斉藤和義のツアーに抜擢されて以降、
吉井和哉、YUKI、藤井フミヤ、石崎ひ
ゅーい、米津玄師、あいみょん等、幅
広いアーティストの作品に参加する人
気ギタリスト・真壁陽平。その音楽キ
ャリアに迫る【インタビュー連載・匠
の人】

その道のプロフェッショナルへのインタビュー連載「匠の人」。今回登場するのは、多くのアーティストから絶大な支持を得ているギタリストの真壁陽平だ。1979年、北海道生まれ。中学生でギターを弾き始めた頃から「勝手にプロになると思ってました」という真壁は、東京で音楽学校に通い、セッションミュージシャンとして活動をはじめた。ブレイクのきっかけは2015年に斉藤和義のツアーに抜擢されたこと。その後は吉井和哉YUKI藤井フミヤ石崎ひゅーい佐藤千亜妃米津玄師あいみょん等幅広いアーティストのレコーディングやライブに参加する等、シーンに欠かせないギタリストとなった。「どんな現場でも弾き方やアプローチは変わらない」「レコーディングではいつも自分の足跡を残したいと思っています」という真壁に、ギタリストとしてのルーツやこだわりについて聞いた。
――真壁さんは幅広いアーティストのライブや作品に関わっていらっしゃいますが、最初の音楽の入り口はどこだったんですか?
親が音楽好きだったんですよ。車に乗るとスティービー・ワンダーとか、80年代初頭くらいの曲がずっと流れてて。小さい頃「We are the world」が流行ったのも覚えてますね。母親はサイモン&ガーファンクルカーペンターズが好きで、そういう曲も子供のときから聴いてました。なので、歌謡曲をあまり知らないんです。
――最初から洋楽志向だったんですね。ギターに興味を持ったきっかけは?
それも父親ですね。小学校6年生のときに高中正義さんのライブに連れていってもらって、「ギターいいな」と思って。アコースティックギターは家にあったんですけど、エレキはなかったので中1のときに買いました。高中さんに憧れていたので、ああいうソロを弾きたかったんですけど(笑)、メロディを自分で探して弾くのは難しくて。あと、ギターをやってる友達にBOØWYやX JAPANのバンドスコアを借りて、ちょっとコピーもしてたかな。
――やはりギターが目立つ曲、ギタリストの存在感が強いバンドが好きだった?
そうですね。その後、親に頼んでギターの教室に通わせてもらってたんですけど、先生に教えてもらってヘビーメタル的な音楽を聴くようになってからは、速弾きばっかり練習してました。スティーヴ・ヴァイとかイングウェイ・マルムスティーンとか。
――速弾きの王道ですね!
はい(笑)。MR.BIG、Extremeも聴いてました。当時はヌーノ・ベッテンコート(Extreme)がいちばん好きだったかな。プレイはもちろん、見た目もカッコよかったので。ヴァン・ヘイレンもコピーしましたけど、ちょっと70年代感があっていなたいイメージだったんですよね。で、その後はすぐにレッチリとかを聴き始めて。
――90年代のオルタナやミクスチャーですね。
移り変わりが激しい時期だったじゃないですか。メタルやハードロックはカッコ悪いという風潮になって、どんどん新しいバンドが出てきて。特にRADIOHEADは好きですね。『KID A』にはビックリしましたけど、その前の『ザ・ベンズ』『OKコンピューター』はめちゃくちゃ聴いてました。レッチリのジョン・フルシアンテ、RADIOHEADのジョニー・グリーンウッドにはすごく影響を受けていると思います。
――そのあたりがギタリストとしてのルーツなのかも。北海道時代、バンドはやってたんですか?
やってました。年上の人たちとヘヴィメタルをやったり、あとはレッチリのモノマネみたいなバンドとか。高校の頃はHi-STANDARDTHE YELLOW MONKEYJUDY AND MARYとかが流行ってて、コピーバンドも多かったですね。僕は全然日本の音楽に興味なかったんで素通りでしたけど(笑)。それなのにこういう仕事をしてるのもアレですけど……あと、ギタリストの名越由貴夫さんが好きだったので、いろんなCDを聴いて、どういうギターを弾いてるのか研究してました。
――高校生の頃、「プロのミュージシャンになりたい」と思ってました?
高校の頃というか、ギターを弾き始めたときから「プロになろう」と勝手に勘違いしてました(笑)。親にしつこく頼んで音楽教室に通わせてもらったのも「上手くなるためには習ったほうがいい」と思ったからなんですよ。札幌のヤマハ音楽教室なんですけど、そこからプロになった人が結構いて。ギタリストの田中義人さんもそう。その教室で講師をなさってたんですが、東京に出ていったと思ったら、Mondo Grossoに参加してあっという間に有名になって。僕は直接習ったことはないんですが。他にもおもしろい先生がいらっしゃったし、すごく楽しかったです。そこで知り合った人とバンドもやってましたね。
――バンドのギタリストとスタジオミュージシャン、どっちを目指してたんですか?
