大嶺巧インタビュー 進化し続けるエ
ンターテイナーが激動の人生を振り返
る /『ミュージカル・リレイヤーズ
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「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第六回は、前回、森加織さんが「なんてったってジェントルマンで、歌が超絶うまいナイスガイ!」と紹介してくれた大嶺巧(おおみね・たくみ)さんにご登場いただきます。(編集部)
「僕、いつもフライング気味なんです」
クールな第一印象とは裏腹に屈託のない笑顔を見せてくれたのは、近年ミュージカルを中心に舞台で存在感を発揮している俳優、大嶺巧だ。劇団四季の『キャッツ』から始まり、『レ・ミゼラブル』といった東宝ミュージカル作品や地球ゴージャスなど、ジャンルを問わず舞台出演が続いている。
彼は人や作品との出会いをきっかけに、沖縄、大阪、アメリカ、東京と、心惹かれるものに導かれるように人生を歩んできた。その道中、決して変わらなかったのは常に夢に向かって一直線ということだ。現在進行系で進化し続ける大嶺に、じっくりと話を聞くことができた。
DA PUMPへの憧れ、そして世界へ
――この連載『ミュージカル・リレイヤーズ』に前回登場した森加織さんから、“沖縄出身のクォーターのイケメン”とご紹介いただきました。
おじいちゃんがアメリカ人で、沖縄生まれ沖縄育ちなんです。18歳のときに大阪へ行き、その後は長いことアメリカで仕事をしていました。日本には2015年に帰ってきたんです。
――ちなみにアメリカではどんなことをされていたんですか?
主に声のお仕事をしていました。僕、ナレーションの仕事も結構好きなんですよ。例えばドキュメンタリー番組の吹き替え。アメリカのスタジオでドキュメンタリー映像を日本語に吹き替えして、それを日本に送るんです。「やあ、ジョンです」とかやっていました(笑)。
――沖縄で生まれ育った大嶺さんが、エンターテインメント業界に興味を持つようになったきっかけは?
姉がバレエをやっていたんです。僕も一緒に小学2、3年生の頃からバレエ教室に通っていました。正確には、連れられていくというか。授業が終わると僕は同級生と遊びに行きたいのに、姉が迎えに来るんですよ。すごく嫌だったんですけど、いつも手を引っ張られてバレエ教室へ(笑)。やりたくないから稽古着も持っていなくて、体育着のまま参加していました。でも、それが踊りの楽しさや芸事に惹かれていくきっかけにはなったかもしれません。
――その後、安室奈美恵さんやSPEEDさんを輩出した沖縄アクターズスクールのオーディションを受けていらっしゃいますね。
当時、沖縄アクターズスクールが本当に人気だったんです。あるときDA PUMPの皆さんがデビューされて、その後ボーイズオーディションが開催されました。それを知ってすぐ「やるしかない」と思い、中1でオーディションを受け、そこでグランプリを取らせていただいたんです。入学したときにかかるお金や学校との両立のこともあって、最初は親に反対されました。でも、当時の僕はどうしても憧れの先輩たちのようになりたかった。なので「バイトして自分のお金で衣装も買うから!」と親を説得してスクールへ入学することができたんです。
――憧れていた先輩たちというのは?
やっぱりDA PUMPの皆さんですね。スクールにいた12歳〜16歳頃は、とにかくDA PUMPみたいなグループに入ってデビューしたいという一心でした。
――沖縄アクターズスクールに入ってからはどんな活動を?
アクターズスクールが持っているローカル番組に毎週出演したり、コンサートツアーに行ったり、リハーサルか収録の毎日。レッスンではよく「想像しなさい」と言われました。鏡の前で踊るときも「常に鏡の奥にお客さんがいると思ってやりなさい」と。スクールに入った時点でプロとして人前に出ることになるので、厳しいレッスンでしたね。
――学業との両立も大変だったのではないでしょうか。
僕の場合、学業との両立ができなかったんです。両立している人は家庭教師をつけるとか工夫していたようですが、それができなくて。そんな僕を見た母が、高校受験を考えるタイミングで「何を選んでも私は全力でサポートする。でも中途半端になるならどっちかを辞めなさい。両立はあなたには無理です」と。それから、「行こうと思えば高校はいつでも行けるよ」とも言ってくれました。実際に僕の親は30歳を過ぎてから高校に通った経験を持っているので、その辺はすごく理解があったんです。結果、僕はアクターズスクールを選びました。でもそれから間もなく「海外に行きたい」と思うようになってしまって、16歳のときにアクターズスクールを辞めたんです。
――突然考え方が変わったようですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
海外のアーティストに憧れるようになったのが大きいかもしれません。当時出てきたアメリカのR&B歌手のアッシャーなどにさらに強い憧れを抱いて、世界へ目を向けるようになったんです。
「僕、やりたいと思ったらすぐ行動しちゃうタイプなんです」
――沖縄アクターズスクールを辞めた後はどんなことを?
