シライシ紗トリ
- Key Person 第18回 -
音楽のスペシャリストになるほうが
面白くなってきた
先ほどThe Policeが好きというお話もありましたが、1987年にリリースされたスティングのアルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』が音楽業界で仕事をする精神的なきっかけとのことで。どんなエピソードがあるのでしょうか?
スティングがソロアルバム『ブルー・タートルの夢』と『ナッシング・ライク・ザ・サン』をリリースした時に“すげぇ!”と衝撃を受けたんです。“こういうことがやりたい!”という気持ちになったというか。
直感的に力をもらったと。
はい。ミクスチャーが始まる少し前で、ロックとジャズ、フュージョンみたいなのがいい具合にクロスオーバーし始めた時期だと思うんですけど、それがカッコ良くてお洒落だと思ったんですよね。スティングはもともとパンクの人だから、言ってることも歌ってることも大好きで。それがどんどん洗練されていって、“こういう成長の仕方があるんだ!?”と思ったんです。
作曲家やプロデューサーとして影響を受けた人物はいますか?
Aerosmithのプロデュースなどもしていたブルース・フェアバーンとか、Bon Joviの曲を書いていたデズモンド・チャイルドも自分の中でキーパーソンだったと思います。ブルース・フェアバーンはプロデューサーとして影響を受けた人で、“スティーヴン・タイラーにこんなにダメ出しできる人がいるんだ!?”みたいな衝撃もありました(笑)。デズモンド・チャイルドは当時ヒット曲をたくさん書いていて、プロデューサーとソングライターとバンドっていうのがちゃんと成立してロックをやっているのがすごいなと。音楽業界の背景が垣間見えたような感じでした。
上京された時はいわゆる裏方の仕事をするとは思っていなかったわけですが、思い描いていた仕事との違いに戸惑いはなかったですか?
うん。それよりも音楽のスペシャリストになることのほうが面白くなってきたのかもしれない。自分がアーティストでやっていこうとしていた時代って、思い描いていたアーティスト活動のスタイルが日本の音楽業界になく、“こういうふうに活動したいわけじゃない!”という気持ちがずっとあった。今となってはだからこそよりコンテンツ作りに向いていったのかなという気はしてるけど。
シライシさんは遊ぶ感覚で音楽を作っているそうですが、いつ頃からそういった意識でできるようになったのでしょうか?
2002年にSMAPの「freebird」を作詞作曲したあたりに、上がったり下がったりの波を経験して。すごく悩んだり、自分にとって音楽がどうあるべきなのかを考えたタイミングがあったんですけど、面白いものを作るっていうのが大事だから、面白いものを作っている時って仕事感覚になるのはあまり良くないかもって思うようになったんです。いいものを作る時は、責任はどうでもいいというモードになりたかったというか。お金を稼がなきゃ、食えるようにならなきゃってモードだと、ひとつひとつの仕事をやっつけちゃうのかなと思ったんですよね。なので、好きなことをやって食えないのなら、だったらバイトをすればいいって考えるようになって(笑)。
売れる売れないの波や、世間の飽きを受け入れた?
そうかも。そういうものなんだって気がついたというか。ぶっちゃけて言うと、エンターテインメントはなくてもいい商売だから。誰かが楽しんでくれて、そこに100円、200円を払ってくれることによって成立しているだけの話で、チップにしか過ぎないって思えたんです。それは今も変わっていなくて、やりたいことは自分のやりたい責任領域でやればいいっていう。自分が作るものを良く思ってくれるのであれば、それはすごく嬉しくてありがたいことだけど、それに安心して食い続けるという感覚でいてはいけないと感じたんだろうね。