【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#224
作曲家・すぎやまこういちの言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

理屈で、理論でいくら立派な音楽を書い
ても、聴いてつまらなきゃ、それはつま
らないんですよ

より

『任天堂ホームページ』の「社長が訊く」コーナーだからこそ成し得た、作曲家・すぎやまこういち、ゲームデザイナー・堀井雄二、任天堂社長・岩井聡による、日本文化史に残る豪華鼎談。『ドラゴンクエストシリーズ』で使われた500曲以上の作曲を手がけたすぎやまから「曲の楽想は、5分以内でできたものが、だいたいいい曲なんです。『ドラクエ』のテーマ曲のメロディも5分で考えたんです」といった驚きの証言が次々と飛び出す。ものづくりに大事なことについて、すぎやまは堀井に「堀井さんはゲーマーだから、ゲーム大好き人間だから。やっぱり理屈ではなくって、感覚的に面白いもの、楽しいもの、それを感性で判断してるんですよね」「そこは音楽と同じ」と語り、今回の名言につながる。そして、「音楽も感覚的にいい音楽じゃないと。だから僕は、たとえばダンジョンのなかの曲でも恐いけど、どこか美しい、恐いけど、心地よい、そんな音楽を心がけてつくってます」とも明かしている。鼎談では、すぎやまがゲーム音楽に携わるようになった意外なきっかけや、ゲーム音楽に使える音に制約(効果音を除き、同時に3音まで)があった頃の思い出なども語られており、ゲームファンのみならず音楽ファン必読の記事である。2021年9月30日に惜しくもこの世を去ったすぎやまこういちを偲んで、ぜひ一読してほしい。
すぎやまこういち
1931年4月11日生まれ、東京都台東区出身。作曲家、編曲家、指揮者。東京大学教育学部を卒業後、文化放送を経てフジテレビに入社。『おとなの漫画』『ザ・ヒットパレード』など、伝説的なテレビ番組の企画や演出を担当。1960年代からテレビマンの傍ら、作曲活動も始める。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」(1967年)、ザ・タイガースの「花の首飾り」(1968年)、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」(1968年)、GAROの「学生街の喫茶店」(1972年)など、次々とヒット曲を生み出し、作曲家として名声を得る。1970年代から『科学忍者隊ガッチャマンII』『マシンハヤブサ』『サイボーグ009』をはじめ、特撮やアニメなどの音楽を数多く手がけるようになる。1986年、『ドラゴンクエスト』の作曲を担当。その後、ゲーム音楽の作曲家として世界的に知られるようになる。1987年からオーケストラなどを率いて『ファミリークラシックコンサート』『「ドラゴンクエスト」コンサート』などのコンサートも開催。日本中央競馬会(JRA)のレース前に流れる入場曲とファンファーレも作曲している。1987年から現在まで使用されている中山競馬場のGIファンファーレはすぎやまの作品である。2004年、SUGIレーベルを設立。2016年9月3日、東京芸術劇場コンサートホールで行われた『第30回ファミリークラシックコンサート-ドラゴンクエストの世界-』の開催中に『世界最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家』としてギネス世界記録をサプライズ受賞。2018年、秋の叙勲で『旭日小綬章』を受章。2020年、文化功労者を授与。2021年7月23日、『2020年東京オリンピック』の開会式の各国入場行進曲として『ドラゴンクエスト』の「序曲:ロトのテーマ」が使用されている。世界に誇る、日本の大作曲家と呼ぶに相応しい人物である。2021年9月30日に敗血症性ショックのため死去。享年90。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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