L→R 村井研次郎(Ba)、石井秀仁(Vo&Gu)、桜井 青(Gu&Vo)

L→R 村井研次郎(Ba)、石井秀仁(Vo&Gu)、桜井 青(Gu&Vo)

初めてCD音源を出してから
バンド状況がものすごく変わった

村井さんは96年10月に四代目のベースとして加入されるわけですが、その時の想いというのは?

村井
僕はcali≠gariに入るまでビジュアル系を知らなかったし、化粧もしたことがなくてまったくの部外者だったので、大学じゃない外の世界でバンドがやりたいという気持ちだけだったんですよね。でも、加入してからライヴハウスに行くと髪が赤い人とか、変な格好していたり、叫んでる人もいて、“どうしてそんなことで怒ってるのかな?”と思うこともあったし、みんな時間は守らないし、酒癖は悪いしで、“世の中にこういう人もいるんだなぁ”って。周りが危なかっただけでcali≠gariはそういうのがなかったから、そこには染まらないように頑張ろうと思っていました。

cali≠gariは自分が持っているエネルギーを人に発散するんじゃなくて、黙々と音楽に向けているバンドだったんですね。村井さん加入後には初のワンマンライヴを新宿LOFTで行なっています。

桜井
それまでに新宿LOFTでイベントをやっていたから、お客さんが来てくれたと思います。チケットは完売で、結局全員入りきらなくて階段で終わっちゃった人もいたみたいでした。

すごい勢いですね。99年12月にワンマンツアー『夢見る分裂少年の妄想仕掛けな無差別テロ』を開催されますが、2000年6月にはヴォーカリストがミニアルバムのレコーディングの一週間前に脱退という。この激動の7年間ってどんな感覚でしたか?

桜井
変化がかなりありましたね。僕は30歳より前にはバンドを辞めようと思っていたんですよ。どうしてもデザイナーになりたかったし、入りたい事務所も29歳までの募集だったので、それまでに決めるしかないと。でも、その決意をやめるきっかけになったのが『第3実験室』(1998年6月発表)というアルバムで初めてCDを出した時に、今までのデモテープにはなかった確実な手応えがあったんです。それまでもお客さんは増えてくれていたけど、だいたい30人前後でノルマは払わなくて済むくらいだったのが、CDを出してから信じられないほどお客さんが増えていったんです。その頃のホームグラウンドは本八幡のRoute Fourteenだったので、“千葉でこの人数なら都内だと3倍は入るよ”とよく言われていたんですけど、本当に同じことが起こってしまって。あの時は嬉しいよりも“えっ!?”って感じでした。それまでは“君たちはビジュアル系じゃないから”って見向きもしてくれなかった雑誌からも“ぜひうちでお願いします”と手のひらを反すように連絡があったり(笑)、バンドの状況がものすごく変わった時期でした。

OKMusic編集部

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