『弘田三枝子
なかにし礼をうたう
〜人形の家〜』は
偉大なる音楽たちが
残した邦楽ポップスの歴史的遺産
なかにし・川口が手掛けた未発表曲
《さげすむまなざし 重たい十字架を/背中に受けてひとり さまよう私/何のために 生きればいいの/子供らに石で追われ/何のために生きる 何のために/消えないインクで 額に記された/愛という名の文字を 削った人はあなた》(M13「裁かれる女」)。
思わず“何があった!?”と詰め寄ってしまいそうな歌詞だが、他に比類なきというところでは、やはりなかにし氏の作家性を感じるところではある。M14は、2001年に発売されたCD6枚組のベスト盤『弘田三枝子・これくしょん〜マイ・メモリィ』で初収録されたという楽曲。前半は「テイク・ファイブ」的な変則的なリズムで進んだと思いきや、そこから開放的なメロディーへと展開していく、どこか歌劇的なスタイルが面白い。「人形の家」とはタイプが異なるが、後半どんどんエモーショナルになるリズム隊は健在で、これもまたどうしてしばらくお蔵入りになっていたのか、その経緯が単純に不思議なところだ。この2曲、特にM13が収録されただけでも、本作の制作の意味は十分にあったと思うし、弘田三枝子という稀代の女性シンガーの一線級の資料として、日本コロムビアの仕事は素晴らしいと思う。
本作ラストはM15「人形の家(ピアノ・バージョン)」。2015年に発表されたシングル「悲しい恋をしてきたの」のカップリングとなったもので、ジャジーなピアノサウンドをバックにしたリテイクだ。あくまでも個人的な感想と前置きしておくが、このM15バージョンは迫力を通り越して生々しさすら感じる。もしかすると彼女の歌唱は日本語とはあまり相性が良くないのかもしれない──そんなことを少し思った。母音が多い分、圧しが強くなりすぎるのかもしれないし、歌詞の意味を深く噛み締めると歌に別のニュアンスが出てくるのかもしれない。実際のところ、どうかは分からないけれども、『ニューヨークの~』と聴き比べると、M15に関しては何となく窮屈な印象を受けた。それは、弘田三枝子というシンガーの才能が日本だけに留まるものではなかったことの証左なのかもしれないと想像したのだが、その辺は実際どうなのだろうか?
TEXT:帆苅智之