石丸幹二&日澤雄介、ミュージカル『
蜘蛛女のキス』の魅力を語る

マヌエル・プイグの同名小説をもとに、『キャバレー』『シカゴ』の作曲作詞コンビ、ジョン・カンダー&フレッド・エブが手がけたミュージカル『蜘蛛女のキス』が、石丸幹二主演で上演される。ラテンアメリカの刑務所の獄房で同室になった同性愛者のモリーナと、社会主義運動の政治犯バレンティン、二人だけが登場する小説版及びストレートプレイ版と異なり、ミュージカル版は、モリーナが憧れる映画女優オーロラと彼女が演じる“蜘蛛女”をはじめ、さまざまなキャラクターが登場、ショー・シーンも盛り込まれた構成となっているのが特色だ。モリーナを演じる石丸幹二と演出を担当する日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)が作品の魅力について語り合った。
――作品との出会いと、今回携わることになった経緯を教えてください。
日澤:『Little Voice リトル・ヴォイス』(2017)の演出がホリプロさんとの初めての仕事でした。その作品では大原櫻子さんが歌っていたのですが、ミュージカルではなくて。僕はストレートプレイの演出が主でしたので、今回『蜘蛛女のキス』という大きな作品のお話が来たときは、正直驚きました。
作品のバックボーンなどいろいろなことをディスカッションし、台本を読ませていただいたら、すごく魅力的なお話なんですよね。音楽も魅力的な曲が多い。僕が演出したら絶対よくなるという確固とした自信はまったくなかったんですけれども、どうしてもやりたいと思ってお受けしました。この作品に出会えたのは、僕の演出家としてのキャリアの上で大きいことで、絶対やらなきゃだめだなと。この作品をやることによって、自分の人生も非常に豊かになるだろうし、この作品と向き合うことで、演出家としても一つステップアップできるだろうなと思ったんです。
日澤雄介/ミュージカル『蜘蛛女のキス』稽古場の様子
作品そのものについては、タイトルだけ知っていて、今回のお話が来てからいろいろ触れました。ハロルド・プリンスが演出して、麻実れいさんが蜘蛛女/オーロラを演じた1996年の日本初演版の印象は何となくありましたが、それって僕がちょうど大学で演劇を始めたころの話なんですよね。演劇人としてまだ生まれてもいないような状態で(笑)。
バンバン歌うミュージカルになっているのかなと思ったら、そうではないんですよね。その一方で、ストレートプレイ版とミュージカル版の台本とを読むと、いろいろな要素が違っていて。よくここまで(ミュージカルとして)音楽を入れ込んだなというのが第一印象ですね。当然かもしれないですが、音楽がすべて物語と絡み合っていて、何一つとしてそこに無駄がない。単体でも成立している音楽なんだけれども、それが重層的に積み上がって物語をどんどん先に進めていっているような、モリーナとバレンティンの関係を変えていっているような、そこがすごく魅力的だなと思いました。
石丸:僕は、ハロルド・プリンスが演出して、チタ・リヴェラが蜘蛛女/オーロラを演じたブロードウェイのオリジナル・プロダクションを観たのが作品との出会いなんです。作品のバックボーンを知らずに観ました。チタ・リヴェラは僕にとっては『ウエストサイド物語』のアニタですし、群を抜いて低い声でシャープな踊りをするディーヴァなので、彼女がどんな演技をするんだろうという興味があったんです。だから監獄劇であることに驚き、何だか違和感があるまま進んでいって・・・、ラテンのショーというインパクトがすごく強烈だったんです。しばらくして、ウィリアム・ハートが主演した映画版を観て、まったく違うものだなと。マヌエル・プイグの原作小説も買ったんですが、5ページくらいで挫折(苦笑)。これまた、映画版ともミュージカル版ともまったく違うものなんですよね。
