山田うんに聞く~「ストラヴィンスキ
ープログラム」で高橋悠治&青柳いづ
みこと共演し『春の祭典』を踊る

山田うん率いるダンスカンパニーCo.山田うんが2022年1月28日(金)~30日(日)KAAT 神奈川芸術劇場にて「ストラヴィンスキープログラム」を上演する。2021年に没後50年を迎えた現代音楽の巨匠イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882₋1971)の楽曲による3作品で構成され、『春の祭典』、『五本の指で』、『ピアノソナタ(1924)』を山田が演出・振付する。演奏を高橋悠治、青柳いづみこという百戦錬磨の大物ピアニストが手がけることも話題だ。山田に今回の上演プログラムの魅力、高橋、青柳との共演への意気込みなどをたっぷりと語ってもらった。

■山田うん、四手連弾演奏ピアノとソロダンスで『春の祭典』に再挑戦!
――「ストラヴィンスキープログラム」で上演する3作品のうち、まず『春の祭典』について伺います。Co.山田うんでは、2013年、12人のダンサーによる群舞作品を発表し、以後国内外で上演を重ねました。ストラヴィンスキーの音楽とがっぷり四つに組んでいるという印象でした。今回は、高橋悠治さん、青柳いづみこさんによる四手連弾ピアノ演奏を得て、うんさんご自身のソロダンスとして上演します。『春の祭典』に新たな形で挑まれる動機とは?
2013年に初めて振付した時、激しさや森羅万象を群舞で表現することが最初のインスピレーションとしてありました。しかし再演していくうちに、もっと他の可能性があるんじゃないかなと考えるようになりました。2017年に悠治さん、いづみこさんが連弾ピアノで演奏されたCDを聴くと、不思議で血の通った温かい演奏だったんです。それで自分で凄く踊りたくなったんですね。創りたいというよりも、これで踊りたい。素敵なダンスミュージックだなと感じたんです。
山田うん(写真:HAL KUZUYA)
――群舞版ではワレリー・ゲルギエフ指揮によるキーロフ劇場管弦楽団版の音源を使いました。
音源を使うと、録音すること、曲を解釈することといったさまざまな隔たりやレイヤーを挟んで音楽と出会います。その点、悠治さんといづみこさんの『春の祭典』は、お二人の解釈や手触りで落とし込んでいるので、日本人の私の今の体温とつながっていると思います。今ここに生きているピアニストの体内にあるいろいろな経験や葛藤で嚙み砕き解かれて成立しているんですね。
高橋悠治(え:柳生弥一郎)
――ソロで35分程踊り続けなければいけないので大変かと思います。よほどお二人の奏でる音楽に「踊りたい!」と思わせる力があったのですね。
会話しているかのような演奏です。なので生演奏をお願いするということは、3回の公演が毎回違うということなんですね。その日の呼吸が合わないかもしれないし、テンポが少し違うかもしれません。「作品」というよりもコラボレーションする時間になりそうです。
青柳いづみこ(写真:Miho KAKUTA)

