[連載企画] ウエストエンド・ミュー
ジカルの名作『オリバー!』 PART
2/ライオネル・バートって誰?

[連載企画] ウエストエンド・ミュージカルの名作『オリバー!』

PART 2/ライオネル・バートって誰?
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 『オリバー!』(1960年初演)の脚本と作詞作曲を手掛けたのが、ライオネル・バート(1930~99年)。イギリスを代表するソングライターの一人で、ウエストエンド・ミュージカルの仕事のみならず、ポップス系のヒット曲を数多く放ち、本国では人気が高かったユニークな才人だ。しかし日本では、その名はもちろん、キャリアについては殆ど知られていない。PART 2では、バートが創作した舞台や楽曲を紹介しつつ、彼の波乱多き人生に迫ろう。
2011年に出版された、ライオネル・バートの伝記「ライオネル・バート物語」
■譜面を書けないソングライター
 後述する本作のナンバー以外で、日本で知られているバートの楽曲と言えば、007シリーズ中の名作「007 ロシアより愛をこめて」(1963年)の同名主題歌だろう。「イギリスのシナトラ」と謳われた歌手マット・モンローが、「♪フロ~ム・ラッシャア~・ウィ~ズ・ラ~ヴ……」と甘い声で歌う物哀しい旋律は、映画ファンなら御記憶の方が多いはずだ。1960年代に一時代を築いたバート。まずは、そのルーツを辿ってみよう。

「007 ロシアより愛をこめて」(1963年)のアナログ・サントラ盤
 1930年、ロンドンはイーストエンド生まれ。ユダヤ人居住区で暮らす一家は貧しかった上に、仕立屋の仕事で働き詰めの父親と、気が強い母親は口論が絶えず、バートは愛情に飢えた幼少期を送る。ただ音感に優れた彼は、救世軍の楽隊や大道芸人の楽器演奏から、盛り場から聴こえてくるジャズまで、街中で流れるあらゆるジャンルの音楽を吸収。やがて学校の教師が、バートの音楽的才能を見出した事をきっかけにバイオリンを習うが、早々に挫折した。プロの作曲家に転じた後も、譜面の読み書きは出来ないままで、彼が歌うと採譜師が書き取るやり方を貫く。

トミー・スティール(1957年撮影)

 1950年代中盤から、トミー・スティール(『心を繋ぐ六ペンス』など、後にミュージカル俳優としても成功)やクリフ・リチャードら、イギリスで人気を誇ったロックンロール&ポップス歌手のヒット曲を量産し、一躍脚光を浴びたバート。演劇界でも頭角を現し、ロンドン下町の裏社会が舞台のコメディー『昔と変わらぬ物は無し』(1959年)に楽曲を提供し好評を博した。

ポップス系ヒット曲と舞台のナンバー全64曲で構成された、バートの集大成的アルバム「ポップ・バート!」(2枚組/輸入盤)
■「愛はどこにあるの?」

 そして、バート生涯の代表作となった本作『オリバー!』。彼は、チャールズ・ディケンズの原作「オリバー・ツイスト」の映画版(1948年/ワンコインDVDで入手可)を観て、作品の世界や、次々に現れる個性的な登場人物に魅せられた。だが、粗筋と楽曲のデモ・テープを仕上げ売り込みにかかるも、興味を示す演劇関係者は皆無。孤児オリバーが暮らす救貧院や窃盗集団の巣窟を舞台に、社会の底辺でしたたかに生きる人々が暗躍するミュージカルは、想像も出来なかったのだ(『レ・ミゼラブル』のロンドン初演は、それから25年も先)。
 だがバートは、作品のテーマに信念があった。それは「愛」。親を知らぬオリバー少年が愛を求めて彷徨う物語は、万人を感動させる事が出来ると確信していたのだ。もちろんバート自身、愛情が枯渇した子供の頃の自分を、オリバーの生き方に重ね合わせた事は言うまでもない。実際、バートが最初に書き下ろしたナンバーも、オリバーが歌う〈愛はどこにあるの?〉だった。救貧院から葬儀屋に売り飛ばされた彼が、「愛はどこにあるの? 僕にだけ優しく挨拶してくれる人は、遠い旅をしたら会えるのかな?」と健気に訴える感動的な一曲だ。
〈あの人が私を必要とする限り〉(ライブ録音)など、バートの楽曲を5曲収録したガーランドのCD「クラシック・ジュディ・ガーランド」(2枚組/輸入盤)
 さらに本作の白眉となる愛の名曲が、オリバーに目を掛けるサギ集団の女性ナンシーが、「命の続く限り、何があろうとも彼を愛す」と恋人への愛情を高らかに歌い上げる、〈あの人が私を必要とする限り〉。絶唱型女性シンガーが好んでカバーしたナンバーで、ジュディ・ガーランドの十八番としても知られる。最晩年に、ロンドンで開催されたコンサートの舞台裏を描いた映画「ジュディ 虹の彼方に」(2019年)でお分かりのように、ガーランドはイギリスでの人気も抜群で、頻繁に渡英。『オリバー!』は、彼女と愛娘ライザ・ミネリら家族が繰り返し観た、お気に入りの作品だった。また、バートの才能を高く評価したガーランドは、公私共に親しい関係を築き、1964年には新作『マギー・メイ』の劇中曲をカバーしている。

