まもなく日本版の幕が開く『ジェイミ
ー』にロンドンで魅了された理由。

ドラァグクイーンを夢見る高校生ジェイミーが夢に向かって突き進む姿を描くミュージカル『ジェイミー』(原題『Everybody’ s Talking About Jamie』)。イギリスBBC放送のドキュメンタリーをベースに作られた本作は、シェフィールドで開幕するやいなや大きな話題を呼び、同年にロンドン・ウエストエンドでの上演が決定。イギリス最高峰の演劇賞 ローレンス・オリヴィエ賞に5部門でノミネート、イギリス全土の映画館でのライブ上映や映画化など、一大旋風を巻き起こしている(映画版は9月よりAmazon Prime Videoで世界配信予定)。
そんな本作の日本版が、2021年8月8日(日)より東京建物Brillia HALLにて上演される。いよいよ幕を開ける日本版『ジェイミー』を前に、本作をウエストエンドにて観劇した演劇ライター・清水まり氏が、作品の魅力を綴ってくれた。
なお、SPICE編集部では、日本版演出・振付を務めるジェフリー・ペイジ氏のインタビューを敢行。こちらも後日公開予定なのでお楽しみに。(編集部)
それは瞬殺だった!
退屈で堅実な日常を求めたがる大人たちに、正面切って抗うわけでなく、ジョークのひとつも交えながら軽やかに身を翻し、自分の心に素直に生きようとするジェイミー。ジョン・マックレア演じるとんでもなくキュートな主人公に出会ったのは、2018年6月、アポロシアターでのことだった。
『Everybody’ s Talking About Jamie』(原題)を観ることは旅の目的のひとつではあったけれど、短いロンドン滞在期間に2日続けて通うことになるとは思わなかった。
2018年6月、観劇時のキャスト(撮影:清水まり)
繊細な心のうちを映し出すかのような透明感ある美しいファルセットの響き。脳天から首筋、背中、そして全身へと波及するしなやかな体幹。よそ行きと本音との間をくるくる行き来する豊かな表情としぐさ。教室という、ほろ苦さと郷愁をとが同居する空間に現れたジェイミーは、男の子たちとも女の子たちとも趣きを異にする佇まい。「♪And You Don’ t Even Know It」を軽快に歌い踊り、躍動する生命感の瑞々しさに目が釘づけとなった。瞬殺!
タイトルからして泣ける要素ありありのスローなナンバー「♪TheWall In My Head」で、「Over the wall」というフレーズや「believe」なんて単語が耳に飛び込んで来ようものなら「大丈夫だよ。越えられるよ、きっと。自分を信じて!」と応援モード全開になり、何度も連呼される「climbing」に胸が締めつけられ、気がつけば涙。まだ始まったばかりだというのに……。
〝普通〟をはみ出して
個性豊かなクラスメイトたちもまたそれぞれに気になる存在だ。ジェイミーにとってよき理解者であり心強い味方であるプリティは、〝なりたい自分〟としっかりと向き合っている真面目な女の子。宗教的意味合いを含むマイノリティーでもあり、世間一般の〝普通〟にカテゴライズされない者同士の本能的絆でジェイミーとは結ばれている、とでも言えばいいだろうか。
ジェイミーの母親・マーガレットもまた、保守的な家族構成からはみ出したシングルマザー。見た目は極めて「あー、いるいる!こういうおばちゃん」という感じでフツー感満載なのだけれど、ひとり息子がゲイであることを受け入れるどころか全面的に応援しまくっちゃっているのである。我が子をちゃんとひとりの人間として見ていて、その子の幸せをいちばんに考えて、同じ夢を見てくれているのだ。これってけっこうできそうでできないのが多くの現実だったりするのではないか。あったかくてでっかい母の愛にひたすら敬服!なのである。
ジェイミーの夢はドラァグクイーンになること。だけど哀しいかな、彼が日々を暮らしているのはシェフィールド。サンフランシスコではないのである。ここがまた泣きのポイントで、ジェイミーが放つ「Sheffield!」という嘆きにまたまた胸が締めつけられる。
