PLAY/GROUND Creationが『Navy Pier
』を日本初演/井上裕朗×青柳尊哉×
中丸シオンに聞く〜何者かになろうと
する若者たちの物語は、俳優が何者か
になろうとすることと重なる

演劇創作ユニット「PLAY/GROUND Creation」が観客の前に姿を現したのは2020年9月。ハロルド・ピンターの『BETRAYAL 背信』だった。スタイリッシュな空間の中に、友情と不倫をめぐる男性二人と女性のヒリヒリするような心のやりとりと相反する安らぎが混在する世界が強い印象を残した。その原点は、俳優・井上裕朗が2015年に俳優たちを集めて実施した「actors’ playground(俳優たちの遊び場)」という勉強会だった。俳優は誰にも従属せず、遊び心を大事にする、がルール。そのコンセプトを掲げて挑む第2弾は、日本初演、アメリカの劇作家ジョン・コーウィン『Navy Pier埠頭にて』。『背信』は2チームの交互上演だったが、今回は、翻訳を池内美奈子と井上が手がけ、池内が1チーム、井上が2チームを演出するという(無謀な)チャレンジ。まぁ、それが遊び心というものだ。『背信』に続き参加する青柳尊哉、中丸シオン、そして井上に聞いた。

『Navy Pier埠頭にて』あらすじ:
大学で英文学を専攻するマーティンとカート。彼らは何でも話した。女の子に、エアホッケーに、そして文学に夢中になった。赤毛が好きなマーティン。ブルネットに惹かれるカート。赤毛のアイリスはカートと暮らしはじめる。ブルネットのリヴはマーティンと恋に落ちる。シカゴ、サンフランシスコ、ニューヨーク。居場所を求めてさまよう若者たちは──

■俳優の仕事は全部を脱ぎ捨てる、禁断の領域に足を踏み入れること
――井上さんはご自身が俳優として演じるときも、演出をするときも、役という仮面・鎧をつけず、本人のままでいることを理想としています。それだけに『背信』では互いを傷つけ、愛する展開に、役者は哀しいくらい内面を解放し、えぐり出すような稽古をしたんですよね?
中丸 今回は「もっと大変になると思うよ」って何回も言われているので、お腹が痛くなりそうです。
青柳 大変だとわかっているのに、楽しみにしている自分もいる。『背信』のときの内面の開き方をもう一回やると思うと確かに身構えるんですけど、稽古に入ったらそんなことを言っていられない。最終的に開くんですから、ドMもドM(笑)。
井上 改めて言われると、ひどいやつですね(苦笑)。もともと僕は演劇に縁のない人生を送っていたんですが、あるとき、つかこうへいさんの芝居を見て、この登場人物たちのように奔放に生きられたらと思ったんです。誰しも社会生活を送るために仮面や鎧を着けている。でもそれを外して生きているのが劇中の登場人物であり、外していい場所が劇場だと。チェーンにつながれたお客様を前に、俳優が仮面や鎧を着けていたら何の意味があるんだという思いがある。俳優の仕事は、全部を脱ぎ捨てる、禁断の領域に足を踏み入れる、普通の人たちができないことをすることだと思うし、そういう要素が描かれているのが名作だと考えているんですよ。

PLAY/GROUND Creation『BETRAYAL 背信』
PLAY/GROUND Creation『BETRAYAL 背信』

――『背信』のとき、役者としてはどうだったんですか?
青柳 僕自身も役へのアプローチに悩んでいたんです。役の仮面を被った出発ではなく、その人となりの延長線上に役がある方が魅力的だと思うし、俳優として強くあれるんじゃないかと。でも『背信』の稽古では、僕らはここまで役と向き合って、自分を開かねばならないのかという体験をしました。
中丸 1年前に裕朗先生に教えていただいたことを、
井上 やめなさい、その言い方!(笑)。
中丸 ふふふ。脚本にメモしたりノートにも書いて、この1年は何かやるたびに開いていました。バイブルです。いただいた言葉たちを本当に大切にしてきた。裕朗さんの稽古場は、とても恥ずかしかったし怖かった。今回はそれよりひどくなるらしいけど、尊哉君しかり、この現場の皆さんの前だったら傷つくのも怖くないです。
青柳 でも役者の哀しい性(さが)というか、戯曲を持つ、せりふを言うとなった瞬間に仮面や鎧を着けてしまうんです。まだまだ向き合い方が下手くそだなと思う。
井上 僕自身も同じだからわかるんです。目の前にやらなきゃいけないことがあると純粋に向かいすぎるからこそ、自分自身から離れてしまう。それは真面目がゆえにそうなってしまうんです。俳優って、書かれてるせりふは言わなきゃいけないし、演出家からのオーダーには応えるのが仕事だから、そのために自分の性を全部そこに投げ出してしまうんだけど、それもやりつつもっと自分勝手にいてもいいんじゃないかなって。