■正当な評価を得ずにクローズ

 その後1967年に、バートはブロードウェイ入りを目指す意欲作に取り組む。タイトルは『ラ・ストラーダ』。イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の秀作「道」(1954年)のミュージカル版で、粗野な旅芸人ザンパノと、道化を務める純真無垢な少女ジェルソミーナの悲哀に満ちた物語だ。『オリバー!』と同様、蔑まされても懸命に生きる人々を描くストーリーに惚れ込んだバートは、満を持して楽曲創りに着手した。
 ところが、演出家やプロデューサーとの見解の相違や、個人的なフラストレーションが原因で、バートはリハーサルに姿を見せなくなる。そのため、地方でのトライアウト(試演)の時点で、彼が書き下ろした曲の大半は、他のソングライターのナンバーに差し替えられた。最終的に、バートの曲で残ったのは3曲のみ。しかもトライアウトでの悪評が広まり、1969年12月に開幕したブロードウェイ公演は、僅か1回の上演でクローズしてしまう。
2004年にリリースされた、『ラ・ストラーダ』(1969年)のデモ・レコーディング
 それから35年を経た2004年に、バートが初期段階に創作したデモ録音がCD化された。これを聴くと意外や佳曲揃い。ジェルソミーナが歌う、センチメンタルなバラード〈ビロンギング〉を始め、愛すべきナンバーが多いのだ。もしこの作品が成功していたら、後年のバートの評価も変わっていただろう。ちなみに、ブロードウェイ公演でジェルソミーナを演じたのは、若き日のバーナデット・ピータースだった(デモ録音に、彼女のボーカルは収録されていない)。
■『オリバー!』再演で奇跡の復活
 1970年代からキャリアは低迷する。かねてからの飲酒癖は歯止めが効かず、派手なライフスタイルを好み、浪費家だった彼は破産を繰り返した。ウエストエンドでは、1977年に自伝的ミュージカル『ライオネル!』が開幕するが、約1カ月でクローズ。ブロードウェイでの上演を狙った、ヴィクトル・ユーゴー原作「ノートルダム・ド・パリ」のミュージカル版は、結局陽の目を見なかった(劇団四季が翻訳上演した、『ノートルダムの鐘』とは別バージョン)。ただしこの作品、バートの死後2013年に、『カジモド』のタイトルでロンドン初演を果たしている。
 自ら「長い冬眠期」と称した、この辛い時期に手を差し伸べたのが、サー・キャメロン・マッキントッシュだった。『オペラ座の怪人』(1986年)や『ミス・サイゴン』(1989年)など、ウエストエンド発の大作で鳴らした辣腕プロデューサーで、今回の『オリバー!』翻訳上演も手掛ける。彼は、1994年に上演された本作のロンドン再演を企画した際、バートに声を掛け、音楽面の強化を依頼したのだ。この公演は、窃盗集団の親分フェイギンに、『ミス・サイゴン』でエンジニア役を快演したジョナサン・プライスを迎え大ヒットを記録。1998年までロングランを重ねる。バートは、あたかも我が子の成功を見届けるように、クローズ翌年の99年に肝臓がんで逝去した。享年68。日本では、ソングライターとしての真価は未だ伝わっていないのが残念だが、今回の上演で、バート楽曲の楽しさ、美しさを堪能して頂ければ幸いだ。

『オリバー!』、1994年のロンドン再演版CD(輸入盤)
(次回PART3に続く)

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