■高橋悠治&青柳いづみこ、名ピアニストたちと奏でる至高のセッション!
――高橋さんとは何度か共演されています。青柳さんとは初めてですね。それぞれの印象は?
お互いに無いものを持っている同士ではないでしょうか。長い信頼関係があって、言いたいことを言い合える関係なのでしょうね。私と悠治さんが2019年に愛知で公演しエリック・サティの楽曲などで踊った時、いづみこさんも観に来て、その時が初対面でした。
私はいづみこさんの弾くドビュッシーが好きです。独特の繊細さと天に反射する光のようなものをお持ちなんです。ドビュッシーの音楽は雲のように浮遊していて、つかみどころがありません。それを表すためには確固とした骨格が必須だと思うのですが、いづみこさんのドビュッシーの浮遊感は、ダンスでいえば重心が高く地面からしっかりと立ってます。
悠治さんの音楽は、地面を踏みしめていくような、一歩一歩アップデートしていくような印象です。そして必ずアップデートする時に「これでいいのだろうか?」と疑ったりしながら景色を見て登山するような感じで、地に足が着いています。
お二方の『春の祭典』の演奏を聴いた時、いづみこさんの持っている高い重心と悠治さんの低い重心にはミスマッチと絶妙な素晴らしさがあって、そこに圧倒的な魅力を感じました。私の踊りも、いづみこさんの演奏に引っ張られる部分、悠治さんの演奏に頼っていく部分の両方が多分出てくるんですね。なのでセッションに近いです。三人の肉体や思考でセッションして創り上げていきたいという期待があります。
山田うん(写真:HAL KUZUYA)
――「セッション」と言っても振付の骨格はあると思うのですが、即興性というかライブ感を大事にしていく部分との兼ね合いはどのようにされるのですか?
そこが一番のテーマです。計画された振付とライブで行われていくことをどのように擦り合わせるのか。感染症対策もあって、できるだけそれぞれが練習し、想像し、積み上げていくことやりながら、本番の1週間前くらいから一緒に稽古します。最後の最後のチューニングの部分にいっぱい仕事があるんですよ。今回はそこに独特な緊張感がありますね。
――「振付」として決めておいても、お二方との兼ね合いで変わるし、本番で即興的に出てくる動きもあるということでしょうか?
骨組みは決めていますけれど、決めていないところもいっぱいあります。たとえば「この音が来た時、私はこの形をする」と決めますよね。でも、もし、その音が来なかったらどうするのか。連弾は互いの手と手が重なって弾いたりするので、お互いが良いタイミングで音を出せない時もあるかもしれません。そうなった時、私が一人外れたことをやってしまうと……。
だから、すべての音に対して「来ないかもしれない」と考え、期待しないようにします。そのためには今の音を全身で聴いて、もし音楽が期待通りで無くても、まるで運命のように成立する時間を創る体で居たいんですね。自分で決めた振付だけを100%全うするのではなくて、余白を残しておかなければいけないんです。すべての振りに、やってもいいけどやらなくてもいいという選択肢を持っているという感じでしょうか。
――特殊な創り方ですね?
かなり特殊です。振りのクライマックスとか、こういう雰囲気にするというのは決めていますけれど、ディティールを決め過ぎないようにしています。だから怖いんです。悠治さんと共演する時、悠治さんは時々私の踊りを観ながら弾いているはずですが、『春の祭典』は楽譜と鍵盤から目が離せない忙しい音楽なので、踊りを観ることができないはずです。でも同じ空間にいるということは、お互いに見えていなくても凄く影響するんですね。同じ振動を感じて、逃げられない立場にお互いがいて、でも手をつなぐことができないという特別な、目で見えないものでつながれている感じはすると思うんです。
山田うん(写真:HAL KUZUYA)

