【山内総一郎 インタビュー】
個人名義のアルバムだけど、
バンドのことを歌いたいと思った
バンドマンっていうのが、
僕が一番好きな生き方
「白」のうねるようなベースを弾いているのはどなたですか?
種子田健さんです。中島美嘉さんの曲でベースを弾かれているんです。種子田さんのベースが僕は大好きで。ピアノはウルフルズで弾いている浦 清英さんです。
山内さんがピアノの弾き語りで作った曲をアレンジャーの方々と相談しながらかたちにしていったのですか?
そうです。ただ、いろいろ言うと僕が逆の立場だったら悩んじゃうと思ったので、アルバムのコンセプトである“歌モノを追求する”ということだけをお伝えしました。それ以外…サウンドもろもろはあまり言わないようにしたんですけど、声とピアノというふたつの要素が揃うと、ある程度は方向性が決まっちゃうと言えば決まっちゃうんですよね。mabaちゃんとやった「最愛の生業」とかは、弾き語りと言いながらもピアノでダン・ダン・ダン・ダダンって弾いているから、もうリズムが決まっている中で広げてもらうというやり方だったと思うんですけど…。
ところで、フジファブリックの『STAR』(2011年発表)というアルバムから山内さんは作曲に加え、作詞もするようになりましたが、それ以前に作詞作曲をした経験はあったのでしょうか?
僕の作詞の原点は小学生の頃にプレイした『MOTHER』『MOTHER 2』とかのゲーム音楽に詞をつけたことですね(笑)。作詞をして、歌って、それをカセットデッキで録るというのが楽しくて、中学校に入学するくらいまではやっていました。弟に歌わせたこともありましたよ。それが僕の作詞家デビューです(笑)。
あははは。どんな歌詞を書いていたんですか?
内容はほとんどないです。《そんなにグラウンドにいたら日射病になるぜ》とか、《ファミコンのACアダプターをオカンが蹴っ飛ばして、抜いて、ドラクエ3の記録が消えた》とか、そういう歌詞なんですけど、それが僕のブルースの原点ですね(笑)。そんな歴史もあるんですけど、バンドを始めて作詞をやろうと思ったことはアマチュアの頃…10代の頃にあると言えばあります。でも、“これじゃない。これじゃない”というのが続いて、ゴール設定がなかなかできずで、“これが完成!”という歌詞がなかなか書けなかったんです。だから、『STAR』を作って“このバンドを続けていくんだ!”って思ってからですよ、ちゃんとゴールを決めて歌詞を書くようになったのは。
歌詞を完成させることはなかなかできたなかったものの、作詞作曲をやりたいという気持ちは昔から持っていたのですね?
ギターでしゃべりたい、ギターで会話をしてコミュニケーションをとりたいと思っていたから。シンガーソングライターの音楽ばかり聴いていましたが、自分が曲を書いて歌おうという発想はなかったので。バンドマンっていうのが、僕が一番好きな生き方なんですよ。今もそれは変わらないですね。
『STAR』以降は作詞も作曲もして、さらに自分が歌うという作品を作り続けてきた山内さんが『歌者 -utamono-』を完成させて、自分が作詞作曲した歌を自ら歌うという意味では、シンガーソングライターとしての自分はどんなところに辿り着けたと思いますか?
成長と言えるか分からないですけど、いろいろな経験をさせてもらったおかげもあって、自分では変化もあったと思っています。ただ、さっきも言ったように僕はあくまでもバンドマンなので、みんなで作った曲をステージで演奏して、それに対してお客さんからレスポンスをもらうということは、みんなに育ててもらったものだと思うので、山内総一郎というひとりのバンドマンがこういうアルバムを作ったのではなく、作らせてもらったという感覚が強いですね。もちろんプロットを書いていろいろな設定を作ったりとか、バンドのことを歌うというこれまでの自分ではあまりないかたちを見出せたりしたので、そういうことに関してはすごい喜びがありました。その中でひとつ思ったのは、暗喩などを使わずに正直に書く歌が自分の音楽に対する向き合い方なんだと再認識したというか、“あっ、自分はやっぱりこういう人間なんだ!?”と分かって呆れもありつつ(笑)。“そこにしか魂が宿らないと感じるんだ。自分は器用じゃないな”ということは作ってみて思いましたね。結局、8曲の物語をいろいろ作っても自分のコラージュなので、そこに自分は存在していると思うし、フジファブリックもちゃんと存在している。不器用だと感じながらも、それが表現できたんじゃないかとは思います。
歌詞は別れからの始まりをモチーフにしたものが多いですね。
確かに多いですね。もちろん出会いだって大切にしたいと思うんですけど。「青春の響きたち」をそういう曲にしようと思ったのは、チャイムの音や卒業式とかって問答無用に線を引くじゃないですか。だから、未来に進めるってことなんですけど、ある意味では残酷と思いながらも、それって生きるってことに対して重要なことだと思うんですよ。それを切り取るにしても、切り取る僕の角度によって全然違う内容になると思うから、僕はそういうブルーなところがいつも歌になっちゃいますね。なんでそうなるのかは分からないですけど。
山内さんがひとりでハーモニーを重ねた「Introduction」と「Interlude」のコーラスは、最後の「あとがき」にもちょっと入っていますが、「あとがき」に入れたコーラスを頭と真ん中に持ってきたら面白いと考えたのですか? それとも「Introduction」「Interlude」のコーラスを作ってから、「あとがき」にも使ったら面白いと考えて?