しばらく遠ざかっていたんですが、思い返せば、ブロードウェイで観たとき、バレンティンというキャラクターにすごく共感したんです。僕もまだ若かったですから、やるならバレンティンをやりたいと思った。(今回演じる)モリーナというキャラクターに関しては、特別な個性をもっていないとできない役なんだろうなと思っていて。でも、そのときモリーナを演じていたのは、『パレード』で僕と同じ役を演じていたブレント・カーヴァーだったんですね。中性的な役もできるし、悲劇的なキャラクターもすごく上手な人なんです。彼を通じてビビビとつながって、今回、僕も挑戦してみたいなと。改めて台本を読んで、今までバレンティンの視線でしか見ていなかったのが、モリーナの視線で見るとまったく違う世界だったので、そこにはまりましたね。
ミュージカル『蜘蛛女のキス』ビジュアル
――“社会派”とされる劇団チョコレートケーキを率いてきた日澤さんは、この作品をどう演出されるのでしょう。
日澤:このミュージカルを演出するからといって自分のスタンスを変えることはまったくしていません。どんな作品でも、人間関係、俳優同士のコミュニケーション、そこで何が動いてどういう反応、化学反応が起こって豊かになっていくかという追求をしたいので、そういう意味では、幹二さんといろいろ話しながらやっているところです。モリーナについてどんどん提案していただけるんです。このシーンではこの二人の関係はこうだから、もっとバチバチいきたいとか、ここではもう少し距離を詰めておきたいとか。
石丸:演出家に対して提案だなんて、そんなそんな。あくまで、日澤さんはどう考えていらっしゃいますかという、確認を兼ねての投げかけですよね。僕も戯曲を読んでいるうちにいろいろ見えてくるものがあるんですが、これは、もともとスペイン語で書かれたものを英語に訳して、それをさらに日本語に訳しているので、その間にちょっと何かが起こっている可能性もあるので、だから慎重に、どういう意味だと思います? なんてことをうかがったりする連続なんですけれども、それがすごく楽しいです。
日澤:この前稽古で、歌の中の表現の仕方と、歌のもつ意味、メロディと歌詞の意味というものが、お互いどう影響し合っているかがわかった瞬間が、僕は非常におもしろく、楽しかったです。
バレンティンの「あしたこそは」というすごく素敵なナンバーがあるんですが、前半と後半で色合いが違っていて。前半は自分の内面をモリーナに告げていくような歌詞なんですけれども、じゃあなんでバレンティンはここでモリーナに対して自分の生い立ちを言う気になったのか。その前段階の作りありきでこのナンバーに入っていって、歌いながらも葛藤があったりして、そのナンバーを歌うという行為自体が、バレンティンの中でモリーナに何を求めているのか、どうなってほしいのか、そこの熱量をどう出していけばいいんだみたいな話を、幹二さんの力も借りて、バレンティンと稽古していたんです。
その時、これってやっぱり、ストレートプレイのセリフと構造的にはなんら変わらないなと。僕はミュージカルに関してはこれまで観る側の人間だったので、そうか、こんなに大変なことをみんなやっているんだなと、すごくいい発見でした。
ミュージカル『蜘蛛女のキス』稽古場の様子
――モリーナをどんな人物としてとらえていらっしゃいますか。
石丸:時代が今と違いますから、モリーナのように生まれついた人にとっては生きにくかったでしょうね。彼は、いえ、モリーナにとっては彼女は、ですが、トランスジェンダーとして胸を張って生きている、自分の中では自分らしく生きているんですけれども、でも、人生に失望しているんですよね。だから、もしかしたら、監獄の中にいる自分が一番守られている、最低限の自分の尊厳を保って生きていける場所なのかもしれない。そういうこともあって、次、(監獄を離れて)どうやって生きようかというとき彼が出した結論は、好きな人、愛している人のことを思って、たとえ命を落としてもその人のために生きる、ということ。何かすごくギリギリのところを生きている人だなと思いましたね。今だったらきっとほかの道もあったかもしれない、けれども、その当時はそれが精いっぱいだったんじゃないかなと思いますね。