まずは沖縄から外へ出たかったので、お金を貯めるためにアルバイトをしていました。例えばホテルに結婚式の花を配達する花屋さん。ホテルの宴会場に行って、スタッフの人に怒鳴られながら花を設置していました。そうしてコツコツお金を貯めていたあるとき、大阪にUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)がオープンしたんです。それで「僕、大阪に行ってくる! 世界に出るにはまずそういう外資系企業に勤めた方がいいと思うんだ」と親を説得し、大阪へ飛び出しました(笑)。それが夢への第一歩です。
――早速USJでオーディションを受けたんですか?
まずは一度遊びに行ってみました。ディズニーランドにも行ったことがなかったので、僕にとってはUSJが生まれて初めてのテーマパーク。たくさんのショーを見て、海外の方々もたくさん活躍されている姿に感動したんです。このショーに自分も出てみたいと思って、その場ですぐに応募しました。
――その場で!?
僕、やりたいと思ったらすぐ行動しちゃうタイプなんです。ただこのときは応募する部署を間違えて、クルーの面接に行っちゃって(笑)。なので一旦そこはお引き取りして、改めてエンターテイナーのオーディションを受け、無事合格することができました。
――USJではどのくらい、どんな活動をされていましたか?
USJには約8年間所属していました。特に長いことレギュラー出演していたのは「モンスターライブロックンロールショー」。これは基本的に海外キャストだけしか出演しないショーなのですが、どうしても出たくてオーディションを受けていたんです。そうしたら日本人として初めてピックアップしていただくことができました。この連載の第1回に登場された可知(寛子)さんとも、USJ時代に一緒にショーに出たことがあったんですよ。
――可知さんと言えば、大嶺さんもYouTubeチャンネル「魅惑のかちひろこ」の「【MV】サザエさんと家族で『目抜き通り』歌ってみた【勝手に】」に出演されていましたね。
かっち(可知)とは外の舞台での共演は一度もなくて、ずっと共演したいと思っていたんです。かっちから“タクミboy”と呼ばれているんですけど、「タクミboy、ちょっと私のYouTubeに出てくれない? サザエさんやるからマスオさん役やって」と連絡をもらって。僕、髪の毛刈り上げていて髭面でタトゥーも入っているので、マスオさんというキャラじゃないじゃないですか。でもかっちは「だからこそマスオをお願いしたい。脱ぐことに抵抗はないですか?」って(笑)。なので「全くありません!」と(笑)。
――シャワーシーンがありますもんね(笑)。ワイルドでセクシーな素敵なマスオさんでした!
ありがとうございます(笑)。彼女自身のことも彼女のYouTubeも大好きなので、出演できて夢のようでした。これで一つ、かっちと共演するという僕のバケットリストにチェックを入れることができました。
『キャッツ』との衝撃的な出会い
――USJで活躍された後に渡米した大嶺さんですが、2015年に劇団四季の『キャッツ』に客演されています。
この『キャッツ』札幌公演が初めてのミュージカル出演になります。それまでは『キャッツ』を観たこともなかったし、ミュージカルもそんなに詳しくはなかったんです。
――どういった経緯で客演することになったのでしょうか?
たまたまアメリカから一時帰国するタイミングで、劇団四季の『アラジン』開幕に向けた一般オーディションがあったんです。四季には知り合いもいるし面白そうだなと、それくらいの気持ちでアメリカから応募しました。書類が通ったあとは、あざみ野にある四季の立派な稽古場でアラジン役の二次審査。後にアラジン役の海宝(直人)くんをはじめ、素晴らしい役者さんたちがしっかりと準備をして臨んでいました。そんな中、僕はTシャツにジャージというゆるい格好で行っちゃって、かなり場違いな雰囲気だったと思います(笑)。結局オーディションは落ちたのですが、そのとき僕を見ていた方が「他の作品に興味はありますか?」と声を掛けてくださったんです。なので「何でもやります!」と即答。それが『キャッツ』のラム・タム・タガーでした。これがきっかけで拠点をアメリカから日本へ移し、今に至ります。
――アラジンからラム・タム・タガー! そんなこともあるんですね! 『キャッツ』はかなり特殊な作品ですし、衝撃を受けることも少なくなかったのでは?
稽古場に入ると、猫の動きを練習している人がいっぱいいるんですよ。稽古初日から「一体僕はどういうところに来てしまったんだろう」と(笑)。『キャッツ』に出演している人は本当に身体能力が素晴らしい。とにかく体力、体力、体力! 僕が今までやってきた中で、ダントツ1位で体力的にハードだった作品ですね。『キャッツ』出演の機会をいただいたお陰で日本語の伝え方や言葉の話し方など、劇団四季のメソッドを勉強させていただくことができました。
がむしゃらに取り組んだ、地球ゴージャスでの役作り
――ずっとフリーで活動されているようですが、どういうことを軸に仕事をされてきたのでしょうか?
