中村中がゼロ年代の
最後の年に創り上げた、
人智を超えた大傑作
アルバム『少年少女』
楽曲のテーマをサウンドが雄弁に語る
M2のベースラインはまさに嵐を予感させるし、M10のピアノは無垢な印象を与えている。M8の重いピアノはテーマの残酷さをそのまま表しているようだし、後半でバンドサウンドがラウドに展開する様子は、さながら爆撃のようである。M9で背後に流れるエレキギターは泣いているかのように聴こえるし、歌詞とは別に楽曲にある感情を表現しているかのようだ。また、M9では♪トゥルル青春〜のコーラス部分もそうで、ポップだが付かず離れずにいつもまでも迫ってくる感じが、まさにここで描かれている青春そのもののようで、気持ちいいやら気持ち悪いやら…(褒め言葉として受け取ってください)。個人的に気づいたところをいくつか上げてみたが、これ以外にもあると思う。歌詞以上に音でテーマ、メッセージを雄弁に語らせている。音楽作品のサウンドの役割はそこだと思うし、『少年少女』はそこもよくできている。あと、これはテーマ云々とは少し離れるかもしれないけれど、M11「不良少年」の間奏のM1「家出少女」のサビメロが奏でられる。これは本作がラストから再びオープニングに戻ることも出来るという円環構造を示唆したものだろう。心憎い仕掛けだ。
サウンドについてはもうひとつ。本作の演奏はほとんど中村中本人が担当しているということを強調しておかなければならないだろう。本作のプロデューサーである根岸孝旨氏は“できるだけふたりで作ろうとした”“無駄に人を増やさなかった”と述懐している。手元にクレジットがないので詳細は割愛させていただくが、本作で彼女は初めてピアノを弾いたというし、ストリングスアレンジも始めて手掛けたという。筆者はそう感じなかったけれども、プロから見たら決して上等なサウンドとは言えないのかもしれない。でも、作詞作曲者がアレンジと演奏を行なっているのだから、そこに作者の意志であったり、意図するものであったりがダイレクトに宿っているのは間違いないだろう。The Beatlesの「Let It Be」でPaul McCartneyが弾くピアノは今もなお“ミスタッチがある”とか、“いや、あれはミスではない”とか、ファンの間で物議を呼んでいる代物だと聞くが、ピアノのプロフェッショナルに言わせると、いずれにしても本来あり得ないものではあるようだ(諸説あり)。だからと言って、あれをクラシックの素養のあるピアニストが弾いていたとしたら、今、我々が知る「Let It Be」にはなってないだろう。Paulのピアノがあってこその「Let It Be」である。それと似たようなことが『少年少女』では起こったようだ。
本作がリリースされたあと、彼女のライヴを拝見させていただいて、その終了後に挨拶をさせてもらった。本稿冒頭で述べたように『少年少女』を聴いてすごいアルバムだと思っていた筆者は、今思うと相当かかり気味に“どうしてこんなにすごいアルバムができたんですか?”と彼女に訊いたことを思い出す。あれから十数年が経ち、さすがに詳細な受け答えは覚えていないけれども、“自分でもよく分からない力が働いたとしか思えない”といった主旨のことを話してくれたことを覚えている。作り手の意志を超えたミラクルが起きていたことは間違いないようだ。『少年少女』は2010年末に開催された第52回日本レコード大賞において優秀アルバム賞にも選ばれている。
TEXT:帆苅智之