杉原邦生(構成・演出・美術)×武居
卓(TCアルプ)『パレード、パレード
』を語る〜「登場人物たちが安らかに
死んでいかれるように、何を語らせた
らいいかを考えた」(杉原)

18世紀末から20世紀前半まで、ポーランドはいくつもの戦争、三国分割、東西冷戦、ソ連の介入による共産主義国家化など複雑な歴史を歩んだ。画家や造形作家、演出家、俳優として20世紀後半の芸術運動において多大な影響を与えた前衛芸術家、タデウシュ・カントール。日本では1982年、パルコ・スペース・パート3で『死の教室』が上演された。小さな机が置かれた古びた教室で、反復されるワルツとともに、黒い衣裳をまとった人びとによって露わになる絶望と歓喜。その様子を同じ舞台上でカントールが見守るーー。東西の大作を演出してきた気鋭の演出家・杉原邦生が、この不思議な舞台に触発され、まつもと市民芸術館を拠点に活動するTCアルプとともに新作をつくり上げる。それが『パレード、パレード』。杉原と、杉原が演出した『オレステスとピュラデス』(KAAT制作)にも出演した武居卓(TCアルプ)の対談をお届けする。

この企画は一緒に挑戦してくれるメンバーがいなければやれなかった
――杉原さん、TCアルプと作品づくりをすることになった経緯から教えてください。
杉原 2016年に木ノ下歌舞伎『勧進帳』をまつもと市民芸術館で上演したころから芸術監督の串田和美さんにお声がけいただいていました。それから「まつもと演劇工場NEXT」のWS講師などやらせていただいたりする中で、具体的に企画が動き出したのは2019年末だったと思います。それまでもTCアルプの公演を観たり、串田さんが松本市を拠点にいろいろなことをやってらっしゃるのを拝見していて、この劇場全体にすごく風通しがいい印象があったんです。何をやるか串田さんとお話をしたときも「(題材は)なんでもいいよ。松本でやってみたいことは何?」とおっしゃっていただきました。それで、学生時代の2003年に上演した演出家デビュー作が『死の教室』にインスパイアされたもので、もう一度やってみたいと思っていることを伝えました。このアイデア自体は数年前からあったんですけど、台本がないところから立ち上げていくという普段とは違うつくり方になるので、一緒に挑戦してくれるメンバーがいなければできないと思っていました。そのときに串田さん、まつもと市民芸術館、TCアルプが一つのラインでつながったんです。ここでならできるんじゃないかって。
杉原邦生
――大学時代につくった芝居はどういうものだったんですか?
杉原 入学してすぐ、授業で『死の教室』の舞台映像を見たんです。登場するのは老人ばかりだし、演出家がずっと舞台上にいるし、字幕は付いていても何をやっているのか全然わからなかった。でもすごくカッコ良い ! っていう印象が強烈に残ったんです。同級生たちも同じ感覚だったようで、自然と『死の教室』をモチーフにした作品をつくろうという話になり、学内の劇場で自主公演を打ちました。『アドア』という作品だったんですが、当時は言葉を使うダンスや、ポスト・ダムタイプみたいな作品が流行っていて、完全にそこに乗っかった感じの、演劇というよりはパフォーマンス的な作品でした。
――今回の現場はどのようにスタートしたのでしょう。
杉原 まず串田さんから本当に作品に必要な俳優を選んでやってほしいと言っていただいたので、TCアルプと当時の演劇工場在籍者、TCアルプによく出ている役者さん約20人でワークショップ・オーディションを行いました。僕が演出で多用するラップのWSや、恩師である故・太田省吾さんのメソッドなどを数日にわたってやりました。WSに入る前から、自分でつくった棺桶で死んでいく人たち、みたいなイメージが浮かんでいたので、段ボールでそれぞれオリジナルの棺桶をつくってもらい、僕が書いたト書きのみのテキストを渡して、オーディション最終日に一人ひとりパフォーマンスをつくってもらいました。その時にオールマイティーであるより、何かが突出して光っている人を選びました。続く、今年の春のワークショップでは、ディスカッションしたり、小作品をつくってもらったり、贅沢に時間を使って皆さんのことを知っていくために時間を割きました。
――武居さん、杉原さんの印象について話してください。
武居 ずいぶん前から僕らの作品を観ていただいたり、僕も杉原さんの作品を拝見したりしていましたが、ずっと挨拶を交わす程度の関係だったんですよね。杉原さん、同年代だけど怖そうな印象じゃないですか。
杉原 よく言われる(笑)。
武居 僕も積極的に人と打ち解けられるタイプじゃないから、お話しできなかったんですけど、去年、まさかの『オレステスとピュラデス』に呼んでいただいたんです。そこで面白い人、楽しい人だなって(笑)。でも杉原さんが僕らとどんなふうに創作するのかイメージが湧かないままワークショップで『死の教室』の映像を見ました。若い時に飛びつく感じ、わかるんです。でも「これをやるのか」と思って見たから、「マジか?!」と。いや、今は不安はありません。映像を見たときはどんよりした何も起きないシーンばかりが気になっていたんですけど、杉原さんはそうではない魅力をしっかり見ていて、こう捉えているのかとわかってからはめちゃくちゃ面白いです。

