しりあがり寿×天野天街×流山児祥『
ヒme呼』インタビュー~時代の閉塞感
を打破する、ナンセンスでアナーキー
な世界

流山児★事務所が、漫画家しりあがり寿と組んだ『オケハザマ』から3年。第2弾『ヒ me 呼~ひみこ~』が2021年9月24日(金)から下北沢のザ・スズナリで上演される。
台本はしりあがり寿の新作書き下ろしで、演出に天野天街(少年王者舘)を迎える。『真夜中の弥次さん喜多さん』コンビが今回描くのは古代の世界だ。卑弥呼亡き後 に3つの部族が対立していると、異民族の男女2人が卑弥呼と似た感染症にかかってしまう。そのウイルスの正体は……恋!? どのような舞台になるのか。しりあがり寿、天野天街、芸術監督の流山児祥に語ってもらった。
■理性的ではない方法がひとつのブレイクスルーになる
『ヒ me 呼』稽古場の様子 撮影:横田敦史
――今回の企画はいつ頃、流山児さんが発案してしりあがりさんと卑弥呼の話をやろうと決めたのでしょうか?
流山児 3年前ですね。『オケハザマ』が終わってすぐに、しりあがりさんと「次はなにをやろうか」「縄文時代の話がいいね」と話をしていました。僕はちょうど静岡で登呂遺跡を見ていたので、弥生時代の話になった。つまり弥生時代なら国家とは何か、世界とは何か、地球とは何か、と大風呂敷を広げられるから。
しりあがり ちょうど今話題になっているAI・HALL(伊丹市立演劇ホール)で、天野さんのお芝居(KUDAN Project『真夜中の弥次さん喜多さん』)を観た後の打ち上げのときです。その頃から社会の分断のようなものがあって、それぞれが合わさることで何かを打開するような話を音楽やダンスでやったらどうだろう、というやり取りを最初にしていたんです。
流山児 そう、最終的に巨大なハーモニーになっていく流れで。
しりあがり そうしたらコロナになって、閉じ込められた中でもっと分断している状況になった。だから、ただハーモニーをつくるだけではなく、逃げ場がない中で、隣に敵がいるのはどうかという話になった。すごく嫌ですよね。
――しかも今回、3つの部族が争うのはお墓の中ですよね。
しりあがり そう、お墓の中。中の人を苦しめるという意味ではとても良い設定だなと。
――今、現実の世界はコロナで暗澹としていますが、『ヒme呼』は、恋の概念がまだない古代の邪馬台国で恋の病が蔓延するというストーリーで、とても明るい印象を受けました。今作で描きたかったものとは何でしょうか?
しりあがり まず、流山児さんがやってくれるのであれば、社会派なものがいいなと思って。
昔、学生運動に参加されていたせいもあるかもしれないけれど、流山児さんのお芝居って熱くて、世界を変えていくような明るい社会派的なところがあるじゃないですか。今、世の中全体がどうしたらいいのかわからなくなっているときだから、そういう作品がいいと思って、今風のサスティナブルや環境、エネルギーなんかを取り入れながらお芝居にしたんです。
あと、天野さんが演出してくださるので、パズル的な要素を入れたかったんですね。
――パズル……ですか?
しりあがり そう。今、漫画でも一人の人間を主人公にすることが多いですが、そういうのはもう、つまらないでしょう? 一人の人間に焦点を当てるよりは、組み合わせやパズル的なものの方がいいんじゃないかと。
天野さんのお芝居も、あまり人間は関係ない気がして、そこがすごく好きなので、天野さんにそういうパズル的なものを描いて欲しかったんですね。
――パズル的なものを入れることは、初めから構想としてお持ちだったんですか?
