ジェリー・ハーマンの生涯と『ラ・カ
ージュ・オ・フォール』~「ザ・ブロ
ードウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

番外編  ジェリー・ハーマンの生涯と『ラ・カージュ・オ・フォール』
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 2022年3月8日(火)に、日生劇場で初日の幕を開ける『ラ・カージュ・オ・フォール』。ブロードウェイでは1983年、日本は1985年の初演以来、コンスタントにリバイバルを重ねるミュージカル・コメディーの名作だ。作詞作曲は、ブロードウェイを代表するソングライターの一人ジェリー・ハーマン。ここでは、彼の輝かしきキャリアと楽曲の魅力に迫りたい。
『ラ・カージュ』のショウ場面を盛り上げるドラァグクイーン、「レ・カジェル」の面々 Photo Courtesy of David Engel

■大衆に愛される音楽を
 ハーマンは、2019年12月26日に逝去(享年88)。しかし残念ながら日本では、訃報は大きく報じられなかった。ここで改めて偉業を振り返ろう。ブロードウェイでのヒット作は、『ハロー・ドーリー!』(1964年/続演2,844回)、『メイム』(1966年/続演1,508回)、そして『ラ・カージュ』(続演1,761回)の3作。ダミ声で陽気に歌うルイ・アームストロングを筆頭に、300バージョン以上のカバー盤を生み出した『ドーリー!』の主題歌〈ハロー・ドーリー!〉は、世界的に親しまれたミュージカル・ナンバーだった。
〈ハロー・ドーリー!〉は、ルイ・アームストロングのカバー盤でヒット

 14歳の時に、ブロードウェイで『アニーよ銃をとれ』(1946年)を観劇し、帰宅するとすぐに〈ショウほど素敵な商売はない〉などの劇中曲をピアノで弾きこなしたハーマン。やがて彼は、この作品の作詞作曲家アーヴィング・バーリンに憧れソングライターを志し、見事にスタイルを継承した(本連載VOL.4&5も参照)。つまり平易で憶えやすく、大衆の心に訴えかける楽曲創りに心を砕きブロードウェイを制覇したのだ。

 ところが『ドーリー!』と『メイム』で好評を得た後、『ディア・ワールド』(1969年)、『マック&メイベル』(1974年)、『グランド・ツアー』(1979年)の3作が、批評と興行成績共に不振。ハーマンはスランプに陥る。知的な楽曲でミュージカルの新たな可能性を提示した、スティーヴン・ソンドハイムの『カンパニー』(1970年)や、全編歌で綴るアンドリュー・ロイド=ウェバーのロック・オペラ『ジーザス・クライスト=スーパースター』(1971年)などの登場で、音楽に対する観客の嗜好が変化した現実を認めざるを得なかった。

■運命の作品『ラ・カージュ』
 私は2008年に、ハーマンにLAの自宅でインタビューする機会に恵まれた。こちらの質問に対し、丁寧に分かり易く答える姿勢には温厚かつ実直な人柄が溢れ、感激したものだ。彼は低迷期についても、包み隠さずに語ってくれた。
「正直、30年早く生まれていればと悔やみましたよ。私が書くような、古き良きミュージカル・コメディーの伝統に根ざした曲は、この先歌われる機会が減っていくと思うと、暗澹たる気持ちになりました。失敗作が3本続いた後は、新作に関わる気が起きなかった。と言うより、曲を書く事が怖くなったのです……」
作詞作曲家ジェリー・ハーマン。LAの自宅にて(2008年撮影)
 鬱屈した日々を送っていたハーマンは、ある日気分転換のため映画を観た。その作品こそが、ジャン・ポワレ作の舞台劇を映画化した「Mr.レディMr.マダム」(1978年/フランス=イタリア合作/原題「ラ・カージュ・オ・フォール」)だった。主役はナイトクラブ経営者のジョルジュと、一座のスター、ザザことアルバン。この愛すべきゲイ・カップルが育てた一人息子が、結婚を宣言した事に端を発する、笑いあり涙ありのコメディーだ。ハーマンは回想する。
「久々に身体中に興奮がみなぎり、必ずやこの作品をミュージカルにしてみせると心に誓いました。ところが作品の権利関係を調べたら、すでにミュージカル化のプロジェクトが始動していた事が分かった。落胆しましたが、その後企画は頓挫し、スタッフを一新して再開する事になりました。プロデューサーから依頼を受けた日の事は、一生忘れないでしょう。運命を感じました。私の希望で、演出にアーサー・ローレンツ(『ウエスト・サイド・ストーリー』脚本)、脚本はアーサーが推薦したハーヴェイ・ファイアスタイン(『トーチソング・トリロジー』作・主演)を起用し、創作がスタートしたのです」

