画家アンリ・マティスの描く「音楽」
。そこに映しだされた、ほろ苦い家族
との記憶とは

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回は画家アンリ・マティスを取りあげます。ピカソと同時代に活躍し、その激しい原色から「野獣派」と呼ばれたマティスは平面と色彩の革新を追い求めつづけました。強い個性から彼はエキセントリックな画家だったと思われているかもしれません。しかし彼が「音楽」をモチーフに作った絵からは、マティスの不器用な感情が見え隠れします。なぜなら音楽は彼にとってパーソナルな部分を刺激するものだったからです。

『ダンス』と『音楽』
早速、マティスの作品の背景を紐解いていきたいと思います。まずは、1910年に制作された2枚の絵を見てみてください。
マティス『ダンス』(出典:エルミタージュ美術館)
マティス『音楽』(出典:エルミタージュ美術館)
この2枚には、強いコントラストが見えます。『ダンス』は躍動感たっぷりに人々が踊り、どこか原始的な踊りでしょうか。一方『音楽』は、ヴァイオリン奏者とたて笛奏者のほかは、体育座りをして静かに音楽に耳をかたむけています。この2枚を並べると動きと静けさが対となっているのがよく分かります。
『音楽』にどこか緊張感がただよう理由のひとつは、直立不動でヴァイオリンを弾いている少年でしょうか。音楽といってもクラシック、民族音楽、ジャズ、ポップスなどさまざまなジャンルがありますが、この絵画から読み取れる音楽は、静かで荘厳なクラシック音楽のように思えます。野性的な『ダンス』があることで、『音楽』の静寂がより際立つのです。もう一枚、こちらのスケッチも見てみましょう。
マティス『音楽(スケッチ)』(出典:ニューヨーク近代美術館)
この絵の青年も、まっすぐ立ってヴァイオリンを弾いています。マティスが描いた「音楽」に関する絵画を並べて見ると、ひとつ疑問が浮かびます。どうしてヴァイオリンやピアノのレッスンを描くとき、演奏者は不自然なまでに背筋が伸びていてどこか息苦しさを感じさせるだろうか、と。
実はそこには、父親との苦い思い出がありました。
「音楽」が写しだす家族との複雑な関係
マティスの父は息子が法律家になることを望み、勉強のみならず日常生活においても厳しくしつけました。その中のひとつにヴァイオリンのお稽古がありました。父親が選んだヴァイオリンの先生は弓で生徒を叩くような厳しい先生でした。マティスは音楽を愛していましたが、ヴァイオリンの練習を押しつけてくる父親に反抗するようになり、レッスンのたびに家の塀を乗り越えて隣家に逃げ出していたそうです。
法律に情熱をもつことができなかったマティスはことあるごとに父と衝突し、21歳で画家をめざすと家族に宣言したとき、いよいよ親子の関係性は悪くなってしまいました。画家として成功する一方で、マティスには「父を失望させた」という罪悪感が一生残りました。このように語ったマティスの言葉が印象的です。
わたしは音楽が好きだ…よくヴァイオリンを弾いたものだ…情感はたっぷりとあるのだが、技法を豊かにしようと努力しすぎたせいで、情感を殺してしまった。いまでは、人の演奏を聴く方が好きだ。
                 フランソワ・ジロー著『ピカソとマティス』より引用
ヴァイオリンや音楽のレッスンは、マティスにとって父親との確執を象徴するものだったのでしょうか。
結婚し子どもをもったとき、マティスの父への思いは、ゆがんだ形であらわれます。我が子にもまったく同じように厳しい音楽のレッスンを強いたのです。伝記『マティス 知られざる生涯』には、その様子がつづられています。
彼の口癖はいつも「父の言うことを聞かずに後悔している自分のようにはなってほしくないんだ」だったといいます。長男ジャンと次男ピエールにはヴァイオリン、チェロ、ピアノと習わせ、長男に才能がないと判断すると、次男にヴァイオリニストになる夢を託します。朝6時からピアノとヴァイオリンの練習が始まり、著名な先生のレッスンを受けさせ、練習の音が途切れるとマティスが壁を叩いたといいます。
父の期待に応えようと、次男はモーツァルトやコレルリ、ハイドンなどが弾けるようになりました。コレルリのこの曲は、ヴァイオリン経験者には定番の曲ではないでしょうか。
コレルリ『ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ Op.5-12 “ラ・フォリア”』
次男の成長は大いにマティスを喜ばせ、ついにはバッハの名曲を親子で共演できるほどになります。
        バッハ『二つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調』
しかし幸せな時間もつかのま、次男が思春期になると、才能のなさを自覚し演奏家の夢は遠のいていきました。そんな親子のあいだにぎくしゃくした空気が流れているとき描かれたのが、『ピアノ・レッスン』です。
