森山直太朗という
シンガーソングライターの奥深さを
1stフルアルバム
『新たなる香辛料を求めて』で痛感
アーティストとしての姿勢も露呈
M9「革命前夜、ブラックジャックに興じる勇者たち」はオルゴールと波や風の音をバックにしたポエトリーリーディング。言葉は平素だが、はっきりと掴める物語性、メッセージ性は感じられず、内向的な世界が広がる(“凝縮される”と言ってもいいか)。続くM10「今が人生」はのちにシングルカットされたナンバー。いわゆる“カノン進行”で我々には親しみやすいメロディー展開ながら、ゴスペル風味強めのブラックミュージックに仕上げているのは、新進気鋭のシンガソングライターの面目躍如と言えるだろうか。そんなゴージャスなM10に続いて、アルバムのラストを締め括っているのがM11「なんにもないへや」だ。録音方法を変えているそうで音の質感が異なるが、その生々しさが何とも意味深だし、フィナーレに相応しいとも思う。M10、M11はそれぞれこんな歌詞が印象的だ。
《今こそが人生の刻 満ち満ちる限りある喜び/風立ちぬ不穏な日々の只中で 僕は何か思う》《何もないこの世界は 時を経て何処へと行くのだろう/風薫る儚き現の向こうに燃ゆる 陽炎のように/蜃気楼のように 走馬灯のように》(M10「今が人生」)。
《なんにもないへやのなかにぼくは/とりとめのないいきるいみなんぞをさがしてしまうんだよ》《いつかときがきたら ぼくはへやを このへやをすて/まちうけるこんなんなひびのなかを/やるかたないかおであるいていくんだよ》《まちうけるこんなんなひびにぼくは/かけがえのない仕合せをかんじていくんだよ》(M11「なんにもないへや」)。
本稿冒頭でこの『新たなる~』を、聴いた人が何かに思いを巡らせる仕掛けが施されたアルバムであると述べたが、その見立てはどうやら大きく間違ってはいなかったようである。そもそも森山直太朗自身も戸惑いを隠していない様子で、自説をリスナーに説いているというよりは、その逡巡自体を共有したいという意図があったのかもしれない。本人にインタビューしたわけじゃないので真意は分からないけれども、サラッと聴けるJ-POPではないことははっきりしたように思う。そればかりか、邦楽の歴史に確実に楔を打ち込んだ名盤であろう。何気ないひと言で、本作ならびに森山直太朗というアーティストの作品に触れることを拒み、今頃ようやく本作のすごさに気付いたことを恥じるばかりである。
TEXT:帆苅智之