「Mr.レディMr.マダム」(1978年)、アメリカ公開時のポスター

■ハーマン流作詞作曲術

 ハーマンが素晴らしいのは、時代や流行に迎合せず、「劇場からの帰り道に、誰もが気軽に口ずさめる曲を創る」という基本姿勢が一切ブレなかった事だろう。詞と曲の両方を手掛ける彼が、作業工程を説明してくれた。
「まず脚本を読み込んで登場人物の性格を把握し、歌の核となるアイデアを探します。例えば『ドーリー!』なら、他人の面倒ばかり見てきたヒロインのドーリーが、『自分の人生を取り戻そう』と決意する場面に歌が必要だとなる。すると私の場合、ビジュアルなんです。華やかなブラスバンドが行進する場面が思い浮かぶ。そして『Before The Parade Passes By(パレードが通り過ぎる前に)』 と、歌詞とメロディーが一緒に閃きます。詞と曲、どちらが先かとよく訊かれるのですが、私は常に同時進行です」
『ラ・カージュ』初演でアルバン/ザザを演じたジョージ・ハーン(左)と、ジョルジュ役のジーン・バリー。ハーンはこの作品で、トニー賞主演男優賞に輝いた。 Photo Courtesy of David Engel

 詞と曲の関係が密接で、パフォーマーには「一度憶えたら決して忘れない」と好評なのもここに起因する。またハーマンは、脚本のセリフから楽曲の案を得る機会も多いと言う。『ラ・カージュ』では、〈ありのままの私〉がこのケース。女装の母親では、息子の婚約者の両親には紹介出来ぬとジョルジュに告げられ傷付いたアルバンが、「憐れみもお世辞も必要ない。私は、自分の世界で誇りを持って生きる!」と宣言する感動的なナンバーだ。
「ハーヴェイが書いた一幕の締めのシーンが、とても良く出来ていた。アルバンのこんなセリフがありました。『私がどう生きるかは、誰の指図も受けたくない。私は私なのよ!』。この『私は私』(I Am What I Am)という5つの単語から、アルバンの心情を吐露する曲のインスピレーションが沸いてきた。それからピアノに向かい、一晩で書き上げましたね」 
初演オリジナル・キャスト・アルバムは永遠の名盤(輸入盤CDかダウンロードで購入可)

■歌に込められたメッセージ
 『ラ・カージュ』初演は、1983年8月にブロードウェイで幕を開けるや絶賛を浴びた。トニー賞では楽曲賞を始め、作品、脚本、演出など主要6部門で受賞し、ハーマンはトップの座に返り咲く。だが新たな試練が待ち受けていた。ゲイである事をオープンにしていた彼は、1980年代末に恋人をエイズで失い、自らも検査の結果、エイズを発症し合併症を引き起こす可能性が高いウイルス(HIV)に感染している事が判明。以降亡くなるまで、30年以上も治療を続けた。私が取材した時は、血色も良く健康に見えたが、闘病はハードだったようだ。
「人間は、極限状態で選択肢を迫られると奮い立つものです。当時、HIV感染を知らされる事は死の宣告に等しかった。でも、何もしないで家で落ち込んでいても病気は良くならない。あらゆる治療法にトライしてやろうと決意したのです。幸い私は、信頼の置ける優秀な医師に恵まれました。彼が新薬を開発するたびに私が最初に試し、もし適切な薬を服用すれば、ウイルスの増殖を食い止め延命が出来る事を、身を持って証明したかったのです」
 ハーマンが生涯貫いたポジティブな精神は、本作の二幕で、「明日の事など誰も知らない。今この瞬間を大切に、しっかり生きて愛そう」と歌われる〈今この時(The Best Of Times)〉に明らかだ。このナンバーを聴くたびに心和み勇気付けられるのは、シンプルな歌詞と旋律に、ハーマンの真摯な生き方が凝縮されているからだろう。
『ラ・カージュ』のキャスト集合写真。中央がジョージ・ハーン(左)とジーン・バリー Photo Courtesy of David Engel

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