【THE BACK HORN インタビュー】
キャリアを重ねてきたからこそ、
堂々と胸を張って言えるタイトル
4人が信頼し合っているからこそ、
前を、上を向ける
『「KYO-MEIストリングスツアー」feat.リヴスコール』のZepp Haneda(TOKYO)公演(2021年6月11日)を観たんですけど、あの日のMCがすごく印象に残っていて。将司さんが会場に向かう途中の駅でTHE BACK HORNのグッズをたくさん身に着けてくれているファンの子たちを見かけて、嬉しくて思わずついて行っちゃったみたいな話をされていたじゃないですか。
“このご時世で会場へ足を運んでくれる、ワクワクしている姿を見た時にすごく元気をもらった”としみじみ話されていて。THE BACK HORNとお客さんの信頼関係が垣間見られたからか、第三者である自分までなんだか嬉しくなっちゃうような感じがあったんですよ。あれって、すごくピュアな心に立ち返れた出来事のひとつだったんじゃないかと思うんですけど。
そうだと思います。本当に嬉しかったんで。もともと俺はファンの方とあまり壁を作りたくない性格だし、今の状況で観に来てくれるお客さんのことを考えたらね、励まし合いながら肩を組んで歩きたいくらいの気持ちなんですよ。“お互い、よく生きてたね”みたいな想いでいっぱいというか。
そのファンの方が後日、将司さんと話したこととかを丁寧にまとめたノートの画像をTwitterにアップされていて、本当に素晴らしい関係性だなと。
ありがたい限りですね。俺としゃべったこととか“嘘だろ!?”というくらいちゃんと覚えていて驚きました。いい思い出です。ライヴが終わったあともまるでライターさんみたいにMCを書いてくれていたり、すごい熱量の方っているもので。何度も言うけど、ただただ嬉しいです。「希望を鳴らせ」はそんなファンのことが脳裏にあったんでしょうね。作っている時に自然と生まれてきたんですよ、サビ頭の大合唱が。
印象的なポイントですよね。
東日本大震災の際に作った「世界中に花束を」(2011年3月発表の配信シングル)と同じく、悲しみや苦しみの中にいる時ほど、俺たちはみんなで歌いたくなるのかもしれない。ライヴ会場で声が出せない時期なのに、このアイディアが生まれてパッと実現できたのは…うん、我ながら“いいな”と思いました。絶対にこうしたいという揺るぎない決意があったので。結果的に、未来もイメージできる曲になったんですよね。声を出せない今はメンバーがコーラスして、お客さんには心の中で歌ってもらう感じですけど、みんなで歌える日がきっと訪れる。それが本当の意味で希望を鳴らせる時な気がします。
その《希望を鳴らせ》と歌うところは、がなるような感じじゃなく、とてもやさしいトーンに聴こえました。
どう歌えばいいのかはすごく考えました。レコーディングの時はライヴの風景を思い浮かべながら、《希望を鳴らせ》の前に“それでも”がつく感覚で歌っていたので、包み込むような想いとか慈愛の念とかいろんな気持ちが混じってます。
絶対にこうしたいみたいな点って、他にも何かありましたか?
マツ(松田晋二の愛称)のドラムで始まってドン!とバンドが入るイントロは、作っている途中に思いつきました。メッセージを真っ直ぐ伝えるためにも、とにかくコンパクトな曲にしたかったんですよ。最初は全然違うパターンのイントロだったんですけど、ダラダラしたものじゃなく、曲の始まりを一瞬で鮮やかに告げるようなアレンジが相応しいんじゃないかなって。ああいうドラムのフィル始まりの曲は、意外と今までなかったし。
なるほど。
でも、分かりやすく新しい部分は全体的にさほどないんです。派手さとかが目的じゃなくて、さっき言ったように「希望を鳴らせ」はTHE BACK HORNのど真ん中をバシッと出した曲だから。“THE BACK HORNらしいってどういうことなんだろうか?”と改めて向き合う作業だった感じがします。とはいえ、別に和メロを際立たせるわけでもない。今の自分たちが腑に落ちる曲が欲しかったんですよね。新しい要素がそこまでないにもかかわらずグッとくるものに仕上げるのは難しかったけど、やり甲斐はありましたね。
作詞が栄純さんで作曲が将司さんっていう作り方は珍しいですね。
はい。過去曲でこの組み合わせは「罠」(2007年11月発表のシングル)くらいです。うちのバンドは“将司が作った曲は将司が歌詞を書いたほうがいいんじゃない?”となるし、それ以外だとマツの歌詞に俺が曲をつけたり、俺の書いた曲にマツが歌詞をつけたりする機会が多いんですけど、今作に関してはその他の制作曲に向けての割り振りをした時に自分の作業量が多くなってたのもあって。
バランスを取ったみたいな?