武居卓
言葉があちらこちらで踊っている、虚構度の高いダンスのような演劇に
――杉原さんも学生時代に作品を創作なさった当時と、『死の教室』という作品の受け取り方も違いますよね。
杉原 もちろん違います。当時はカッコ良いという衝動が優先していました。表面ばかり見ていたと思うんです。今回、いざ構成台本を書くにあたり『死の教室』の映像を見直したんですけど、しばらくは授業で見た当時の衝撃がフラッシュバックするだけで客観的に見られませんでした。でもどこに引っかかったのか、いろいろ考えるうちに、僕らにはポーランドの情勢や戦争のこと、彼ら一人ひとりが抱えている問題を理解することはできないし、表現できない。だけど、役者がぎゅうぎゅうになって座っている小さな机に、様々なレイヤーの社会が描かれていると感じたんです。
――なるほど、わかる感じがします。
杉原 小学校の教室って僕らが成長の過程で最初に出会う社会、世界だと思うんです。当時はひどく広く感じたけど、大人になってみるとすごく小さな世界だったと気づく。そういう一番小さな意味での社会と、国や世界という大きな意味での社会とを行き来しながら、物事や人間を描いているところがこの作品のすごさだと感じました。そのことに改めて気づけてから、構成台本を書き進めることができた。実は当初はダンスのような演劇をつくりたくて言葉を極力使わないつもりでした。いわゆる“演劇”という枠組みに収まらない虚構度の高い、ぶっ飛んだ演劇をつくりたいと思いました。なので、最初に渡した3場までの構成台本はト書きだけでした。そして稽古3日目、少し言葉をしゃべってみてもらおうと3ページくらいのセリフを書いていったんです。そうしたら、俳優たちが身体の動きの延長で、自然に言葉を発してくれた。その手応えを感じてからは、言葉の洪水になりました(笑)。でもそれは俳優たちと稽古をやってみて、可能性を確信できたから。シーンごとにセリフも明確にはつながってはいないし、登場人物一人の中でもバンバンとイメージが飛躍していくんです。言葉があちらこちらで踊っているダンスみたいな演劇作品をつくれそうだと思っています。そして、なんだか日増しに不思議なことになってきてしまいました(笑)。
武居 めちゃくちゃ面白いですよ。日々渡される台本を、漫画の読者みたいに楽しみにしている自分がいて。僕の印象としては、読むよりも、役者が口に出した方がさらに面白い。僕のボキャブラリーでは説明できない「この感じ」がお客さんに渡せれば、すごく楽しんでいただけると思うんです。書かれていることは、ごく個人的なわかるわかるということだったり、人類全体のことだったりします。役者がしっかり届けないと、一人でブツブツ言ってるだけじゃんというふうにしか見えず、台無しになってしまう。だからかなりプレッシャーを感じています。
杉原 難しいよねえ(笑)。
武居 最初に、ストーリーに頼るお芝居じゃないですよ、と言われたんです。
杉原 台本の冒頭に、声明文のようなものを書いたんです。「〈演劇〉ではあるけれど、気をつけたい。わかりやすい〈物語〉に寄りかかることのないように、〈言葉〉が〈説明〉という汚名を着せられることのないように、頭や胸の衝動として〈言葉〉が〈身体〉と同列に存在できるように――」(一部抜粋)と。
武居 その言葉にだいぶ助けられている感じがします。この作品でお客さんの心を動かすことができたら、すごいことになる気がします。