■重い結末も、ポップでロックなエンタメ
――この作品は日本初演です。どんな作品か紹介してください。
井上 マーティンとカートは物書きを目指していてひと旗あげたい人たち。アイリスは絵を描くという独自の世界がある。まったく違う世界に生きるリヴ。マーティンと親友同士のカートは、マーティンの彼女と知りつつアイリスに声を掛けマーティンから奪う。傷心のマーティンはバーで働くリヴと恋に落ちる。親友同士の男二人がいて彼女を奪う、奪われてしまう展開は『背信』と似てますね。そして都会的で、知的レベルの高い人たちを描いているところも。アメリカで上演されたときは、小さな空間で、4人が椅子に座ってせりふを言う形だったようです。
――井上さん、そういう心痛くなる作品がおすきなんでしょうか。
井上 僕の演劇の原点である、つかこうへいさんの作品もそうですから。何者かになろうとする若者たちの物語。それって我々が俳優として何者かになりたいみたいなこととすごく近い。だから彼らの葛藤が僕らの葛藤と被るし、彼らの人生を覗きにいったときに自分の人生にも向き合わざるを得なくると思うんです。誰もが自分自身が何者なのかがわかっていて、その通りに生きられれば幸せなのに、自分が何者かわかっていなかったり、わかっているのに違う者になろうとするから不幸が生まれる。お客様がそんなことを考えてくださる時間になれば成功かな。
――先ほどから、「前回より大変」という発言がさりげなく聞こえていますが、そのへんは?
井上 確かに違う大変さになりそうです。『背信』は大人の会話劇だから表に出さないものもある。だからこそ、隠れた根っこをしっかりつくる、育てる稽古をたくさんやりました。でも『Navy Pier』は20代半ばの若者たちの物語で、モノローグが中心だから、内側にあるものと出てくるものの差はさほど違わないと思います。ただ4人で約1時間40分、言葉だけで発信していくしんどさがあると思っています。
青柳尊哉
――戯曲を読んでの感想を教えてください。
中丸 最初に思ったのは、本当にショッキングなお話ですし、生と死が関わってくるし、尊哉君と裕朗さんが心配だなってことです。ティッシュも胃薬も必要になってくるから。
青柳 クリスマスの日、公演を終えて裕朗さんと僕が大桟橋にいたら止めてよね。僕も奪われたりなんだりってことは繰り返してきたし、行きたかったところに行けてない歯がゆさ、目の前のことに一生懸命になって大事なものを手からこぼし続けている瞬間もある。マーティンは小説家を目指しているんですけど、僕自身と照らし合わせると似た要素はたくさんあります。
――親友のカートに対しては?
青柳 なんだかんだ、やっぱり友達だと思っているんですよね。衝撃的ことの連続でクソみたいなやつだと思うこともあるけど、カートが悪いわけじゃないと。カートが書き上げた小説を素晴らしいと感じるのも嘘じゃない。裏切られた、許せないという感情はないかな。
中丸シオン
――中丸さん、アイリスはどんなふうに考えていらっしゃいますか?
中丸 アイリスは、やること、言うことともに自分に近いかなと感じていて、今のところは、自分に落とし込みやすいかなと思っています(後日聞くとまったくそうではなかったらしい)。前回はお客さんを忘れていいよ、3人の世界のことだけでいいよって言われて稽古したのですが、今回はライブ感が大事になると。生演奏もあるし、お客様に向かって話しかけるわけですから。そんな経験がないので、どうなるかわかりませんが、怖いし楽しみです。
青柳 裕朗さんからはポップでロック、エンタメなんだと言われるんですけど、言葉だけ聞くとめちゃめちゃカラフルじゃないですか。でも戯曲を読んでみたら、たぶん僕はダウナーから入らないと内面を引っ張り出せないなと想像しています。
井上 僕はこの戯曲を読んだときにあるミュージカルが浮かんで、ライブハウスでやろうと思ったんです。4人の登場人物たちが不特定多数の、誰か知らない人の前でしゃべるということは自分の本心を100%はさらけ出さない。どこかカッコつけたり、プライドをのぞかせたりするでしょう。男同士、男女のパワーゲームもありますが、お互いマウントを取り合っているときに自分の弱みを相手には見せない。表に出てくるものだけを考えたらエネルギーにあふれ、笑顔がこぼれたりする可能性もあると思うんです。流れる空気はポップだったりロックだったりにしたい。
 物語の後半でマーティンは行くところがないと言います。結末は普通に考えたら悲劇かもしれない。でもそれすらもポジティブに捉えることができると僕は思う。なぜならマーティンはなりたくない自分にはならないことを決めたのだから。それは前向きな決断と言えるかもしれない。