というのは、ひとつ理由としてありますね。だけど、一番の理由は楽曲に対する想いの大きさだと思います。俺がTHE BACK HORNのど真ん中の曲を作ると決まった時、“じゃあ、俺が歌詞を書くよ”と栄純は自ら手を挙げましたから。
将司さんにとって“希望を鳴らせ”というタイトルは意外だったりもしましたか?
最初は眩しくて目を覆いたくなるようなタイトルで驚きましたね。ものすごくど直球だから“どうなんだろう?”と一瞬なったりしたんですけど、もう23年くらいTHE BACK HORNをやってきて…それこそ始めたばかりの頃なんて、絶望の中でもがき苦しんでいたわけですよ。そんな俺たちから、長い年月を経た今、この言葉が出てきた。いろんな重みを実感すると、堂々と胸を張って言える言葉だと納得できるようになりました。
音楽を奏でる側が“鳴らせ”と歌うのも新鮮でした。
いろんな受け取り方はできますけど、自分たちのケツを叩いてる感じが強い曲ですからね。“こんな時に鳴らさなくてどうするんだ!”という想いがすごくある。で、俺ひとりじゃ言えない言葉、できない表現だと思うんです。4人が信頼し合っているからこそ、前を、上を向けるんだろうなって。
話をうかがっていて、歴史を積み重ねてきたからこその楽曲なんだなと実感します。
本当にそれですね。THE BACK HORNが「希望を鳴らせ」という曲を出すとなったら、タイトルだけでかなりイメージできるものがある気がしていて。
すごくイメージできます。
これまでのキャリアを踏まえると、この言葉って重みがあると思うんです。ライヴでも重要な曲になっていきそうだし。あと、「瑠璃色のキャンバス」の時もそうだったんですけど、今回もほぼリモートでレコーディングしたんですよ。
コロナ前からリモート作業が得意なバンドでしたよね。
曲作りに関しては、もう10年以上前からデータでやり取りしていますね。そんな中で改めて思ったのは、リモートでここまでガチッとライヴ感のあるグルーブが出せるのは心強いなと。これもメンバー同士の信頼がないとできないことですね(笑)。あっ、もうひとつ粋な聴きどころがありました。
何でしょう?
《馬鹿だろ今 俺は何処へでも行けるって 叫んだあの日は遠く》と歌ってるんですけど、これがインディーズ時代の「さらば、あの日」(2000年4月発表のアルバム『甦る陽』収録曲)という曲のワンフレーズとリンクしているんです。「さらば、あの日」にあった《馬鹿だろう? 今俺は 何も無い故に何処へでも行ける》を、栄純がどこにも行けない状況になったこのタイミングで引用してきたのは“やるなぁ”と思いましたね。しかも、俺たちに何も言わずにスッと入れてくれたっていうのが。
いいですね。
今、『マニアックヘブンツアー Vol.14』の最中なんですけど(取材は12月上旬)、「希望を鳴らせ」と「さらば、あの日」をアンコールの最後に続けて演奏してるんですよ。両方の歌詞を行き来する感じで。長くやっているからこその業ですね(笑)。自分たちの歌ってきた言葉っていくらでも使い回ししていいし、栄純は使うべき時に使ってきたと思います。