どっちでもよかったんですけど、バンドは難しそうだし、個人でやるほうがいいのかなと。講師の先生がスタジオミュージシャンの仕事をしていて、それがカッコよく見えてたんですよね。「裏方ってカッコいい」というか。たとえばですけど、バンドでデビューして、『ミュージックステーション』のひな壇で話している自分が全くイメージできなかったんです(笑)。そういう自分が音楽で生活するためにはサポートミュージシャンなのかなって。まあ、どっちにしろ甘い考えなんですけど(笑)。
――スタジオミュージシャンになるためには幅広い音楽に対応できる力も必要ですよね。
そうなんです。東京の音楽学校に入ってからは、ジャズやソウルをやってる友達ができて、自分もそういう音楽に興味を持ち始めて。下北のライブハウスに行くと、オルタナやシューゲイザー系のバンドが多かったし、何でも聴いてましたね。僕もいろいろバンドをやってました。どれもお客さんはふたりみたいな感じでしたけど、いくつも掛け持ちしてるってことでは、やってることは今と一緒なのかも(笑)。
■自分から積極的にコミュニケーションを取るタイプでもないし、どうしたら仕事が増えるかわからなかった
――プロとしての活動はどんなふうに始まったんですか?
音楽学校のときの知り合いがスタジオの仕事をするようになって紹介してもらったり。アニメの劇伴やBGMのレコーディングにたまに呼んでもらってたんですけど、食えるか食えないかギリギリの生活が続いてました。でもあまり深刻に考えないタイプというか(笑)、「いずれどうにかなるだろう」と思ってました。講師の仕事もやってたから、「まあいいか」って。もちろん「ツアーの仕事とかしたいな」と漠然と思ってましたけどね。よく「コネが大事」みたいなことを言われてたけど、自分から積極的にコミュニケーションを取るタイプでもないし。どうしたら仕事が増えるかもわからず……。
――最初から売れっ子だったわけではなかったんですね……。活動の幅が広がったきっかけは?
それはもう、斉藤和義さんのツアーに参加させてもらったことです。あれですべてが一変しましたね。当時はほとんど知られていないギタリストだったのに、いきなりロングツアーに抜擢してもらって。
――2015年11月から2016年6月にかけて行われた全国ツアー「KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2015-2016“風の果てまで”」ですね。どんな経緯で参加することに?
その頃、シンガーソングライターの中村中さんのサポートをやらせてもらっていて、よくふたりだけでライブをやってたんです。2014年に泉谷しげるさんが主宰していた宮崎の口蹄疫の復興イベント(「水平線の花火と音楽5」)に出ることになって、そのときに初めて和義さんに会ったんですよ。自分たちの演奏を和義さんが聴いてくれて、バックヤードでいきなり「ギター、よかったよ」って話しかけれて。「うわ、斉藤和義に話しかけられた」ってビックリしたんですけど(笑)、その場で「そのうち何かやろうよ」って言ってもらったんです。そのときはリップサービスかなと思ったんですけど。
――和義さん、リップサービスしなさそうですけどね。
そうなんですよね。しばらくしたらマネージメントの方から「半年間、60本くらいのツアーがあるんですが空いてますか?」と連絡が来て。「マジか!」ってめちゃくちゃビックリしました。
――すごい! そのときのツアーには、真壁さんのほか、玉田豊夢さん(Dr)、山口寛雄さん(B)、堀江博久さん(Key)が参加されています。和義さんのロングツアーに参加したことで、当然ギタリストとしての経験値も高まりますよね。
そうなんですけど、最初はいろいろ意味がわからなかったです(笑)。そんな大規模のツアーは初めてだったし、例えばギターの弦をどれくらい用意していいかもわからなくて。周りのメンバーも自分より全然キャリアがあってすごい方ばかりじゃないですか。「何で俺、ここにいるんだろう?」という状態でしたね(笑)。プロのローディーの方が付いてくれる現場も経験したことがなかったのですごく勉強になりました。和義さんも好きなように弾かせてくれたんですよ。もちろん「ここはこういう感じで」という部分もあるけど、それ以外は自由にやらせてもらって。やりがいもめちゃくちゃありましたね。和義さんの音楽はずっと聴いていたし、「この曲を弾けるんだ!」って。
――その後も和義さんのライブに参加していますが、印象に残ってるステージは?
いろいろあるんですけど、2017年のRISING SUN ROCK FESTIVALは記憶に残ってますね。ツアーでもやってことがなかった「歌うたいのバラッド」を当日いきなり「やりたいんだけど」って言われてリハなしでやったんですよ。もちろん曲はさらっていたし、「できるんじゃないかな」と思ってたんですけど、それがすごくいい演奏で。それはめっちゃ覚えてますね。
■歌を際立たせるとか、邪魔しないっていうことはあまり意識していないかもしれない
――和義さんのツアーに参加したことをきっかけに、他のアーティストからのオファーも増えた?
