通り過ぎてしまう心情を
書く人になりたい
2001年10月にシングル「ぼくの味方」でデビューされますが、中でも2002年6月発表のシングル「月光浴」でプロデューサーの坂本昌之さんと制作をともにしたのもひとつのターニングポイントになっているのだとか。もともとポップなアレンジだったところ、柴田さんのイメージにはストリングスとピアノがあって、それを坂本さんが汲みとってくれたことで、自分が作りたいものが具体的になっていったそうですね。
デビュー当時は素人同然だったので、ドラム、ベース、ギターが入っていなければCDを出すための楽曲にならないと思っていたんですけど、「月光浴」はデビュー前から大事にしたためていた曲なので、“そういうイメージの曲じゃないんです”と言っていて。でも、新人の言うことはキャリアがないから聞いてもらえなかったんです。そこを坂本さんが気づいてくれたので、あの時は恩人でした。坂本さんと一緒に楽曲を作っていくことができたし、柴田 淳の色が濃く出ているんじゃないかな?
柴田さん自身のこだわりを出せるきっかけになった出来事なんですね。
そこからは良くも悪くも自分のこだわりが強くなっていったことで、制作が苦しくもなってきました。私は1stアルバムの『オールトの雲』(2002年3月発表)以降はセルフプロデュースなんですよ。自分の想いが強いぶん、プロデューサーとぶつかってしまうんです。でも、こだわりはあっても全部自分でできるわけじゃないし、自分でやればいいわけでもないと思うから、今でも苦戦し続けていますね。
以前に“ヒット曲を目指す以上に、柴田 淳の世界を守ることを大事にしている”とおっしゃっていましたが、ご自身では柴田 淳の世界ってどんなものだと思っていますか?
人が触れない心を書く人。痛みとか、恥ずかしい部分を書いちゃう人…でも、これも“どうなのかな?”って思う部分があるんですけど。
どんなことが引っかかるんですか?
ある時、ものすごく不快になる映画を観たんですよ。しばらく不快感がとれずに気分が悪くなってしまって、そういうのは良くないと思ったんです。今までは“心の翻訳をしています”ってカッコ良く言ったり、カップルが気まずくなるような曲を書けたらしめしめだと思うくらい、どんなかたちでも人の心を動かせられたら名曲だと思ってそこに快感を得ていたんですけど、ただ沈むだけのものは良くないなと。なので、今はみんなが気づいているけど、微妙すぎて通り過ぎるような心情を立ち止まって書く人になっていきたいと思っています。
最後に、柴田さんにとってのキーパーソンとなる人物は?
小説家の森 瑤子さん。高校生の時に読んだ『恋愛論』というエッセイに、いろんな男性との巡り会いや恋が書かれているんですけど、この一冊で“いい女はこういう女だ”というものを植えつけられちゃったんですよね。私にとっての大人で素敵な女性が描かれていて、すごく影響を受けていると思っています。特に“本当にいい女は、男性が自分は世界一いい男だって思わせてあげられる女だ”と書いてあったのが印象に残っていて…だから、私は人を煽てるのが上手かもしれません(笑)。そこに決して嘘はなくて、本当にその人に自信を与えられて、“私はこう思っているよ”っていうのを相手も信じられる言い方ができるようになったかなって。今でもその本は大事に持っています。
取材:千々和香苗