しりあがり 世の中が変わるということは、言ってみれば組み合わせが変わるということですよね。人間自体が変わるわけじゃない。人間と人間の組み合わせが変わったり、国と国との仲が良くなったり、技術と技術の組み合わせが変わるだけじゃないですか。これから先、そういったことが大規模に起こるんじゃないかな。そういう時代にリスクの少ない予定調和的なやり方で見せるのは難しいだろうという思いがあって、そこでちょうどコロナが来た。それで理性的な解決はできない「恋」という病が、ひとつのブレイクスルーになると感じたんですよね。
■ジャガイモみたいで面白い
『ヒ me 呼』稽古場の様子 撮影:横田敦史
――そして天野さんが台本に手を加えて改訂されたと伺いました。
天野 いくつもの段階を踏んで今の台本になりましたが、しりあがりさんがやりたかった最初のあらすじが根幹になります。しりあがりさんの筆を借りて、舞台化することに多少特化した形で演劇台本に書き直した形です。
『ヒ me 呼』には19人の役者が出演しますが、さきほどしりあがりさんがおっしゃったように主役はいなくて、パズルを組み立てるように構成していきました。
流山児 僕と天野さんとの付き合いはすごく長いんですよ。20代から知っているから。流山児★事務所では、再演込みだけど、2001年から16公演も一緒にやっているんです。そういった意味では天野天街はうちの座付きの演出家でもあるんですよね(笑)。
天野 役者は完全に当て書きだから。
台本はいつも役者用に書き直しているけど、声が聞こえてくるんです。特に昔から付き合いのある伊藤弘子とか。よく漫画も勝手にキャラクターが動き出すとか言うけれど、同じようなことになっています。流山児★事務所の役者はほぼみんなそうです。
流山児 天野さんが『オケハザマ』を見て、次にやるならこの役者はこうだな、ということがパッと一瞬でできてしまうわけですよ。
あと、うちの役者はみんなジャガイモみたいで面白いんです。洗練されていない。
しりあがり ジャガイモって面白いんだ。
流山児 面白いですよ。ジャガイモは形が全て違うから。
――天野さんが演出されるときに、流山児★事務所の役者とどう対峙されているかを伺えますか?
天野 簡単に言うと、役者自身も気付いていないような無意識なところを引き出すというか、触ったりするのが一番楽しいですね。
■今の時代の閉塞感を打破する力
『ヒ me 呼』稽古場の様子 撮影:横田敦史
流山児 コロナみたいに感染する「恋」がすごく面白いと思って。つまり恋というウイルスとコロナはすごく似ているんじゃないかと。地球規模の話をしながら、恋という情動のようなものを見せることは、まだ誰もやっていないなと。
しりあがり 恋の発想を思い付いたのは、ぐみ沢さん(​劇団ジェット花子)ですね。
流山児 愛ではなく恋というのが新しい。他者をちゃんと考えろよと。
天野 愛は利用されやすい。難しいですよ、キリストのような愛って。
流山児 恋ってアナーキーなものだと思っています。舞台を観たお客さんが恋のアナーキズムにどういう風に反応していくかじゃないかな。
今の演劇にはアナーキーが足りない。もうちょっととんがって、とんがっていながら包み込み合おうよと。演劇とは何かというテーマもあるから、見どころはたくさんあります。
しりあがり ふざけて書いていますけど、芯は深刻というか、真面目に考えているつもりです。
全員 (笑)
しりあがり 要は、今の時代の閉塞感を打破するには不合理な力が必要なんじゃないかと。
流山児 全くもってその通りです。チラシにも「バカバカしくもちょっと大切な現代の寓話」と書いていますが、しりあがりさんがおっしゃっている通りで、すべて寓話でしか語れない。
――恋と愛の違いについて、天野さんの解釈も教えていただけますか?
天野 恋や愛の字義的な違いにはあまり意味がないのですが、恋は深刻なものではなく、軽さを伴っていながら、重いものに傾いていく要素。ただ恋というものは、ただ人とか物とか、素粒子でも何でもいいですが、バイ菌でもウイルスでも恋をしてしまうということはあり得るわけで、そういった垣根の低さがありながらも深いものとして恋が受け取られると面白いかな、と思っていました。
あと、例えば「戦争で愛するもののために死ぬ」と大義名分で使われるものが愛であり、恋はそういったところにはあまり使われないものであったりするとか。何かと何かが引っ張り合う引力のように介在するものとして、恋のようなものがあったら面白いんじゃないか、とか。
この芝居の中では、愛のように重くて利用されてしまうものはつまらないと、最後に少しアジテーションのように書いています。
――恋もコロナも患うものですが、そういったことも含まれていますか?