■気鋭ダンサーが踊る『五本の指で』『ピアノソナタ(1924)』にも注目!
――他に高橋さん演奏による2作品をCo.山田うんのダンサーが踊ります。ストラヴィンスキーのピアノ組曲『五本の指で』は8曲から構成されるピアノ小曲集です。こちらはどのように?
これも悠治さんの録音が素晴らしかったです。自分でも弾いたこともありますが、とても気持ちのいい音楽なので、ぜひ悠治さんに弾いてほしいなと願っていました。子供が演奏するように作られていてシンプルですが、温かい楽曲です。
5本の指を鍵盤上に置いてそこから動かさずに弾くのですが、その規則だけではない面白味も含まれているんですね。5人のダンサーたちがシンプルなフォーメーションやルールの中でシンプルな振付を踊っていきます。指にはたくさんの関節があるんですけれど、手や指の振る舞いのような、ささやかな感じが出る作品にしたいですね。純粋無垢なイメージで創っています。
踊るのは、仁田晶凱、長谷川暢、望月寛斗、山崎眞結、山根海音。5本の指に分かれていませんが、ダンサーたちは「僕、親指!」「私、小指!」とか勝手にいっていると思います(笑)。
『五本の指で』リハーサル(写真:HAL KUZUYA)
――『ピアノソナタ(1924)』も高橋さんの演奏で披露します。
この楽曲は第1楽章と第3楽章が似ていてスピーディー。そして第2楽章が割と物語的、ドラマティックです。最初は悠治さんに第2楽章だけ弾いてもらいたいと思うくらい、そこに惚れていました。第1楽章、第3楽章もコンプリケートな曲だけど悠治さんに弾いてもらいたくなってお願いしたら「大昔に弾いたことがあるけど……弾きます!」みたいに了承してくれました(笑)。
全楽章がデュエットです。第1楽章を飯森沙百合、田中朝子、第2楽章を西山友貴、山口将太朗、第3楽章を木原浩太、黒田勇が踊ります。第1楽章が女性デュオ、第3楽章が男性デュオですが、体重・骨格的に似ているというと変ですけれど、パワーが近い者が踊るユニゾンを散りばめました。音楽自体も右手と左手のユニゾン(同じ動き)が特徴だったりするので、同性同士が持つ物理的な調和、肉や骨の重さ、骨格のバランスを合わせたようなデュオになっています。第2楽章は、骨と筋肉、重心が違う者を組み合わせた感じで、物語が生まれ易くしました。
『ピアノソナタ(1924)』リハーサル(写真:HAL KUZUYA)

■「ライブで立ち上がる空間」へのこだわり。美術や衣装にも期待!
――空間美術・ドローイングとして建築家の光嶋裕介さんが参加されます。2020年に手がけた『NIPPON・CHA! CHA! CHA!」に続くコラボレーションです。どのような方ですか?
光嶋さんは建築家ですがアーティストでもあるし、表現者でもあり、想像する人、思考する人、思想家でもあります。ドローイングというか絵を描き、文章も書かれます。合気道をされていることもあって、人間の体の物理的な動きと、頭で考えること、目で見えること、耳で聴こえること、つまり空間と人間が新鮮に出会うための仕掛けを自分なりの世界観でつなげていける稀有な方です。『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』の際もいろいろなやり取りをして、シンプルな形に着地していったんですけれど、一緒に試行錯誤する時間、そのプロセスも含めてとっても面白かったです。今回もとても面白い造形に仕上がりつつあります。
光嶋裕介による空間美術スケッチ
――衣装はファッションデザイナーの飛田正浩(spoken words project)さんです。組まれるのは初めてですね。
飛田さんはファッションを超えた活動をされています。表現としてのファッションというか、生き難さとかいろいろな世代や分野の生き様を持つ人たちにフォーカスを当てています。「14歳のワンピース」という14歳の人たちとのワークショップとか、古着再生とか、無視できないのにうっかり通り過ぎそうになることにちゃんと光を当てて、愛を見つけて服にしていると感じています。spoken words projectが手がける染め物の図柄は、ナチュラルで、シンプルで、普遍的で、手触りの風合いを出していて、飛田さんと今、何か一緒に創れるのではないかという感覚が働きました。肉体的というか手を使って仕事される方です。今回、私が悠治さん、いづみこさんとセッションするような、ライブで立ち上がる空間を創って行く時、この創作チームは、皆そういった手触りを体で分かる人に入ってほしかったのです。
――光嶋さん、飛田さんとの共同作業はどのように進んでいますか?
今回ストラヴィンスキーの三本柱を立てた時に、〇△□というお題を自分で出したんです。『春の祭典』が〇、『五本の指で』が△、『ピアノソナタ(1924)』は□。光嶋さんと飛田さんと一緒のミーティングでその話をしたんですね。それを踏まえて、光嶋さんがドローイングをしたんです。その上で飛田さんに「○△□というテーマはあるけれど、それだけじゃなく」という話などをしながら、何度も録音音源を聴いてディスカッションをしました。
そこから『春の祭典』はプリミティブなイメージ。『五本の指で』はピュアで無垢で、あどけなさとか純粋さとか青春の苦さが出るイメージ。『ピアノソナタ(1924)』を□としたのは社会性というモチーフ、一人称ではなく他者がいるということなども含めたイメージが浮かびました。『五本の指で』が子供のために書かれたということで、つまり社会に出る前の人、家着とか下着的なイメージだとしたら、『ピアノソナタ(1924)』は社会性のある服のデザインといいますか、上着的なイメージというアイデアが飛田さんから出てきました。そして〇△□ではなく、色彩のイメージも出てきました。飛田さん、光嶋さん、二人とも、音源を聴きながらデザイン画やデッサン、ドローイングをとてもたくさん描きました。そして後日それを見ながらディスカッションをする、ということを繰り返しました。
なお今回の公演は3回限りでお席に限りがあります。悠治さん、いづみこさん、光嶋さん、飛田さん、私による随筆集「五人の手」を刊行しますので、そちらもぜひご覧ください。
飛田正浩(spoken words project)による衣装デザイン