筆者が訪れた2000年夏当時のシェフィールド。木の奥がクルーシブルシアター
イングランド北部に位置するそこは、それなりに都会ではあるけれどさまざま意味でロンドンには遠く、かといって自然豊かな美しい田園地帯でもない、産業革命によって発展した都市である。それはどこか、日本の地方都市に通じるものがあるようにも思える。
2021年の日本的感情表現で言えば〝極めて昭和な〟価値観に縛られて生きる、保守的な人たちがわんさかいるであろう町で、ドラァグクイーンになりたいなんて、〝普通〟の親なら卒倒するくらいの衝撃だ。その代表が離れて暮らすジェイミーの父親で、これがまた「昭和のおやじあるある」なのである。
ドラァグクイーンへの道
そんな〝普通〟の壁をぶち破ってたくましく生きるドラァグクイーンに、ジェイミーが出会うのはとあるドレスショップ。伝説のロコ・シャネルことヒューゴを始めとするオネエサマ方の規格外な存在感には圧倒されっぱなしで、それを笑いに包んで楽しませてくれちゃうのだから、これぞまさしくプロフェッショナルなエンターテイナー。
プロムでドレスを着るというジェイミーの具体的かつ超近未来の目標達成に向かって、物語はぐんぐん動き出す。その過程ではまあ当然、いろいろあるわけで。アガったりサガったりジェイミーと一緒に一喜一憂。ハラハラしながら一幕のゆくえを見守り、その幕切れに息を呑む。
これ以上詳細には踏み込まないことにするけれど、とにかく!曲がかっこよくて、ダンスが素敵に楽しくて、ジェイミーだけではない十代の繊細な心情を優しく丁寧に掬い上げ、それを見守るはみ出したカッコイイ大人たちが織り成すストーリーにぐんぐん吸い寄せられて、最後は最高にハッピーになれるのだ。
Everybody’s Talking About Jamie | Official Trailer | 20th Century Studios
こんなにワクワクしたのはいつ以来だったろうと思うくらい、ドハマりしてしまった。なので、日本で上演すると聞いた時はちょっと早いのではないかと思ったほどだ。
多様性への理解とローカル性
その理由はまず何より多様性に対する日本の社会的成熟度。単一民族国家という意識が根深く、伝統と革新の狭間でアイデンティティを見いだせない人たちが、経年劣化でできた錆びのミルフィーユのごとく積み重ねてしまった日本的価値観に、息苦しさを感じて来た人はたくさんいるはずだ。そしてこの錆びはかなりしつこく、狡猾なのである。自分らしさと自由を希求するマイノリティーの前に立ちはだかる、この錆びた大きな壁の崩壊なしに、受け入れてもらうのは難しいだろうと思ったのだ。
もっと正直に言えば、日本で日本人が観て面白いのだろうか、とさえ思った。それは、風土に根差したシンパシーに起因する。
シェフィールドは起伏の多い地形だ。アップダウンの激しい道でバスに揺られていると、対向車線の車がフロントガラスの上部から降ってくるような感覚に見舞われることがある。ペナイン山脈の南端、ロンドンよりずっと北だから日没も早く寒々としている。風も強い。鉄鋼産業で栄え研究者も多い堅実な土地柄である
そんな背景を思うと、教師のミス・ヘッジもまたたまらなく愛おしくなってくる。この丘陵地で彼女も十代の頃はそれなりに夢を抱き、そして現実と向き合いってきたのだろう。どこかで定型に収まりたくないという思いが、ジミー・チュウの靴で教壇に立つという、〝普通〟から見ればちぐはぐな現象に見て取れて痛ましい。親と子の中間世代の心のあり様もまた気になるところなのだ。
ロビーやトイレまで遊び心がいっぱい(撮影:清水まり)
天井に描かれた風景(撮影:清水まり)
上演時のアポロシアターの天井にはシェフィールドを感じさせる趣向がほどこされていた。目にした瞬間、わずかな滞在の間にあの街で感じた風と空気、そこで抱いたさまざまな思いが甦り、スイッチ・オンの観劇態勢がお膳立てされてしまったのである。地図や鉄道路線図が容易に目に入り、シェフィールドまでの距離をリアルに感じられるロンドンにいるからこその臨場感である。
