鈴木康博

鈴木康博

糧があって
音楽を続けてきたのではなく、
音楽が生活の糧になっている

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第19回目はオフコースのメンバーとして1970年にデビューし、活動50周年を迎えた鈴木康博。その発言からは半世紀にわたり、どんな時代でも“身近なこと”を歌っている、その背景が垣間見えた。
鈴木康博 プロフィール

スズキヤスヒロ:1948年、静岡生まれ横浜育ち。中学生でアメリカンポップスに影響されてギターを弾き始め、高校在学中に友人の小田和正らとオフコースを結成。70年にシングル「群衆の中で」でデビューし、コンサート動員、レコードセールス等、音楽史に大きな足跡を残す。82年に全盛期のオフコースを離れ、83年にアルバム『Sincerely』でソロデビュー。自身はもとより、映像作品の音楽制作、他アーティストへの楽曲提供、プロデュースなど幅広く活動を展開。数多くの作品を発表し、ソロ、バンド、他アーティストのとのコラボ、ライヴ活動も積極的に継続中。その音楽性はもちろん、ますます磨きのかかったギターテクニックは多くのミュージシャンに影響を与え続けている。鈴木康博 オフィシャルHP

あの頃のことは
いくらでも言葉にできる

鈴木さんは高校生の頃に初めて人前でライヴをしたそうですが、どんなステージだったのでしょうか?

最初は確か高校1年の時のクリスマスパーティーで、「八十日間世界一周」のメロディーを単音でピッピッピッと弾いただけなんですよ(笑)。それだけでドキドキでした。まだギターを触ったこともなかったけど、誘われるがままに3,000円のガットギターを買ってもらい、すぐに無理やり鉄製の弦に張り替えて(笑)。今思うと笑っちゃいますけど、その頃はアンプも使えなかったような時代なので。その後、一年上の先輩が学園祭でライヴをやっていたのがカッコ良かったから、僕らはその時に流行っていたフォークソングをやろうってことで、ギターでThe Brothers Fourを練習し始めたんです。でも、周りからしたら高校2年の受験で大事な時に何を始めるんだって話で(笑)。先生に言っても“何を考えてるんだ!”と止められちゃったんです。当時は“ギターを弾いて歌うなんて、女子供のやるようなことを”って感じだったんですよ。“そりゃあねぇだろ!”と思って。

どう説得したのですか?

キリスト教の学校だったので、校長先生が外国人だったんですよ。校長先生に直接掛け合いに行って、“フォークソングで「花はどこへ行った」とか、やさしい歌を歌うからいいじゃないか!”と交渉したらOKが出て、教室でできることになりました。そしたら評判が良くて、学園祭の開会式でやったらアンコールが止まなかったので閉会式でもやって、周りの女子学生もいっぱい観に来て、大ウケしちゃったんですよ。それを機に仲間も30人くらいできて、卒業後バラバラになっても休みの日に集まってライヴをしていくうちに、横浜の1,000人くらい入る小ホールでできるようになったんです。パンフレットを刷ったり、チケットもその仲間で作ったりしてね。そこから音楽をやるのが楽しくなってきたんです。その頃は学生の遊びでしたけど評判が良かったので、どのくらいの実力なのか試してみたくて、『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』に応募しました。

そのコンテストで全国2位となり、内定していた会社に就職するのをやめたそうですが、当時そんな大胆な決断をするのは珍しかったのでは?

周りには就職するか大学院に進むか迷ってる奴はいっぱいいましたが、理工系から音楽に行く人はいなかったですね(笑)。会社で仕事をしているよりも、人前で歌ってウケたいほうが勝ったんですよ。就職予定の会社が九州にあって、面接試験を受けに行った時、朝早くに着いて時間を潰していたら、駅に草がボーボー生えていて、そんな中で待っているのがすごく寂しくて。その寂しさと人前で歌っている時の自分を考えると、“どっちとるよ、お前?”って。バカだからそんなことを考えたんですね(笑)。で、“こりゃあ就職はやめたほうがいいわ!”って。その代わりに音楽の教育はまったく受けていないから、音楽で飯を食っていくためにヤマハの音楽教室に通ったんです。そしたらそこには自分と同じような人がいっぱいいて。

まさにアルバム『十里の九里』(2021年10月発表)の「映画」で歌われている時期のことですね。その頃聴いていた音楽で印象的だったものはありますか?

Peter, Paul and Maryは音楽性がすごく高くて衝撃的でした。ギター2本とベースとコーラス3人なんですけど、最初に影響を受けた音楽かもしれないですね。自分の基礎になっているというか。

音楽を学ぶようになってどんな変化がありましたか?

ピアノを聴いたらすぐに何の音か分かる奴もいたから“ダメだ、俺!”と思いましたね。叶わないと思った。でも、生活自体は楽しくて、何が何だか分からない世界がいっぱいあるんですよ。いきなり社会人になって、バイトで赤坂に歌いに行って、今までまったくそんなことがなかったのに女の子に声をかけられたり(笑)。あの頃のことはいくらでも言葉にできるんです。「映画」もそうだけど、青春をテーマにいっぱい曲を書いてるじゃない? 今思うとそれくらいいろんな見え方ができる時期でしたね。

OKMusic編集部

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