あぶらだこの一口では語れない
音楽性が詰まった“木盤”は
異端派パンクバンドならではの逸品

いわゆるパンクとは一線を画す

オープニングM1「Farce」。パンクはパンクでもポジティブパンクの匂いを感じるのは自分だけだろうか。お囃子にも近い和太鼓的なリズムに、軽くニューロマを感じさせるドライなギターサウンド。それがそのまま続いていくのかと思いきや、ティンパニー風というか、オーケストラの打楽器風に変化し、さらにはロッカバラード的リズムへと変わっていく。めまぐるしいと言っていいほど変化だ。ドラムもさることながら、ベースの動きもかなり激しく、ポップス的な聴き方をしていると、その予測不能な展開に付いていけないばかりか、面食らう人もいるのではないかと思う。長谷川裕倫(Vo)の声も特徴的。高音でバックのサウンドからやや浮いた感じこそが極めてポジパン的と感じたところかもしれない。しかも、サビは意外にも…と言うべきか、キャッチーで開放的。この辺は、今も言うところのパンク的だろうか。全体的に見ると、4分に満たない楽曲ではあるが、ギター、ベース、ドラム+ヴォーカルという形態でできる限りのこと、あるいはそれ以上のことをやろうとしている感じが伝わってくるようではある。

続くM2「S60」、M3「Row Hide」は、これも個人的な見解であるが、ポジパンというよりも、そこからの派生と言えるカテゴリーのビジュアル系に通じるものを感じる。M2での《60年代》の連呼からいきなりテンポアップする箇所。M3ではイントロのギターにそんな印象がある。そのリズムの変化とかユニゾンとかエレキギターの単音弾きのメロディーとかを、プログレ風と見る向きもあるだろうし、これらがビジュアル系に直結したわけでもないだろう。だが、これらのようなフレーズは(筆者自身、最近のV系をたくさん聴いているわけでもないけれども)今も普通に使われている気はするし、あぶらだこを知らないけどビジュアル系には詳しいリスナーに上記の箇所を“これ、あるバンドのインディーズ時代の音源なんだけど、当ててみて?”と訊いたら、●●●とか○○○とか答えるのではないだろうか。それくらい、今となっては当時、彼らがやっていたことは普遍的なものだったように思えるし、ポップだと思う。とりわけM3の《ローハイド ローハイド ローハイド ロー》の部分はシンガロングできそう…と書くのはかなり強引かもしれないけれど、十分にキャッチーではあって、少なくとも初期においてその活動の場はアンダーグラウンドなものであったことは間違いないが、その音楽には大衆的な要素はあったように思う。

M4「象の背」は淡々とした感じで進んでいくナンバーながらも、依然、小町 裕(Ba)の弾くベースラインが印象的。そこに重なるギターもあんまりノイジーでないばかりか、前面に出ている感じもなく、まったくと言ってハーコーなイメージはない。あぶらだこというバンドが“異端派パンクバンド”と言われたことも理解できる感じではある。また、そうしたサウンドだからなのか、長谷川裕倫のヴォーカルが一層際立った印象がある。声質も親しみやすいというか、パンク…いや、ロックの持つワイルドさとは無縁な雰囲気ではあって、誤解を恐れずに言えば、たま…それも「さよなら人類」での柳原幼一郎を彷彿させるところではないかと、個人的には(あくまでも個人的に)思ったところだ。何と言うか、パンクやHR/HMで多くの人が忌み嫌う(ような気がする)周りを威嚇するかのようなヴォーカリゼーションではないのである。ここも“異端派”なところが顔を出しているような気がする。

それはドラムの連打から始まるM5「生きた午後」も同様。まさにゴチャゴチャとしたサウンドで、ピアノが入ってジャズの即興演奏っぽいイメージもあって、性急なビートそのものはハーコーっぽいと受け取る人がいるかもしれないけれど、いわゆるハードコアパンクとは確実に一線を画している。その一方で、M6「ダーウィンの卵」の躍動感は如何にもパンク。ハーコーではなく、The Clash辺りの匂いが感じられる。すなわち初期パンクということだ。ヴォーカリゼーションも、M4で示した個性がここでも発揮されており、楽曲全体にポップさを注入していると言ってもよかろう。さらにはギターのリフや、各パートがユニゾンを見せるところは、これものちのパンクバンドやビジュアル系に影響を与えたようにも感じられる代物であって、“これ、実は△△△のインディーズの未発表音源”と言ったら信じる人がいるかもしれない。

OKMusic編集部

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