「雅楽で舞う 雅楽と踊る 伶楽舎×森
山開次」~フランスで絶賛された雅楽
とダンスのコラボが凱旋公演

2021年11月30日、「雅楽で舞う 雅楽と踊る 伶楽舎✕森山開次」が上演される。雅楽の古典作品に加え、新たに作曲された現代の雅楽作品なども手掛けながら雅楽の普及に努める「伶楽舎」と、国際的に幅広く活躍するダンサー・森山開次とのコラボレーションによる公演だ。これは2018年にフランス・パリで開催された《ジャポニスム2018「響きあう魂」(国際交流基金主催、KAJIMOTO企画)》で初演され絶賛されたもので、コロナ禍を経た2021年の今年が、いわば日本での凱旋公演となる。プログラムは第一部で雅楽の古典舞楽『青海波』『陵王』が、第二部では現代雅楽『彼岸の時間』(権代敦彦作曲)と、『綸綬(りんじゅ)』(猿谷紀郎作曲)に森山が振付・演出を行ったダンスを上演。能やオペラなど、様々な舞台・音楽と共演してきた森山ならではのダンスとともに、雅楽という、神社の奉納など限られた場所で聴く音楽を身近に感じ、伝統音楽の現代の姿を体験できる絶好の機会ともいえるだろう。

今回は森山に雅楽との出会いや創作時の思い出、本公演に対する思いなどを聞いた。(文章中敬称略)
ⒸSadato ISHIZUKA

■フィルハーモニー・ド・パリで感じた熱気と息吹。伝統芸能とコラボするゴージャスな時間
――森山さんはこれまでも能やオペラなどとのコラボレーションやバレエの振付など、様々な活動をされてきました。今回の伶楽舎との雅楽のコラボレーションのお話を聞いたときの思いは。
ダンスを通して、いろいろな音楽にふれられるという楽しみがいつもたくさんありますが、雅楽にふれるという機会はこれまであまりありませんでした。また実際滅多にあることではなかったので、お話をいただいたときは非常に興奮し、ぜひに、ということでお話をお受けしました。またそのコラボレーション作品をパリで発表するということでもあったので、音楽とダンスの融合をどのように紹介できるかなど、自分の芸能に対する様々な思いがパリに向かって飛び立っていました。雅楽という長い歴史のある伝統芸能のなかで、僕のやってきたダンスをどのように表現するかを考えるなど、創作から上演までの間、とてもゴージャスな時間をいただき、またその一端を担えたのがとてもうれしかった。素晴らしくいい思い出になっています。
――フランス公演で印象に残っていることは。
会場がフィルハーモニー・ド・パリという大きなホールで、流線型の客席が砂丘のようでした。会場のほぼ三方向をぐるりと囲まれたところに、お客様の熱気が身体に迫り充満するなかで、雅楽という神聖な音楽が響きわたる。そんな空気も相まって、地球の胎動のような空気感を共有しているような感じでした。いい経験ができたと思っています。

■時空を超える音楽。伝統と融合する新たな芸術を模索
――実際に雅楽という音楽に初めてふれたときの印象は。
一番大きく感じたのは、自分の身体や魂、そういったものを遠くへ運んでくれるような感覚でした。時空を飛び越えるような感覚というのでしょうか、魂や心を過去から未来へと運ぶ、遠くの時と繋がるような音楽という印象です。
雅楽の楽器には笙や篳篥(ひちりき)などいろいろなものがあり、例えば笙は舞い上がるような感じなど、その音一つひとつが身体のいろいろなスイッチを押し、動きを与えてくれる、そんな瞬間があることも感じました。
――雅楽の楽器は、例えば笙は鳳凰を、笛は竜を表すといった意味があると聞いていますが、振付の際にそうした楽器の持つ意味などは意識されたのでしょうか。
最初は何も考えず、ただ音楽を意識して身体を動かしていました。そうした知識はあとから教えていただき、答え合わせじゃないですけど「ああなるほどな」と思ったり「ちょっと違ったな」と思ったりという感じでしたね。雅楽の伝統的なスタイルなどを取り入れようというのではなく、あくまでも自分自身のダンスをそこにどうやって音楽の中に落とし込むかということを考え、そのように踊らせていただきました。雅楽を通して様々な音楽や芸術がリンクする、その可能性を考え新たな芸術を模索したという感じです。
――雅楽というと一般的には伝統的な神事の音楽というイメージがありますが、伶楽舎は伝統的な古典のほかに、現代雅楽という新しい流れも生み出しています。
雅楽は伝統ある音楽ですが、その音楽が生まれた時からの、そのひとつひとつを積み重ねてそれが今に繋がり、伶楽舎さんをはじめとする芸術家の方々が新しい音楽を生み出している。その流れに僕が参加して、さらに新しい音楽やダンスの関係性を生み出していくというのでしょうか。恐れ多いですが、雅楽という千年を越える壮大な大きな歴史の大きな流れの中に、ちょっと僕がいさせていただいているという感じです。