■「今の時代の新しいアートの可能性を開いていきたい」
――『春の祭典』は最初ディアギレフが創立したバレエ・リュスのために書き下ろされ、ニジンスキーが振付しました。バレエ・リュスには異分野の才能が多数関わって総合芸術としての舞踊を創りました。今回もダンスとピアノ、空間美術や衣裳とのコラボレーションですね。今あらためてストラヴィンスキーに取り組んで感じることは?
『春の祭典』を始めて手がけた時は「ストラヴィンスキーと私」という関係で、ストラヴィンスキーと取っ組み合うようにして創作しました。音楽を強引に形にし過ぎました。でも今はそういう風に力んで音楽と組むのではなく、音楽の持つユーモアや響き、余白や付随することとも向き合いたいと思っています。今回はストラヴィンスキーを中心に奉って創作し、20世紀をオマージュしながらも、そのカケラを持って、今だから感じることのできる音楽とダンスの関係、新しいアートの可能性を開いていくことができればと考えています。
今、人と人の「場」が宙吊りになりつつあります。でも裏返せば人と混ざらないで純粋になれる時間も生まれています。不自由と同時に自由も生まれています。新しい想像へ羽ばたくことも、原点に帰ることも、人間関係を書き換えることも、新しい出会いが生まれるチャンスもあります。私はストラヴィンスキーとも新しい関係を作りたいし、今回公演に関わる皆さんともそう思います。今までの関係ではやらなかったこと、逆にやり難かったことを大切にできるのではないでしょうか。ストラヴィンスキーという課題を皆で抱えながら、2022年らしい取り組み方と関係をクリエーションしていく。私たち一人一人にも、人間関係にも、アートを発信する側にも、見る側にも、風穴というか、今だからこそ何かを発見する窓があるのではないかと考えています。
山田うん(写真:HAL KUZUYA)
――昨年(2021年)は「鎮魂」をテーマに国立劇場で声明とのコラボレーション『Bridge』を、新国立劇場で『オバケッタ』を創作し、日本唯一の公共劇場専属舞踊団 Noism Company Niigata(Noism)に新作『Endress Opening』を振付しました。今年のテーマといいますか、創作をする上で考えていることを教えてください。
「ストラヴィンスキープログラム」も含めて今年手がける予定の作品では、過去に作曲された音楽とダンスについて考えています。種子というか、始まりのイメージを大切にしています。でも0から始めるのではなく1から始める感じです。全部を壊して家を建てるのではなくて、1あるところからどうやって新しい家を建てていくのか。そして、その残しておく「1」って何か?それはどんな種なのか?ということを問う作品を創作したいと思っています。大事にしたい種、残したい種とはどんな質なのだろうと。
取材・文=高橋森彦

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