後者になります。“歌者 -utamono-”なので自分の声だけで始めるのがいいなと思ったんです。「Interlude」はLPのA面とB面みたいにしたいということで入れました。だから、ほんとはこのアルバムをLPにしたいんですよね(笑)。
あぁ、全10曲で40分弱という収録時間もLPを思わせますね。
A面とB面の音質の差をつけたくなかったので、だいたい同じぐらいの収録時間にしたんです。やっぱり収録時間が短ければ短いほど、音質がいいから…って、LPになる予定はないんですけどね(笑)。余談ですけど、最近、音楽が聴きたいと思いながら朝起きるんですよ。
そうなんですね。
で、だいたいアルバム一枚、A面とB面聴いて“なんて幸せな毎日なんだろう。音楽があるってすごくいいな”って思うんです。だから、LP一枚みたいな感覚で収録時間や曲数とかも考えましたけど、振り返ってみると、これ以上曲が増えてたら作れたかどうか分からないくらい大変でしたね。バンドもやりながらの制作だったので。
肝心なことを訊いていませんでした! いつ頃、曲作りを始めたのですか?
『I Love You』(2021年3月発表のアルバム/フジファブリック)のツアーが終わってから曲を作り始めたから、かなり急ピッチと言えば急ピッチだったんですよ。やっぱり初めてのことなので、いろいろ試行錯誤するためにまあまあの数の曲を作って。歌詞が乗っていない状況の曲がほとんどですけど、今回の8曲に決めるまで何カ月かかかっているんですよね。
4月9日に昭和女子大学人見記念講堂で開催するライヴはどんな内容になりそうですか?
歌モノを突き詰めたところはあるので、その世界観をその場で表現したいですね。このアルバムを作りながら歌っていうものは魂からしか出てこないことが分かったので、そういったものをこの日に向けてちゃんと出せるようにしないといけないし、この日のステージで出しきるものにしないといけないと考えています。
取材:山口智男
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アルバム『歌者 -utamono-』2022年3月16日発売
Sony Music Associated Records
- 【初回生産限定盤】(CD+Blu-ray)
- AICL-4185~6
- ¥4,400(税込)
- 【通常盤】(CD)
- AICL-4187
- ¥3,300(税込)
『山内総一郎 HALL LIVE 「歌者-utamono-」』
4/09(土) 東京・昭和女子大学人見記念講堂
ヤマウチソウイチロウ:2000年、志村正彦を中心に結成されたバンド・フジファブリックのメンバー。09年に志村が急逝し、その後はバンドのヴォーカル&ギターを担当している。ギタリストとしても各方面からさまざまな賞賛を得ており、楽器メーカーのFender社よりシグネチャーモデルのギターも販売されている。22年3月に1stアルバム『歌者 -utamono-』をリリースし、4月にワンマンライヴを開催予定。山内総一郎 アルバム特設ページ
フジファブリック オフィシャルHP
フジファブリック:2000年、志村正彦を中心に結成。09年に志村が急逝し、11年夏より山内総一郎(Vo&Gu)、金澤ダイスケ(Key)、加藤慎一(Ba)のメンバー3人体制にて新たに始動。奇想天外な曲から心を打つ曲まで幅広い音楽性が魅力の個性派ロックバンド。「銀河」、「茜色の夕日」、「若者のすべて」などの代表曲を送り出し、『モテキ』TVドラマ版主題歌、映画版オープニングテーマとして連続起用された。数多くのアニメ主題歌も担当。18年には映画『ここは退屈迎えに来て』主題歌、そして劇伴を担当。19年にデビュー15周年を迎えアルバム2作を発表。同年10月に大阪城ホール単独公演を大成功させた。21年3月に11thアルバム『I Love You』を発表。23年には4本のツアーを開催した。24年4月にデビュー20周年を迎えるが、目前となる2月に12thアルバム『PORTRAIT』をリリースする。フジファブリック オフィシャルHP
「白」MV
『歌者 -utamono-』全曲Trailer