だから、日本で観るってどうなの?と思わざるを得なかったのだ。それがオリジナル・キャストであったとしても、である。そして自分と同じような思いを抱いて観劇を迷っている人も少なからずいるのではないかと、推測している。
ドキュメンタリーからエンターテインメントへ
ところが、である。
日本版『ジェイミー』は、差別や格差などのテーマに踏み込んだ『メンフィス』日本版を演出したジェフリー・ペイジさん手がけるという。懸念された理由はどこかに吹き飛んだ。正直な話、『メンフィス』を拝見していないので(すみません!!本当に申し訳ないです)偉そうなことは言えないのだけれども。
この作品の基となっているのは、BBCのドキュメンタリーだ。シェフィールドよりさらに北部、スコットランドに近い位置にあるビショップオークランドで暮らす〝Jamie〟という名の実在の人物を描いた番組『Jamie : Drag Queen At 16』である。
放送されると、さまざまな理由で日常の生き苦しさを感じていた多くの人が共感した。それはエンターテインメント作品における汎用性のあるテーマとして成立しうることの証明ともいえる。
かくしてミュージカル作品『Everybody’ s Talking About Jamie』は生まれ、2017年にシェフィールドのクルーシブルシアターで初演。すぐさま同年にウエストエンドへ進出してまたたくまにヒット。ひとりの〝Jamie〟の勇気は、ゲイをカミングアウトして自分らしさを貫くことだけにとどまらない、さまざまな立場の、一人ひとりの、みんなの勇気となった。
『Everybody’s Talking About Jamie』2018年観劇当時のフライヤー(撮影:清水まり)

『Everybody’s Talking About Jamie』2018年観劇当時のフライヤー(撮影:清水まり)

Over the wall より大きな世界へ
大きく膨らんだ共感のうねりは、国や人種、さまざまな違いをどんどん越えていく。まさに「Over the wall」だ。こうなったらもう誰にも止められない。日本人キャストによる日本版をジェフリーさんが演出するということは、日本には日本の、だけど日本だけにはとどまらない、いろいろな〝ジェイミー〟が存在し得る、ということだ。
その日本においても、LGBTへの理解やSDG’ sへの関心がにわかに高まっているというのも追い風になるだろう。さらに!組織の中枢に蔓延る古い価値観がそれこそ芋蔓式に露呈したり、平成バブルのイケイケムードの中でエッジを効かせることに翻弄され、見失っていたものの大切さをつきつけられたりしている今日この頃。
長いこと地中にくすぶっていた膿を、パンデミック渦中で迎えた東京オリンピックがあぶり出してくれたのだ。そういえばドキュメンタリーが放送されたのは、ロンドンオリンピック前年の2011年のことだった。
その少し前からロンドンを形容する表現としてダイバーシティという単語をたびたび耳にするようになったと記憶している。今、ダイバーシティ東京に向かおうとしている風を感じながら、『ジェイミー』日本版を観る。まさに旬!
2021年の今を生きるそれぞれが、さまざまに抱え込んでいる問題から逃げずに自分を信じて、信じるところを、勇気をもってつき進めば、未来はきっと変わる。
この作品にはそう思わせてくれる力がある。たとえ現実の日常がたいして代わり映えのないことの連続であったとしても、見える景色はもっともっと素敵になるだろう。
新たなキャストも次々と生まれ、ロングランを続けているこの作品を、コロナ禍の日本で、アメリカ人のジェフリーさんはどう見せてくれるのだろうか。この後に予定されているインタビューが楽しみでならない。
文=清水まり

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