はい。同じタイミングで藤井フミヤさんに声を掛けていただいて、その後もいろいろな話をいただけて。機材を運ぶために車が必要になったんですけど、免許も持ってなかったから(笑)、教習所に通って、車もすぐ買いました。
――米津玄師さん、あいみょんさんなど、若い世代のアーティストの作品にも参加されています。
米津くんは別の現場で知り合ったベーシストの須藤優くんとドラマーの堀正輝くんが紹介してくれたんです。「ピースサイン」もそうですけど、アルバム『BOOTLEG』(2017年)で4、5曲くらい弾かせてもらってます。その頃はアレンジャーさんがいなくて、米津くんが作ったデモ音源が送られてきて。本人が考えたフレーズを再現するのが基本的なやり方でしたね。譜面がないから耳コピするんですけど、かなり複雑なフレーズもあって結構大変でした。すぐに「いいですね」ということもあるし、なかなかOKが出なくて何度も弾き直したこともありましたね。あいみょんはトオミヨウくんとのつながりですね。「裸の心」がトオミくんのアレンジなんです。音源にはアコギしか入ってないのでレコーディングはしてないんですけど、「裸の心」でテレビ出演するときのバンドメンバーとして参加させてもらって。おかげで紅白にも出させてもらって、「ありがとうございます」という感じです(笑)。
――歌番組はライブとは違う緊張感がありそうですね。
元々そんなに緊張するタイプではないんですよ。いつの間にかこうなってたって感じだし、こちらが一方的に知ってた方々と知り合えるのもすごくおもしろくて。吉井和哉さん、YUKIさんのツアーにも参加させてもらってるんですけど、ずっとリアルタイムで聴いていたアーティストですからね。吉井さんの現場は素でやれるというか、僕がいちばん影響を受けたオルタナの感じを自然に出せてるかも。
――YUKIさんの他に佐藤千亜妃さんのライブにも参加されていますが、女性シンガーソングライターの場合は歌を際立たせるギターを意識しているのでしょうか?
あまり意識してないかもしれないですね。歌を際立たせるとか、邪魔しないとか、そのことがよくわからないんですよ(笑)。その曲にふさわしいギターを弾くことは心がけてるし、自然に弾けば邪魔することはないと思ってるので。聴き方や音色、アレンジのアプローチなんかも、いつも同じ感じでやってます。レコーディングも「足跡を残したい」という気持ちが強いですね。まずは自分が思うように弾いて、そこからはやり取りながら折り合いをつけていくことが多いかな。僕を呼んでくれるアレンジャーさんは(ギタリストとしての特徴を)わかって呼んでくれてるので、いつもやりやすいですけどね。
■こういう仕事をしているわりに、あまりスタジオミュージシャンっぽくない
――では、“ギタリスト・真壁陽平”の強みはどこにあると思います?
何だろう? あんまりよくわからないですけど(笑)、僕の場合はこういう仕事をしているわりに、あまりスタジオミュージシャンっぽくないのかもしれないですね。さっきも言いましたけど、歌謡曲をたくさん聴いてきたわけではないので、伝統的なスタジオミュージシャンとは違う気がするというか。“泣きのギター”みたいな演奏もできないし、“日本の歌心”もよくわからなくて(笑)。それをおもしろがってくれる人がいるんだろうなと思ってます。
――いちばん影響を受けたのがオルタナなので、確かに伝統的な歌謡曲やJ-POPの文脈とは違いますよね。
そうなんですよね。オルタナ系のバンドのギターって、ぶっきらぼうな感じが多いじゃないですか。そういう質感を仕事でも出したいというのはすごくありますね。音が毳立っていて、ただきれいなだけではないという音が好きなので、まわりの音に溶けないギターが弾きたいんですよ。もしかしたら「邪魔だ」と思われるかもしれないけど(笑)、無理矢理合わせてもしょうがないと思うんですよ。こちらが選べる立場ではないし。もちろん呼ばれたら頑張りますけどね。
――特徴的なスタイルを持っていて、真壁さんにしか弾けないギターがあるということだと思います。それにしても今は忙しいですよね?
2021年はすごかったですね。斉藤和義さん、YUKIさん、吉井和哉さんのツアーがほぼ同時にあって、家にほぼいませんでした。本番が終わって、ホテルに戻って、次の現場の曲を練習して。この仕事は予習がいちばん大事なので、ずっとギターを弾いてました。望んでいたことなんですけど、かなり大変でしたね(笑)。コロナの時期もレコーディングに呼んでもらったりして、そこまで仕事が減らなかったことはすごく助かったし、ありがたいです。
――ギタリストとしての将来像については?
漠然とそのうち自分のことをやれたらいいなって思ってます。具体的なプランは全くないんですけど(笑)、そんなに大げさな事じゃなくて、好きなようにギターを弾いて、それを作品にできたらいいなと。でも、ぶっちゃけギターを弾いて生活できたら何でもいいんですよ。もともと「ギターでごはん食べられたらいいな」というところから始まってるし、今もそれは変わらないですね。
――素敵です。最後に、今のメインのギターについて教えてもらえますか?
63年製のジャズマスターです。もう15年以上使ってるので結構ボロボロなんですけど、形も好きだし、気に入ってますね。Sonic Youthのサーストン・ムーアもそうですけど、オルタナ系のギタリストがよく使ってたんですよ。日本ではそんなに弾いてる人がいなかったんですけど、最近は使ってる人が増えちゃいましたね(笑)。
取材・文=森朋之

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