中村中がゼロ年代の
最後の年に創り上げた、
人智を超えた大傑作
アルバム『少年少女』
閉塞感を認識した上での前向きさ
《悪いな、俺は足をやられてる そうかい、おいらは両目をやられた/先に行くんだ、遠くに逃げろと 諦める奴はいなかったけれど/ごめん、私は喉をやられてる このまま死のうと言えなかっただけ》(M 8「戦争を知らない僕らの戦争」)。
《笑えば喜ばれた 生まれた時のようには 戻れないと知った!》(M3「独白」)。
《今は君ばかり 美しくなるのがつらい/僕だけ置いて 大人になってくのが こわい》(M4「初恋」)。
《人の間で生きる事が 息を殺す事ならば/私は向いていないようだ 苦しい それでも生きているなんて》《本当は悔しくて 笑い方わからないくせに/笑ってる 黙ってる それでもまだ生きているなんて/わかってる 誰よりも自分が しょっぱいね》(M6「人間失格」)。
《かえせよ青春 わたしの青春 何度も痛い痛いって泣いてても/離してくれない あいつが好きだった/青春 かえせよ青春 面倒臭い奴って知ってても/離してくれない あいつは わたしの青春でした。》(M9「青春でした。」)。
M9の《面倒臭い奴って知ってても/離してくれない》のどうしようもなく取り憑かれているような様子は、案外飄々としたヴォーカルパフォーマンスが相俟って空恐ろしく感じるほどだ。しかしながら、本作はオープニングにM1「家出少女」、中盤にM7「旅人だもの」、そしてラストにM11「不良少年」を置くことで、そうした残酷さだけではない、もう一方の現実を尽き付ける。世の中はいつも残酷だ。特に若い世代はそれを敏感に察知する。本作が作られた2010年頃もそれは変わらなかった。しかしながら、だからと言って、簡単に絶望していいのだろうか。そんな投げ掛けがアルバムの要所に置かれている。
《何時に帰るかなんてわからない 街では何が起こるかわからない/そんな時代だもの/自分の心くらいは信じたい 小さな憧れだけど信じたい/ずっと ずっと》《力がなくなるまでは走りたい 自分で選んだ道を走りたい/どんな暗闇でも/私に守れるものを見つけたい 命をもらえた意味を見つけたい/いつか いつか いつか》(M1「家出少女」)。
《旅人だもの どうせ 旅人だもの/ひとつの街には 落ち着いていられないんだ/旅人たちよ 今日はどこまで行くの/君がその気なら どこだって終着駅だ》《君がその気なら どこだって通過駅だよ》(M7「旅人だもの」)。
《諦めが肝心と逃げ出した奴もいたけど/何もない毎日はつまらないんだ/やめるなよ 生きる事はやめる事が出来るんだ/すり減って殴られて それでも胸を張れ》(M11「不良少年」)。
残酷から逃げるのでも残酷を中和するのでもない。命令形で語られているものもあるが、明確な指標を示しているわけではない。強いて言えば、中村中自身が“私はこうする”と断言しているだけのようでもある。そこからリスナーは自分自身で答えを見つけ出すような、そんな仕掛けがあるような気がする。聴き手によって受け取り方は様々かもしれないので、以下はあくまでも個人的な見解と前置きするけれども、これらアルバムの要所に置かれた歌詞には前向きさを喚起させるところはあるのではないかとは思うし、そのテーマ性、メッセージ性が本作の良さではあると思う。