■どちらも「時」を感じさせる現代雅楽『彼岸の時間』『綸綬』
今回の公演では雅楽の代表的な古典舞楽『青海波』『陵王』のほか、森山が現代の雅楽作品『彼岸の時間』『綸綬』に振り付けたダンスとともに上演される。『彼岸の時間』は西方の極楽浄土とこの世を繋ぐ彼岸への架け橋がテーマ。西に沈む太陽を拝し、死者の極楽浄土への往生を願いつつ、垂直、あるいは円環といった時間軸が描かれている。『綸綬』は作曲家の猿谷が伊勢神宮を訪れ、そこで体験した神嘗祭の皇大神宮の由貴夕大御饌儀(ゆきのゆうべのおおみけのぎ)、奉幣儀(ほうへいのぎ)そして御神楽儀(みかぐらのぎ)の参拝時の思いをもとにつくられた曲。「綸綬」とは絹糸をより合わせた紐を指し、作品名には儀式の際に伊勢神宮の御簾を飾っていた綸綬の美しさ、気高さなどがこめられている。
――今回森山さんが振付して踊られる、2作品についてお話を聞かせてください。
『彼岸の時間』​は最初に聞いたとき水がポトンと落ちて、次第に大きな大河のうねりになっていくというイメージが湧いてきました。そういったインスピレーションのなかで、どこへ行くのだろうとゆっくり歩き始めるところからスタートし、次第に自分の意思ではなく何か自然に委ねながら歩をすすめ、しかしそのなかで譲れない自分の意志や信念みたいなものが湧き出したり、抗ってみたりという中で僕なりに、いわば一つの魂が向こう(彼岸)へたどり着くまでの時間を体験しているようなイメージを思い描きながら振付をしていきました。もしかしたら僕は彼岸への川を渡りはじめているのかもしれないし、そのなかでまだ生きている自分が、その時の川の流れに流されまいと抗い踏ん張ってみたり、流されてしまいそうになったりと悩みながら、結局はそちらの岸へ行くのだろうという、身心の葛藤を表現していこうと思っています。
『綸綬』​は猿谷先生が実際に伊勢神宮で体験された儀式の雰囲気を曲にしたということでしたので、僕自身、伊勢神宮の千年以上に及ぶ長い歴史を想像しながらアプローチしていきました。
今回演奏される2つの音楽には、どちらの曲も大きな「時」が横たわっているというイメージがあります。『彼岸の時間』は彼岸の方向――外側に向かう時の流れに対し、『綸綬』は信仰という神聖なものに対する興味や儀式というもの、それが長い時を経て、音楽を通して僕らが生きている現在の今いる時代に流れ込んでくるような、いわばこちらに向かってくるような時の流れを感じています。
――2018年の初演から3年を経ていますが、振付や演出などに変更を加えたところは。
大きな変更はないのですが、舞台美術の在り方を少し探ってみようかなと思い、若干手を入れています。
今回の美術は布を使っています。『彼岸の時間』『綸綬』​とも、それぞれ別の世界観を持った作品ですが、先にもお話したように外側と内側という違いはあれ、「時の流れ」という共通点があります。その2つの作品を1つにまとめるつもりはありませんが、途切れなく流れていくような感じにしていきたいと考えています。使う布が『綸綬』​の時は御簾として、あちらとこちらの世界を隔てているような感覚を表現したり、『彼岸の時間』​では川の流れとリンクさせたりといった、作品の世界観を提示していければと思っています。
初演時より 国際交流基金主催「ジャポニスム2018:響きあう魂」(企画:KAJIMOTO/美術作品:VOID(大舩真言)) ※今回の公演は、新しい美術による新演出となります。 (c)Yas 写真提供:国際交流基金

