「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」
VOL.15 伝記映画に見る、作詞作曲
家コール・ポーターの波乱多き人生

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

VOL.15 伝記映画に見る、作詞作曲家コール・ポーターの波乱多き人生
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 本連載VOL.4&5で紹介したアーヴィング・バーリン、VOL.7&8で取り上げたジョージ・ガーシュウィンと並び、ブロードウェイ史を語る際に欠く事が出来ない作詞作曲家が、コール・ポーターだ(1891~1964年)。代表作『エニシング・ゴーズ』(1934年)の翻訳上演再演は、惜しくもコロナ禍の影響で東京公演の大部分と愛知公演が中止になってしまったが、軽快なタイトル曲〈エニシング・ゴーズ〉を始め、〈アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オブ・ユー(あんたに夢中)〉や〈ユア・ザ・トップ(あんたはトップ)〉などの劇中ナンバーは、作品を離れてもスタンダードとして親しまれている。今回は彼の伝記映画を軸に、その生涯に迫ろう(VOL15で特集予定だった作曲家ハロルド・アーレンは、機会を改めて掲載予定)。
『エニシング・ゴーズ』リバイバル版(1987年)のオリジナル・キャストCD。ポーター楽曲の再評価に繋がったアルバムだ(輸入盤)。

■贅を尽くした人生から生まれた楽曲
 上記のナンバーでお分かりのように、ゴージャスかつ大らかな旋律とウィット溢れる歌詞。ポーター楽曲最大の魅力となった、どこか浮世離れした享楽的なテイストは、彼の出自が大きく影響した。帝政ロシアからアメリカに渡り、苦労を重ねたユダヤ系移民を両親に持つバーリンやガーシュウィンとは違い、インディアナ州の旧家に生まれたポーターは生まれついてのお坊ちゃま。母方の祖父が資産家だったおかげで、10代でフランスやスイスを外遊した。第一次大戦後はパリやヴェニスに居を構え、名士を招きパーティー三昧の日々を送る。1919年には、やはり大富豪で離婚歴のあるリンダ・リー・トーマスと結婚。ポーターはゲイ、夫人も同性愛者だったが、お互いの才能と魅力を認め合う稀有な絆で結ばれていた。
ポーターの妻リンダ・リー・トーマス(1883~1954年)
 ブロードウェイでは、代表曲〈ナイト・アンド・デイ(夜も昼も)〉を生んだ『ゲイ・ディヴォース』(1932年/映画化邦題は「コンチネンタル」)と、『エニシング~』でトップの座を極める。ところが1937年に、順風満帆だったキャリアは一変した。落馬事故で両足に重傷を負ったのだ。以降30数回にも及ぶ手術を繰り返し、激痛と闘いながら曲を書き続けた。
ポーターと愛犬をあしらった伝記本表紙(1998年刊)

■意外やポーターが喜んだ伝記映画
 ポーターは、伝記映画が2度作られた。最初が1946年の「夜も昼も」、2回目は2004年に公開された「五線譜のラブレター」。両作品とも冗漫かつ大味な凡作に終わったのは残念だが、ポーターの存命中に製作された前者は、今改めて観ると興味深い。1940~50年代は、ガーシュウィンの生涯を綴る「アメリカ交響楽」(1945年)を筆頭に、ソングライターや歌手、ミュージシャンの伝記映画がハリウッドで数多く作られたが、「夜も昼も」もその一作だった。