トニー賞の授賞式で、ブレント・カーヴァーが少しモリーナを演じていて、その映像を見て気づいたことがあったんです。女性として生きている人は、しぐさが自然に身体からあふれ出ているじゃないですか。でも、彼は、そのたった数分で、そうした普通の女性を超えて、女性としてのあり方を、人の目に焼き付けたんですよね。そこまでもっていかないと、観ている人にモリーナの個性が伝わりにくいなと。
それで僕はまず、女性の服を買ったんです。あでやかな色の服を身にまとって、自分がどんな風に思うのかなと。一人では買いに行けないので、女性マネージャーについてきてもらって、マネージャーが買うようなふりをしながらちょっと試着させてもらったりして、自分の身体が入るものを選びました。ピンクの花柄みたいなかわいいガウンを着て稽古しているんですけれども、それをふわっと着る、男性はあまり着ない感じの素材なので、身体にまとわりつく感じ、膝を組んだときに布がしゃなりとかかってくる感覚、その一つ一つが新鮮で、こういうものが好き、愛している人なんだというところから今学んでいる感じです。着慣れないものばかりだからぎこちないんですけれども、モリーナの形を真似するんじゃなくて、モリーナの心の中に入ると、きっとそれが自然なんだろうなと。
日澤:すごくかわいいんですよ。
石丸:(笑)
日澤:稽古の初日からすごく派手な色の稽古着を準備してきてくださって、いろいろ攻めてるなと。ホントにキュートです。
石丸:劇団四季にいたとき、『オペラ座の怪人』の稽古をジャージでやっていたら、浅利慶太さんが、「作品の時代様式のものを身につけることによって、役柄の中身が作れるかもしれない」とおっしゃったんですよね。それで、女性たちには、装飾品も自分で用意しなさいと。自分がもっているものの中で一番その役に合ったものをチョイスして、稽古場でそれを着なさいと。稽古場で着る服が一番高価でいい、普段着はボロでもいい、それくらい、稽古のときにその時代に即したものを身につけることで役を獲得するんだと言われたことを思い出して。モリーナについて、僕の中ではまだゼロだったので、まずはピンクだと思って、ピンクのものをまとって、外側から少しずつ、いずれ埋まると思うんですけれどもね。
石丸幹二/ミュージカル『蜘蛛女のキス』稽古場の様子
日澤:昨日の稽古で、モリーナが看守に呼ばれて連れ出されるシーンがあって。ただ出て行くだけ、それも舞台の奥の方での去り際なんですが、幹二さんのモリーナは、バレンティンの前ではガウンの前をはだけていても全然平気なんだけれども、看守の前に行ったときにすっとガウンの前を寄せて。
石丸:してました?
日澤:してたんですよ。そのとき、おおと思って、ちょっとぞくっとした。
石丸:じゃあ、中が埋まってきたかな。多分、女の人って、人前に出るときとかってそうですよね。男もそういうところありますけど、嫌な人の前では特に防御する。そういう動きが少しずつ積み重なってきて、モリーナが完成されていくのかな。
――楽曲の魅力についてはいかがですか。
日澤:単品でも本当にいい曲なんですが、物語が進んでいくと、歌詞じゃなくてメロディの中に、前の他のシーンで使ったすごく象徴的なフレーズがちょっと入ってきたりするんですよ。例えば、蜘蛛女の象徴的なフレーズだとか、モリーナのお母さんとマルタがモリーナとバレンティンのことを思って歌うナンバーのフレーズだとか、上手いこと入れ込んで、ただただ歌を聴かせていくのではなく、モリーナとバレンティンの状態に合わせて、楽曲も並走しているような感じが本当に上手いなと思いました。それでラストに至るのがすごく素敵だなと。
幹二さんの「彼女は女」というナンバーも、歌的には、「あなたは女でいいよね」という内容なんですが、モリーナの内面を情感たっぷりに表している曲で、皆さんにぜひ劇場で聴いてほしいですね。このナンバーはすばらしい。ラストの曲もいいですよね。
石丸:かっこよかったり、わくわくするナンバーは、バレンティンとオーロラが歌うんですよね(笑)。でも、モリーナも、そういう意味では、内に秘めた思いが曲に乗っているわけで、そのメロディラインはモリーナの心ですから、今は愛して歌っています。「彼女は女」はすごくいい曲ですね。歌えば歌うほど、いいなと。
