしまうなどの経験はしましたが、家族は喧嘩もなく、人を憎んだり恨めしく思ったり、本気で怒るようなこともない、波風のない生活を送っていました。それが、ひょんなことで女優の道に入ってみると、いただく役はなぜか激しい役が多くて(笑)。経験したことのない台詞や感情に、『私ってこんな声が出たんだわ』『こんな顔ができたんだわ』と不思議で面白かった。その連続だったような気がします」
『美しきものの伝説』は、「新劇交流プロジェクト」の第2弾として上演される。
「『新劇』という言葉は、もうほとんど死語ですね。20年ほど前に新劇俳優協会でも、“新劇は死語になりつつある。新劇という2文字を外してはどうか”という話が出ました。その時、『僕は千田是也先生を心の師とお慕いしている』『いつまでも新劇の志を持って芝居をしたい』と熱弁をふるわれたのは、小沢昭一さんでした」
千田はロシアやドイツで演劇を学び、社会派の劇作家ブレヒトの演劇を日本に広く紹介したいと考えていた。
「けれどもシェイクスピアのようには観客が集まらない。俳優座では上演がむずかしいので、小沢さんはブレヒトを世間に知ってもらうお手伝いとして、劇団新人会を旗上げされました。皆、納得し『新劇』の言葉を残すことにしましたが、それ以後どうでしょうか。私は、社会と人間の狭間の葛藤を描いた傑作が数多くあった新劇が主流の時代に、舞台俳優として育ちました。新劇は私の故郷です。新劇をほとんど見ることがなくなった今、『美しきものの伝説』をよくぞ選んでくださった! と企画者の方にお礼を申し上げたいです(笑)」
今回のプロジェクトには、新劇の系譜にある7劇団の合同公演として、文学座、文化座、俳優座、民藝、青年座、東演、青年劇場から28名の俳優が集まり、鵜山のオファーにより、フリーの渡辺が加わった。
「29名が出演する群像劇です。私のシーンは多くはありませんが、松井須磨子さんという大きな名前を演じることに、勇みたつような思いです。どこまで追いかけていけるか。私なりの松井須磨子さんをやってみたいです。それが最後の演劇の舞台というのも、ちょっといいなと自分でも思っています」
最後に渡辺に、舞台人として大切にしてきた言葉を聞いた。
「こころよく我にはたらく仕事あれ。それを仕遂げて死なむと思ふ。たしか石川啄木さんの言葉だったと思います。いつも、そのように思っています」
公演は、6月16日(木)から26日(日)まで。
取材・文・写真撮影=塚田史香

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