杉原邦生(右)と武居卓 撮影:山田毅
夜の闇と教室と、教師を待つ人びと
――観にきてくださる方へのヒントとして、『パレード、パレード』の舞台上では何が起きるのか教えていただけますか。
杉原 まず舞台は夜の小学校です。夜とか闇って何が起きてもおかしくない、どこかいかがわしい時間ですよね。それは演劇にとっての暗転と同じだと思うんです。真っ暗闇になったら次のシーンはどこに飛んでもいいし、誰がどうなってもお客さんがつなげて観てくださる。前提としてそういう時間が舞台上に必要だと思ったので、夜や闇というイメージはこの作品において非常に重要です。そして空間が教室であることも同じくらい重要。ある教室にどこからともなく人びとがパレードしながら集まってくる。そのパレードは葬列、あるいは死んだ人びとの歩みらしい。人びとは着席して、教師を待つ。教師は世界における統制者、神的存在です。しかし、教師はやってこない。いるべき人がいない。それは今の時代における神、代表者、統制者の不在とも言えるかもしれません。人びとは教師がいないと自分たちの存在を証明することができない、出席していることにならないと焦り始め、一人の代表者をでっち上げます。そこからこの作品は始まります。しかし代表者が決まった途端、不安がっていた人びとは好き勝手やり始めるんです。自分の言いたいことをとにかく吐露する。今のSNSがそうですよね。匿名だからと言いたいことだけ言い、責められそうになったらすっと引いていく。舞台に登場する人びとが語るのは、ごく個人的な想いに始まり、人間の根源的な願いや祈り、社会に提示すべき忘れてはならない問題だったりします。彼らから語られることの中から、様々な意味での社会が、そして世界が教室という空間に立ち上がってくる。そんな作品になると良いなと思っています。
――武居さんは、どんな役を演じるんですか?
武居 僕は「主に、代表していく男子」役です。最初は「代表する男子」と書かれていましたよね? 本来の僕は外出するのも面倒臭いし、人と関わるのも得意じゃないので「え、代表するのは好きじゃないんだよ」と悩みました。代表して前に出たがる人の感じがわからないからですが、「代表していく男子」に変更になった途端すっと理解できたんです。教師の不在の中、自分たちの存在を証明するために誰かを代表者として祀り上げなければいけないとき、ふっとみんなに見られて、お前がいいみたいな空気が生まれ、そこに立たされてしまう。でもそこに立ってしまったら面白くないんですよ、一緒に楽しめないから。
杉原 本当にそうだよね。
武居卓 撮影:山田毅
武居 でもみんなが求めているから、そこにいなければいけない。これ、僕はすごくわかるんです。
杉原 どの役もそうですが、僕がWSを通して感じた、この人はこういうところがありそう、集団の中でこういう位置を取る人じゃないかという要素を盛り込んでいます。普段こんなことを考えているんじゃないかとか、こういうポジションに行かされそうだなとか、僕なりにキャッチした俳優たちのイメージを投影しています。卓ちゃんは中心になりたくない、代表になりたくないと思いつつ、責任感が強いから最終的にはそのポジションを全うしようとする。だから逃げないんです、絶対逃げない。
武居 まじですか。すっかり見透かされている。
一同 笑い

「死」のプラス、マイナス両面を象徴する音楽がリフレインする
――杉原さんといえば、ラップやヒップホップなど音楽の使い方が秀逸です。そしてカントールの『死の教室』ではリフレインされるワルツがとても印象的。今回はミュージシャンが生演奏するんですよね?
杉原 今回ご一緒する角銅真実さんは、昨年、シアターコクーンで上演した『プレイタイム』で出会いました。マリンバなどの打楽器をメインに音楽活動をなさっている方で、普段はふわっとしているんですけど、提案してくださる音楽はすごくエッジが効いている。「死」には、悲しみや恐怖というどちらかというと負のイメージがある一方で、安らかさや眠りといった穏やかなイメージもある。角銅さんならその両面が出せそうだと直感でお願いしました。角銅さんにはまずリフレインするテーマをつくっていただきました。ノスタルジックなのに力強さと荘厳さがあって、とても印象的な曲に仕上がっています。きっと終演後しばらくは口ずさまずにはいられないんじゃないかと思います。
杉原邦生 撮影:山田毅
――『プレイタイム』の音楽家と聞いたときに、カントールの世界と通じるカッコ良さがあるように思いました。そして『パレード、パレード』では杉原さんがギリシャ悲劇や歌舞伎で見せるようなエンターテインメント性とは違う、普段は表に出さない部分が見られそうです。
杉原 僕の前衛魂が全開です(笑)。それと、構成台本を書いていて、自分にはこんなに言いたいことがあったのかとびっくりしています。基本的には、俳優本人のイメージを登場人物に重ね合わせて書いているんですが、彼らが安らかに死んでいくには、何を語らせたらいいだろう、最後に何を吐き出せたらいいだろう、って考えていったんです。だから、僕の言葉であり僕の言葉でない、俳優たちの言葉という感じがあります。
――俳優それぞれの魅力がすごく重要な作品になりそうですね。
杉原 舞台は演出家が何を準備しようと、最終的には俳優のものですから。俳優をどう輝かせられるか、それが演出としては重要だと思います。
――カントールは舞台の上から俳優たちを観察したり、必要があれば介入したりもしたそうですね。杉原さんは舞台に出たりしないんですか?
杉原 出ないですよー。串田さんが出演してくださるならその役をと思ったんですけどね(笑)。
武居 代わりに「代表していく」んです(笑)。
――杉原さん、今回をきっかけに、こういう作品づくりにハマるんじゃないですか?
杉原 ハマらないです(笑)。10年後、20年後くらいにふとやることがあるかもしれないですけど……現時点では二度とやりたくない(笑)。つくづく演出家が台本など書いてはダメだと思いました。やっぱり作家はすごい仕事だと実感しています。
武居 まつもと市民芸術館でしか見られない、とても貴重な公演になりますね !
杉原邦生(右)と武居卓 撮影:山田毅
取材・文:いまいこういち
衣裳協力(杉原邦生):ANOTHER LOUNGE

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