日澤さんがおっしゃる通り、各所にモチーフが入ってくるんですね。音楽って、そのフレーズがちょっと流れるだけで観客の記憶がぱっと戻るじゃないですか。その効果をすごくよく使っていて。蜘蛛女はいないのに、蜘蛛女のテーマが流れたら、何だか不穏なことがこれから起こるんだって、そんなメッセージが伝わったりします。ラテンのリズムも多用されているから、すぐ南米の話だとはっきりわかるし、暗い物語だけれど、随所に南米特有の明るさなどが現れてくる。いい香り、コーヒーのような香りが浮かび上がってくるというか。
日澤:音楽、明るいですよね。暗いというか、救いのない話なんですけれども、それを音楽がいい形でお客さんに届けているというか。
石丸幹二/ミュージカル『蜘蛛女のキス』稽古場の様子
――石丸さんは『キャバレー』でもカンダー&エブ作品を経験されています。
石丸:『キャバレー』で演じたMCは、今回で言えば蜘蛛女のような存在というか、死の象徴みたいな感じ、ちょっと枠の外にいる存在ですよね。
今回は、南アメリカのスパイスがかかっている楽曲で、わくわくします。音楽の力って不思議だな、大きいなと思います。ミュージカル・ナンバーというのはストレートプレイでいえば長台詞だと思うんですね。それが音楽にちゃんと乗っている。内面的なものなのか、相手に向かって言っているかの違いはあるけれど、いろいろな感情や想いが高まってきて、限界に達し、あふれ出してくる。だからこそ、なんで長台詞になるのか、そこが埋まっていないと、無意味なおしゃべりになってしまう。歌も、ビッグ・ナンバーになったときは、背後の強い動機を探らねばならないんですね。
たとえば、モリーナの「ドレス・アップ」という曲。長々と自己紹介をしている歌なんですね。モリーナは自分のことが好きすぎて、それがあふれ出ている(笑)。バレンティンの「あしたこそは」というナンバーも、光の当たり方がどんどん変わっていくというか、台本のページがどんどんめくられていって、めくられるたびごとに違う世界が来るみたいな、いい曲なんですよね。歌いたい(笑)。
――ぜひコンサートで!
日澤:聞きたいです!
【♪ドレスアップ/石丸幹二】ミュージカル『蜘蛛女のキス』より劇中曲を披露!
――どんな作品に仕上がっていきそうですか。
日澤:このモリーナとバレンティンの物語においては、モリーナの内面が女性であるというところにフォーカスが当たりがちです。もちろんそれは大切な要素で、モリーナがマイノリティとしてどう生きてきたか、これからどう生きていかなくてはいけないかをしっかり描かなくてはいけないですが、バレンティンと対で考えると、モリーナとバレンティンのある種の融和というか、水と油の二人がどうお互いを認め合って、打算ではなく、お互いを尊重し合える関係になれるのかということを描いている作品だと思います。それって難しいことだけれども、我々が生きていく上ではとても大切なことです。
現代みたいにちょっとギスギスしているところでは特に、自分が自分が、となるのではなくて、周りに広く視野をもって、自分も意見を言い、相手の意見も聞いてやっていくような共通理解が必要で、それを体現している芝居だと思います。お互いがお互いをしっかり認め合える関係性の作り方、その流れを細かく演出していきたいです。僕が今回呼ばれた理由はそこなのかなと思うので。派手な部分もありつつ、心と心の交流を観ていただきたいなと思っています。
石丸:個人個人、いろいろな状況でこの作品と出会うでしょうが、人が生きていく中で何が一番必要なのかを見極める作品だと思います。コロナ禍で私たちは、明日がどうなるかわからないという漠然とした不安の中で過ごしてきて、何を信じるのかといったら、もちろん自分もだけれど、人とのつながりや絆を信じることじゃないだろうか。そうして一緒に乗り越えていくということなのかなと思うんです。同じ牢獄の中に偶然入っている二人もやはり、生きにくい世の中で生きていくために、お互い手を取り合ってもがいていくようになる、ということを描いているので。1+1は2ではないんだというところを、この作品は届けていると思うんですよね。
――今回初めてご一緒されますが、これまでお互いに舞台をご覧になっての印象は?