■奏者同士の呼吸が生み出す一期一会の最たる芸術
――雅楽というと一般的には神社で奉納される音楽というイメージで、普段の生活から距離があるものという印象もあります。しかしお話を伺っていて森山さんは最初から先入観なく、純粋に「音楽」としてアプローチされていたのだなと思いました。
雅楽というと、どうしてもちょっと敷居の高い印象を抱くかもしれませんが、僕は音楽が奏でられ、そこで舞うということをしているので、それが雅楽だろうがなんだろうが変わりはありません。とはいえ雅楽は長い歴史のなかで、日本の伝統的な文化の儀式の際に奏でられる音楽という形を持つことで、日々の生活にある大切なものを確かめることができるという役割がある。神社にお参りに行って雅楽を耳にすることで、伝統的な儀式が、生活の節目の中にあるということに気付けるという、そんなスイッチを入れる役割があるのは、素敵なことだと思います。
でも一方で儀式という意味では、例えば誕生日に歌を歌ったり、日常でうれしいことがあってちょっと笛を吹いてみたりするとか、日々生きている日常の瞬間すべてが儀式になり得るわけですよ。そうしたちょっとした音楽もまた、儀式の音色だなと思います。雅楽はそうした日々の儀式の音楽の一つの形でもあり、それが伝統的な楽器を用いて演奏されるのだとも思います。
――「我々の日常の喜び事すべてが儀式」というのは素敵な言葉ですし、もしかしたら私たちのDNAというか、身心に刻まれた時の記憶を呼び覚ます力が、雅楽にはあるのかもしれませんね。今回一緒に踊られる4人のダンサーは森山さんが選ばれたのでしょうか。
はい。今回の4人のメンバーのうち3人はパリでも一緒に踊りました。4人とも、僕がよく一緒に踊っている方々です。人に振付を与えるというのは、例えば僕一人なら100を作って100を捨てるということができますが、それができないので、そういう意味ではとても苦心するのですが、人が踊ることで表現され、生まれ具現化されるという、代え難い喜びもあります。今回の踊りを通して、舞台上で四者四様の生き様が表現され、昇華されていくのかなと感じています。
また普段、五線紙に書かれ決められたテンポやリズムのある音楽で踊るのは、それはそれでとても気持ちがいいものなのですが、雅楽にはそれがありません。オーケストラのように指揮者がいるわけではなく、メトロノームのようなリズムをとるわけでもなく、「ここの音はもう少し長めにした方がいい」とか工夫をしながら、他の楽器とともに音楽の流れを作って行くわけです。もちろん雅楽の譜面はあるのでしょうが、基本的に演奏者の阿吽の呼吸で奏でられていくので、1回ごとにテンポやリズムも違う。同じ演奏は二度と生まれないというものが、雅楽にはあるんです。
――舞台や演奏は同じものは二度ないとはいいますが、まさに一期一会の最たるもの、その時限りの芸術なのですね。毎回テンポが変わるとなると、踊る側としてはあわせるのは苦労するのでは。
それを受け止めていくのが森山開次流といいますか(笑)。僕ら踊り手も奏者の一員として、阿吽の呼吸で踊っています。
――舞台にいるダンサー、演奏者すべてによる、その場限りの作品ということになるわけですね。最後にお客様にメッセージをお願いします。
長い時の流れを感じながらタイムトリップしてほしいですね。そのタイムトリップの流れのなかで、踊りも楽しんでいただきたい。音楽の中にはいろいろな音が散りばめられているので、どこかでフィットしたり、ハッとしたりするような瞬間が、それぞれにあるかもしれません。そうした流れに身を委ねながら、公演を楽しんでいただければと思います。
――ありがとうございました。
取材・文=西原朋未

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