「夜も昼も」日本公開時のポスター。「はんらんする歌と踊り!!」のキャッチ・コピーが凄い。

 実はポーターの伝記映画は、彼の無名時代に才能を見出し、作詞作曲を続ける事を薦めたバーリンのアイデアだった。企画が立ち上がったのは第二次大戦中。大怪我を負いながらも、懸命に曲創りに励むポーターの姿が、戦地で負傷した兵士たちの病んだ心を鼓舞すると考えたのだ。ただし、脚本の段階で問題が多かった。まず当時のハリウッドでは、ショウビズの世界では周知の事実だったポーターのセクシャリティーに触れる訳には行かず、作品の核となるべきリンダとの関係は生ぬるいラヴロマンスに終始。その分を、〈ナイト・アンド・デイ〉を舞台と映画で創唱したフレッド・アステアや、『エニシング~』などに主演したポーター作品の常連エセル・マーマンら、豪華ゲストの歌と踊りで補おうとしたものの、彼らの出演は叶わなかった。
 しかも、小柄で華奢だったポーターを演じたのは、似ても似つかぬ二枚目俳優のケイリー・グラント(映画「北北西に進路を取れ」など代表作多し)。ところが完成した映画を観たポーターは、あまりにも事実とかけ離れた自分の人生を大いに楽しんだと言う。
ケイリー・グラント(1904~86年)
■「さよならを言う時はいつも」
 全編を彩る、20曲以上にも及ぶポーターの傑作ナンバーは流石に素晴らしい。冒頭で触れた〈アイ・ゲット・ア・キック~〉や〈ユア・ザ・トップ〉はもちろん、〈恋とは何でしょう〉に〈あなたはしっかり私のもの〉などその多くを歌うのが、バンドの専属歌手出身のジニー・シムズ。原曲の美しさを生かした、クセのないオーソドックスなボーカルが好もしい。また、スケールの大きい編曲も見事で、異国情緒溢れるカラフルなポーター楽曲を存分に盛り上げる。特別ゲストでは、『リーヴ・イット・トゥ・ミー!』(1938年)で〈私の心はパパのもの〉を歌い、一躍スターとなったメリー・マーティンが、名場面を再現しており興味深い。

「夜も昼も」のワンコインDVD。Amazonのprime videoなどでも視聴可だ。

 一方「五線譜のラブレター」は、年老いたポーター(ケヴィン・クライン)が人生を振り返る構成。若き日の回想に始まり、闘病と向き合いつつ生涯最大のヒット『キス・ミー・ケイト』(1948年)を発表、その後のリンダの死(1954年)までが描かれる。ただ、ポーターと男性との情事や事故後の苦悩、妻の献身を綴りながら、脚本と演出が平板で興を削いだ。「夜も昼も」同様に名曲満載で、アラニス・モリセットやエルヴィス・コステロ、シェリル・クロウら個性派シンガーが歌いまくるが、ステージングがチープな上に、歌手の人選にも疑問が残る。白眉は、リンダ逝去のシーンで、ベテランのナタリー・コールがしっとりと聴かせる〈さよならを言う時はいつも〉。「さよならを言う時はいつも、私は少しだけ死ぬの。美しい愛の調べも、何故か突然に長調から短調に変わってしまう」と心の機微を活写した歌詞が秀逸だ。
■時代を超え、永遠に歌い継がれる

 『キス・ミー~』以降も、『カン・カン』(1953年)や『絹の靴下』(1955年)、新曲を書き下ろしたミュージカル映画「上流社会」(1956年)と「魅惑の巴里」(1957年)を発表し精力的に活躍。しかし1958年に、悪化した右足を切断した後は隠遁生活に入り、1964年にカリフォルニアの病院で静かに息を引き取った。享年73。その死を看取ったのは、執事2人と看護師だけという、豪奢なライフスタイルを貫いたポーターには似合わない最期だった。
フランク・シナトラのポーター楽曲名唱集「ザ・セレクト・コール・ポーター」(輸入盤)
 「上流社会」に主演し、最晩年までコンサートでは必ずポーターの曲を歌っていたフランク・シナトラを始め、ポップス&ジャズ系シンガーで、彼の楽曲を取り上げた事のない人は皆無だろう。最近では、引退を発表したばかりの95歳の大御所トニー・ベネットが、レディー・ガガと組んだデュエット・アルバム第2弾「ラヴ・フォー・セール」が、全曲ポーター・ナンバー(2018~21年録音)。〈イッツ・ディラヴリー〉や〈ドゥー・アイ・ラヴ・ユー?〉、〈ソー・イン・ラヴ〉など極め付けの名曲揃いだ。10月1日のリリースが待ち切れない。

「ラヴ・フォー・セール」は、ユニバーサルミュージックからリリース

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