石丸:日澤さんの作品は、すみだパークスタジオで上演された『遺産』を観ています。731部隊の人体実験を題材にした強烈な作品で、過去と現在を行き来しながら描いていて。友人が出演しているということもあって観に行ったんですが、彼女の特性もしっかり出されていて、その上での、人間の刻み方、えぐり方を、日澤さんはこういう手法を使うんだな……と観ていました。きれいなんだけどすごくエグいんですよ。だから、今回も、日澤さんだったら『蜘蛛女のキス』をどうやってえぐるのかなって、ものすごく期待が広がりました。
日澤さんは俳優もやっていらっしゃるので、俳優としての立場や考え方もわかりながら演出される。だから共通ワードが多いので、きっといろいろな可能性が広がるんだろうなと思って稽古に臨んでいます。最終的には深層心理に至るやりとりになってくると思うので、必死に準備して取り組んでいます。
日澤雄介/ミュージカル『蜘蛛女のキス』稽古場の様子
日澤:直近では『パレード』を拝見しました。以前、二人芝居『最後の精神分析-フロイトVSルイス-』も拝見したんですが、両作品とも、誠実で、清潔感があるなと。だからこそ、モリーナへのチャレンジはすごくおもしろいなと思います。お顔はすごくかわいくてきれいなので、メイクのノリとかはいいだろうなと思うんですけれども(笑)、すごくまっすぐでりりしい表現の方が、これだけの変化球をどう投げるんだろうと、最初からすごく楽しみに稽古場に来て。実際、稽古初日からぶんぶん変化球を投げていらっしゃるので、もうできてるんだなと。そこからの稽古がまた楽しいんです。女だけど、身体は男というところの内面の葛藤であったり、マイノリティゆえ、いろいろな人に罵声を浴びせられているときの表情だったり、どんどん輪郭が出てきているので。だから、えぐるっておっしゃいますけど、やはり、バレンティンとの関係のところでえぐっていくのかなと。バレンティンを使って、モリーナをえぐっていくというか。
石丸:物語の最後の方は、バレンティンがモリーナをどう利用するかという駆け引きがあります。表向きはわからないようにしているけれども、心の底はだんだんつながってきてしまっている。生きにくい世の中だからこそ、何か信じるものをもって生きていく。ラストにそこまで行くためには、バレンティンをどこまで好きになれるかだと思うんですよね。ただ惚れるだけじゃなくて、人として好きになる。バレンティンが心の中をポロっと見せるシーンが何シーンかあるんですよ。それによって、思ってもいない感情が自分の中に芽生えて、彼に寄り添っていく。相手の投げた言葉によって、必ず変化が起こるんです。その変化が起こったことによって、次の出来事が起こっていく。その緊張状態の中で、お互い投げる球が行き交うので、そこのおもしろさを出せたらなと思ってますね。ラストは、小説にも映画にもストレートプレイ版にもない、ミュージカルならではの展開になります。
――それにしても、「蜘蛛女」の存在がおもしろい作品ですよね。
石丸:小説だと最後の一行にしか出て来ないんですよね。モリーナが観た映画の中で、一人だけ怖いSキャラクターがいて、その人がキスするとみんな死んじゃう。そして、モリーナの頭の中にはずっと蜘蛛女がいる。ミュージカル版だと、舞台上にはいろいろなキャラクターが出てきますが、実際にはモリーナとバレンティンの二人しかいないわけじゃないですか。でも、頭の中に死がよぎると、必ず蜘蛛女が誰かを食べていて、それがいよいよ自分に向かってくる。死に取りつかれている人間にとっての、死の象徴なんだろうなと。そう考えると、終盤、モリーナとバレンティンに事が起ころうとするときに「蜘蛛女のキス」のナンバーがドーンと流れるのが大きいですよね。
日澤:僕も基本的にはモリーナが取りつかれている死の象徴だと思うんですが、抗えない運命みたいなものの象徴でもあるのかなと。無意識ではわかっているけれども拒絶しているものってたくさんあるじゃないですか。こっちに行くのはわかってるんだけれども、拒絶したい。それを、その流れに行かせてあげる存在というか。だから、常に恐怖の対象ではあるんだけれども、すごく身近な存在であって。オーロラが夢の中のスター、憧れならば、蜘蛛女はもしかしたら、常に身近にいるような存在なのかなと。でも、嫌いなんですよ。そばに来てほしくはない。嫌いなものが一番大切だったりとかするわけで、だから常に出てくる。オーロラさんは常に派手に出てきて、逆に、世界を映画の中へといざなうというか。でも、蜘蛛女は、あんた現実見なさいよと言ってくる存在というか。そのおもしろい対比を、安蘭けいさん一人が演じるというのが、すごくいいスパイスになっている作品だなと思いますね。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)

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