■2バージョンの同時上演も、好き勝手にやるのが「遊び場」っぽくていい
――ところで翻訳も違うバージョンを同時に上演する、しかも井上さんは2チームを演出するという、なかなか普通は考えないような仕掛けの公演になっていますよね。
井上 流れを言いますと去年の『背信』が終わった後に、PLAY/GROUND Creationを続けたいと思って、いろいろな方に僕らに合う作品はないか相談していたんです。そうしたら池内美奈子さんが20年前にロンドンで見て、温めている作品があると紹介してくださったのが『Navy Pier』。やることにしましたと伝えたら、池内さんも「私もやりたくなった」とおっしゃってくれて、最初は共同演出とかいろいろ考えたんですけど、一緒にやるよりも互いにやりたいことをやったほうが面白いなって。それこそ美奈子さんが20年も温め続けてきた強い想いがあるでしょうし、譲り合ったり、妥協し合ったりするのはつまらない。好き勝手にやるのが「遊び場」っぽくていいじゃないですか。美奈子さんがあまり動かない演出を考えていると聞いたときに、プロダクション全体としては美奈子さんの演出が正統的でオーソドックスなら、僕は逆に好き勝手遊ぼうという気持ちになれたんです。
井上裕朗
――泣きながら七転八倒して楽しむみたいなPLAY/GROUND Creationの現場かなと思いますが、第2弾、どんなふうに頑張りましょうか。
青柳 裕朗さんにとっても広い赤レンガでやることは勝負だと思うから、僕らも成長することを含めて全力で楽しみたいです。初めて『Navy Pier埠頭にて』を日本で上演できることは光栄なこと。誰かがこんなふうに自由に生きたいと思うかもしれないし、単純に劇場いいよねでもいいですし。このクリスマスの時期にはネオンが散りばめられたその景色に出会うだけでも素晴らしい時間なんじゃないかな、と思います。
中丸 「Navy Pier」はシカゴですけど、観覧車や大桟橋とかあるし、横浜ってすごく似てるんですよ。
井上 もともと湾岸の倉庫みたいなところ、ライブハウスとかで上演を考えていたんです。そのときに尊哉が「赤レンガは?」って聞いてくれて。僕は自宅から横浜は遠いものですから、夢にも思っていなかったんですけど、考えてみたら、それ以外の可能性はあり得ないというぐらいに確信を持って決めました。
中丸 不思議な体感型のお芝居になると思うんです。感動するではなく、もしかするとお客様とも寄り添って一体になるような気がします。だからこそすごく楽しんでもらいたい、一緒になる瞬間ができるといいなぁ。
青柳 PLAY/GROUND Creationってやってるときは早く終われって思うんだけど、終わらないでくれ、終わるのが嫌だなとも思う座組なんです。
中丸 そうだね。『背信』のときは相当ロスな気分になりました。裕朗イズムをニューフェイスの皆さんがどう感じてくるのかもすごい楽しみ。私もPLAY/GROUND creationを広めたいんですよ、いろんな俳優さんに。こんな稽古するの?みたいな。裕朗さんの発想力と柔軟な考え方が好きで、新鮮な気持ちでまたイチから築きたいと思います。
取材・文:いまいこういち

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