マティス『ピアノ・レッスン』(出典:ニューヨーク近代美術館)
全体は灰色にまとめられ、ピアノの上にはメトロノーム、楽譜立てをよく見ると有名ピアノメーカー「プレイエル」の文字が見えます。ピアノに向かう少年は次男ピエール、その暗い表情には光の反射か、片目にはくっきりとした影が落ちています。のちにニューヨークで画商として成功をおさめた次男はこの絵を前にしてこう言いました。
「このピアノの練習を、僕がどれだけ嫌っていたか、君たちにはわからないだろうね」
この一年後、同じ構図でもう一枚のピアノ・レッスンの情景が描かれています。灰色の絵とは対称的に、幸せな家族の肖像のようです。
マティス『音楽のレッスン』(出典:バーンズ・コレクション)
ピアノを教える妻と息子、もう一人の息子は椅子に腰かけ、窓の外には娘がいます。ピアノの上に置かれたヴァイオリンを弾くのは、描かれていないマティス本人でしょうか。いかにも文化的で幸福にあふれる光景ですが、実はこのころ長男は第一次世界大戦に出征しています。実現しないであろう幸せな家族を描いたこの絵は、マティスのいびつな家族との関係性を知っていると、少し違うように見えてきます。
第一次世界大戦勃発後の彼の作品には、ヴァイオリンケースやヴァイオリンを弾く人物などが多く登場します。世の中が不安にあふれる中、音楽を描くことで家族に思いをはせていたのかもしれません。
「ジャズはリズムであり意味である」
『ピアノ・レッスン』から約30年の時を経て発表された切り絵本『ジャズ』は、それまでのマティスの音楽絵画からは考えられない大胆なものとなります。
マティス 切り絵集『ジャズ』より『イカロス』(出典:メトロポリタン美術館)
『イカロス』はギリシャ神話に登場する青年です。空を飛ぶという野望をもつ青年が、蜜蝋で翼を作り飛んだところ、太陽に近づきすぎて翼が溶け墜落死するという悲しい物語です。マティスの描くイカロスは大空の中でダンスしているのでしょうか。空にはスパークする閃光と、イカロスの左胸には情熱を燃やす心臓のような赤が描かれています。まるで命を燃やして舞い踊るかのようです。マティスはこう語ります。
色彩がいかに美しかろうと、それぞれをそばへ並べるだけでは不充分で、さらにこれらの色彩が互いに反応し合うようにならないといけない。さもないと、不協和音になります。『ジャズ』はリズムであり、意味であるわけです。
                     アンリ・マティス著『画家のノート』より引用
実のところ、この切り絵集はもともと「シルク」(フランス語でサーカスの意味)というタイトルで作られたもので、ジャズ音楽とは直接的な関係をもっていません。しかし、音楽に詳しかったマティスは、ジャズにおけるリズムの意義を理解し、この切り絵集のタイトルとしたのです。カラフルで自由なモチーフのぶつかりあいこそが、ジャズ特有のリズムとなっているのです。
当時フランスの人々はアメリカからやってきたジャズに熱狂していました。その中心は、パリにできたHot Club de Franceというジャズクラブです。このクラブから生まれた伝説的ジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの音楽からは当時フランスで流行った「リズム」が聴こえてきます。『永遠のジャンゴ』という映画の演奏シーン(1:00~)をご覧ください。
アメリカのジャズ・トランペッター、ルイ・アームストロングも同ジャズクラブでコンサートをおこない、1971年まで名誉会長に任命されるほどでした。音楽を深く愛していたマティスは、それらの新たな音楽から刺激を受け、自らの表現に取り入れたのでした。
音楽が表すマティスの心情
マティスが創り出した数々の「音楽」に関する作品を見ると、彼の音楽の歴史はクラシック音楽に始まり、ダンスやジャズにまで関心が広がっていたことがうかがえます。
「マティスの一生においては長いあいだ両親の影響が消えなかった」と友人フランソワ・ジローは回想しています。彼が子どもをもったとき、音楽が急に描かれるようになります。厳格な父から受けついだ威圧的な性格は、妻を悩ませ、子どもを圧迫し、そしてまた自身も傷つき悩んでいました。家族との不和に直面したとき、マティスの頭には父を連想させる「音楽」が浮かんだのかもしれません。
そうした苦しみを経て、死の7年前、色彩がぶつかりあった切り絵『ジャズ』が生まれます。晩年マティスの中で音楽へのイメージが変わっていたことは確かだといえるでしょう。彼の「音楽」は、年を重ねることで変化したのかもしれません。
それぞれの絵からどんな音が聴こえてくるでしょうか。想像しながら楽しんでいただければと思います。

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