オファーをいただけるものについては、タイミングさえ合えば基本的にお受けしています。フリーなので仕事を選べる立場ではないのですが、やってみたいと思える作品は積極的にオーディションを受けるようにしていますね。
――今の大嶺さんにとって、やってみたいと思うのはどんな作品ですか?
セリフのある舞台に積極的に進んでみたいなと思っています。実は僕、最近までセリフがある作品に出たことがなかったんですよ。例えば『キャッツ』『ナターシャ・ピエール ・アンド・ ザ ・グレートコメット ・オブ ・1812』『レ・ミゼラブル』など、どれも歌がセリフになっているような作品がほとんど。テーマパーク時代は別として、初めて人前でセリフを言ったのが2020年の『星の大地に降る涙 ーTHE MUSICALー』(地球ゴージャス 二十五周年祝祭公演)だったんです。そのとき初めてお芝居をしているなと感じることができましたし、同時にすごくたくさんの苦労がありました。岸谷五朗さんや寺脇康文さんをはじめとする先輩方からお芝居を教えていただくという、とても贅沢な経験だったと思います。コロナ禍の影響で9公演しか上演できなかったので、やりきる前に終わっちゃった感じでした。もっともっとやりたかったですね。
――ご自身にとってのターニングポイントと言える作品ですね。
そうだったと思います。お芝居というものを知った気がしました。役を作るために一番苦労したと思います。気の強い大男系のキャラクターだったんですけど、それがなかなかできなくて。稽古場ではずっと(岸谷)五朗さんに「弱い。弱い。弱い」としか言われませんでした。「ここまで声を張ってやっているのに何でだろう」と悩んだり、「このセリフを言うときにまた弱いって言われるのかなあ」と萎縮してしまう自分がいたり。でも仕方がない、思いっきりやっていくしかないと思って、がむしゃらに自分を出してみたんです。そのときにポーンとお芝居に対する壁のようなものが抜けた感覚がありました。今でも覚えているんですけど、最後の通し稽古で五朗さんが「巧の芝居に泣きそうになった」って言ってくれたんです。それを聞いて僕はもう心の中で泣きたいし、喜びたいし……でも「ここで調子に乗ったらダメだ。謙虚に頑張っていこう。ここからがスタートなんだ」と。これからは芝居に対しても真剣に向き合って追求していこう、そう思えた瞬間でした。
コロナ禍で生まれた劇団Fierce
――フリーで活動されながら、劇団Fierceにも所属していらっしゃいます。
はい。演出家の金谷かほりさん主宰の劇団です。彼女は僕が18歳のときに受けたUSJのオーディションで最初に採用してくださった方で、もう20年くらいの付き合いになります。
――比較的最近できた劇団のようですね。
2020年の夏、コロナ禍でエンターテイナーの居場所がなくなってしまったときに彼女が人を集めたんです。「自主公演をやりたいから、たっくん手伝ってくれない? 私が本を書いて演出もするから出てほしいの」とオファーを受けました。そうして現在の10名が集まったんです。この状況に負けずにエンターテインメントを続けていきたいという、かほりさんの強い想いを感じました。最初は劇団ではなかったんですが、1回目の公演をきっかけに「このまま劇団にしちゃおう!」ということになり、大阪に拠点を置く今の劇団Fierceとなったんです。
――この連載では、注目の役者さんを毎回紹介していただきます。大嶺さんの注目の方は?
元々USJの演者で一緒に共演していた後藤晋彦さん。僕、彼の胸筋のことを “帝劇サイズ”と呼んでいまして(笑)。劇場の最上階の後方席からでも誰もがわかるくらいの胸板の厚さなんですよ! プロテインマイスターの資格も持っていて、筋肉が大親友(笑)。とにかく自分の体にストイックなんです。さらに歌も歌えて踊りもできます。いろんな現場で目にするのですが、彼のために役ができるんじゃないかと思うくらいの個性的なキャラクターを持っている、僕の憧れの先輩です。これから絶対に共演したいと思う方ですね。
――それでは最後に、表現者としてこれから挑戦したいことを教えてください。
いろいろ書いてみたいんです。特に歌を通した表現をもっとしていきたいので、作詞・作曲してみたり、本を書いてみたりしたいですね。道を歩いているときにパッと思い浮かんだ言葉をちょっとメモしてみるとか、一瞬頭に浮かんだメロディをレコーディングしてみるとか、そういうことからコツコツ始めていけたらいいなって。僕、出会う作品や出会う人によってコロコロ変わっちゃうので、これからどう方向転換するのか自分でも予想がつかないんです(笑)。どの現場も刺激ときっかけをいただける場所で、全部が素晴らしい出会い。だから本当に感謝しかないですね。クリエイティブにも興味を持っているので、これからは違う自分にチャレンジしてみてもいいかもしれないなと思っているところです。
取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=敷地沙織

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