天野 その通りです。合理性を基準にしたこの世界を雛形にして恋とコロナウイルスをベースに敷いているので、相互に思い出させる状態になっています。
しりあがり 要するに、合理的な判断ができないコントロールのできないものが襲いかかってくるという意味では、コロナと恋は似ていると思うんですね。逆にコロナは人々を分断隔絶していくし、恋は痛みを越えて繋がっていくような逆の方向の作用がある。
天野 この話を引き取ると、コロナウイルスは平等に感染し、恋はある特化したものに陥っていく病です。ただ本来は恋する思いは汎的なものであるべきかもしれない、といったことも含めて思っていたりもします。ですからウイルス的なものと恋的なものが合致すれば、面白いなと。これは主張ではないですけれど。
流山児 芝居は、結局お客さんが見てどう思うかだからね。
天野 押し付けることはしたくないので。ただ、しりあがりさんと僕が組むと、ひとつの結論に落ち着くことは絶対ないので。
流山児 プロデューサーとしてはいろんな人に来ていただきたいから、言いますけれど。
天野 役割があるからね。
■役者を一人一人、生身の人間として見せていく
『ヒ me 呼』稽古場の様子 撮影:横田敦史
――流山児★事務所の公式ツイッターの投稿に「無限ループ」というキーワードがあって気になっています。
天野 今回の芝居の構造上では、無限ループは出てきません。多少、そういったものを利用したシーンはありますけど。いわゆる「無限ループ」から想像されるシーンではないですが、多分そのことだと思います。
流山児 最初の宴会のシーンだ。
天野 宴会のシーンで出演者全員が騒いでいるけれど、一部の会話がお客に聞こえるような、ある方法をやろうとしています。
しりあがり この前初めて通し稽古を見せてもらったのですが、そのシーンが面白くて。新しい試みっていいじゃないですか。だいたい宴会ってそういうものだし。
『ヒ me 呼』場当たりの様子 撮影:横田敦史
流山児 あと、雨のシーンに使われる映像には、しりあがりさんのキャラクターが出てくるんです。
天野 雨の斜線がしりあがりさんのキャラクターにどんどん変換して降ってくるというシーンで、雨は幻覚です。芝居の設定では墓の中だから、雨が降りようがないところに幻覚として雨が降るのですが、もともと劇場には雨は降らないし、演劇的にも、雨自体が本当の水を使ったものではなく映像の嘘です。二重三重の幻覚のような感じで。
しりあがり しいたけの幻覚ですね。通しを見たらキノコが主人公ぐらい頑張っていたので、すごく嬉しかったです。
流山児 うん、印象に残る。
天野 本当の異物感なんだよね。
流山児 甲津拓平という役者がやっているから、また面白いんです。
天野 そう、ピッタリ合っている。
流山児 今、演劇をどんどん映像配信していこうという流れがある中で、天野さんの場合は初めから映像やいろんなジャンルをごちゃまぜにしてやっている。そういった意味では時代を選ばないですよね。

『ヒ me 呼』場当たりの様子 撮影:横田敦史

流山児 あと、流山児★事務所のジャガイモの劇団員を天野天街は生身の人間としてちゃんと一人ずつ見せていく。現場ではそれが面白いんだよね。役者も頑張って面白いものを作ろうとするし。
――そんなことが現場では起きているんですね。
流山児 20年も一緒にやっていたらそうですよ。天野さんのどんな演出があろうと、役者はそこからはみ出そうとする。だから役者は大変だけど面白い。大変だけど面白い現場は、なかなかないですよ。
天野 こっちは役者に恋してやっていますからね。
流山児 (笑)
『ヒ me 呼』場当たりの様子 撮影:横田敦史
――では最後に、そんな最高の現場から生まれる舞台に関心を持った読者にメッセージをお願いします。
しりあがり 自分の書いたものが天野さんの手でどうなるかということが楽しみでしょうがない。僕は今回、一番恵まれた観客だと思っていますね。本を書く前はそんなことは言っていられなかったですけれど、今は気楽です。変なものを投げちゃったかもしれませんが、後はよろしくお願いします。
天野 爆心地であるしりあがりさんから放たれたものが今稽古場で、役者やスタッフを通じて、どんどんと化学変化を起こしています。本番ではお客さんにも化学変化が起きるようなことを現在やっています。面白いものになると思います。
流山児 チラシに書いてある通り、「コロナ禍の世界を嗤い飛ばす一笑千金のしりあがり寿✕アマノテンガイワールド」という芝居です。いっぱい笑える、お二人の世界を見せられたらいいですね。
マスク越しにだけど、あごが外れるような芝居を私はしたいですね。あごを外してもう立ち上がれない、バカバカしくてナンセンスでアナーキーな世界になっています。コロナで半分しかお客さんを入れられませんが、ぜひ大勢のお客さんに見ていただきたいと思っています。ぜひスズナリにお越しください。
取材・文:石水典子

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