【moonriders インタビュー】
起きてしまったあとでは、
もう前には戻れない
moonridersの場合、ライヴにおいて
録音物と同じように演奏する気がない
その話の流れから話題を移しますと、ラストに収録されている「私は愚民」について訊かせてください。後半はインプロビゼーションですよね。こういうことができるのは長年やってきたバンドならではのことだろうと思っていたのですが、これにはどんな意図があったのでしょう?
慶一
リアルタイムで全メンバーが同時に録る。ダビングが一切ない。かしぶちくん分を足そうということで、ちょっと単音をダビングしたくらい。で、これはテイク2かな? 録音はテイク3までしかやらなくて、“テイク2が一番いいね”ってことで。インプロのライヴ、結構多いんですよ。インプロって人数が少ないほうがうまくいくんだけど、“この6人でやるとどうなるかな?”というのを「私は愚民」の最後にちょっとつけ足したかったのね。サラッと終わってしまうから、そのあとに異物感を置きたくて、それを投げ込んだ。でも、一回聴いて“面白いね”で2回目は“つまんねぇな”じゃダメなんだ。このテイクは何度聴いてもOKだということだね。岡田くん、他の曲ではあまりキーボードを弾いていないんだけど、ここでは結構弾いていることがデータをもらったあとで判明するんだよ。
慶一
そう! それで9分くらいになっちゃうわけだよ。“何でインプロをやるんだろう?”と思う人もいたかもしれないけど、ここはちょっと…King Crimsonの『Red』というアルバムの中の「Starless」の歌が終わったあとみたいなものが欲しいってデモの段階から思っていたんです(笑)。ひとりではできないんで。
6人でやるのがmoonridersのすごさですね。「私は愚民」の後半のインプロは、まさに先ほど申し上げた“刹那”だと思うわけですよ。その意味でも、この演奏そのものがアルバムの主旨とぴったり合いますし、ラストが「私は愚民」で締め括られるという凄みに、変な言い方ですが、ちょっと空恐ろしさすら感じたところです。「私は愚民」をライヴでやる時は、後半はインプロになるんですか?
レコードはレコードの楽しみ、ライヴはライヴの楽しみがあるというのも、バンドらしいですよね。
慶一
moonridersの場合、録音物と同じように演奏する気がないからね。
こちらも楽しみにさせていただきます。さて、最後にアルバムタイトルについて訊かせてください。“moooonriders”と“o”がふたつばかり多いようですが。
慶一
佐藤優介くんと澤部 渡くんを意識して“o”をふたつ足そうという気持ちもあるし…いろんなタイトル案があって、すごく時間がかかったね。
白井
みんな、この年齢で積極的になっていますからね。“俺の曲を入れろ!”俺のタイトルを実現させろ!”みたいな(笑)。
慶一
(笑)。で、いろんな案が出て、さんざん迷った中で、もう“The moonriders”だけでいいんじゃないかってなったんですよ。そこで澤部くんが“It’s the moonriders”でどうでしょうかと。それは『最後の晩餐』(1991年4月発表)というアルバムの時、アンディ・パートリッジ(XTCのヴォーカリスト)にメンバー紹介をしてもらったんですけど、あれも5年間休んでいたあとの復活で、“さぁ、再び始めるぞ!”ということで、“It’s the moonriders!”ってやってもらって。
博文
その時も“moooonriders!”って伸ばしていたね(笑)。
慶一
“あれを思い起こしたんですけど、それはどうでしょう?”って澤部くんが提案して、“おおっ! それはいいね!”って。で、“moooonriders”って伸ばそうとなったんです。
取材:帆苅智之
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アルバム『It’s the moooonriders』2022年4月20日発売
日本コロムビア
- 【CD】
- COCB-54346
- ¥3,300(税込)
- 【LP】
- COJA-9452〜3
- ¥6,600(税込)
ムーンライダーズ:1976年のデビューから45年以上のキャリアを誇るロックバンド。70年代前半に活躍した、はちみつぱいを母体に1975年に結成される。76年に鈴木慶一とムーンライダース名義でアルバム『火の玉ボーイ』でメジャーデビュー。翌77年にムーンライダーズとして初のアルバム『MOONRIDERS』を発表し、以降コンスタントにリリースを重ねる。86年から約5年間にわたり活動を休止したが、91年にアルバム『最後の晩餐』で活動を再開。常に新しい音楽性を追求するサウンドは、同年代だけでなく数多くの後輩アーティストにも影響を与えている。また、各メンバーが積極的にソロ活動も行ない、それぞれプロデュースや楽曲提供など多方面で活躍中。ムーンライダーズ オフィシャルHP