L→R 藤田 勉(Dr)、本田 毅(Gu)、JILL(Vo)、渡邉 貢(Ba)

L→R 藤田 勉(Dr)、本田 毅(Gu)、JILL(Vo)、渡邉 貢(Ba)

明日のことが分からなくて
絶望的になるのは嫌

2011年のライヴでJILLさんが“目標を持つことが今後生きていくための大きな指針になる”と、結成30周年のタイミングで武道館ライヴをやると宣言したことは、PERSONZのことをおうかがいする上で外せない出来事だと思ったのですが。

JILL
その宣言をした時は今のコロナ禍にちょっと似ていて、2011年は思ってもみなかったことが起きて、“音楽でできることは何なのか?”と悩んでいたんです。いろんな情報が押し寄せてきて、1カ月先や2カ月先のことが分からず、バンドも暗いムードになっていたので、だったら長い時間をかけた目標があれば怖くないんじゃないかと。それがその状況から脱出できる方法だと思ったんです。今もその気持ちは大事にしていて、コロナ禍では準備していても実現できなくなることが山ほどあるけど、そのぶん自分にかけられる時間はたくさんあるから、今は自分自身を立て直して、その先でまた違ったライヴができるんじゃないかってことを意識してます。明日のことが分からなくて絶望的になるのは嫌なんですよ。

もともとは突拍子もない宣言だったのが、コロナ禍での教訓になっているんですね。

JILL
私が声をかけてバンドメンバーが集まってくれたように、ポン!と言ったことがきっかけでメンバーがだんだん同じ方向を見るようになって、“もしかしたらやっていけるかもしれない”って思えた瞬間が今までにもあったんですよね。きっかけは私だけど、ちゃんと4人の力がまとまってできたことが過去にもあったんです。

そして宣言どおり、2015年に武道館公演を実現したと。

藤田
今、JILLが言ったことと同じだと思うんだけど、武道館公演に至るまでのバンドの空気や意識の高まりは、ツアーをやっていくたびに手応えとしてありましたね。武道館はひとつの目標だったけど、そこに向かっていくバンドとスタッフとファンのみなさんの一体感は、とてつもなく強いものだったと思います。

PERSONZにとってすごく大事な期間だったんですね。

藤田
最初はすごいサプライズをぶち込んでくれたと思いましたけどね(笑)。

その武道館公演を経て、気持ちの面で変わったことはありますか?

渡邉
あの武道館公演は、今思えばバンドにとって必然だったんじゃないかと思います。武道館公演に至る前は、何を考えてPERSONZをやっているのか自分の中で曖昧だったけど、あのライヴでもう一度背筋を伸ばすことができたし、バンドにとっても必要なチャレンジでした。気持ちをひとつにできたというか。それがあって今も活動できているので、振り返ると誇らしいですね。とはいえ、大変なこともたくさんあったから、まだ自分の中で総括できていないところもあります。
本田
特に変わったことはないけど、僕も武道館公演をやれて誇らしかった気持ちはずっと残っていて。お客さんも誇らしく思える ことがひとつできたのが良かったし、これからもそんなライヴができればと思っています。

武道館公演をはじめ、他にも目標に向かって活動してきたことがあると思いますが、目標を成し遂げたあとに燃え尽きてしまうことはなかったのでしょうか?

JILL
武道館の時はありましたね。次に何をしたらいいのかが分からなくなったけど、そのあとに『RELOAD PROJECT』を始めたので、“あっ、また違う道を行くんだな”と思えました。コロナ禍においては目的とか具体的なものより、なるべくこの4人が健康でいて、いつかツアーができるようになるまで万全な体制でいるっていうのを念頭に置いてます。

ちなみに、PERSONZは活動を止めるような壁に当たったことってあるのですか?

JILL
私たちは1999年にARBオフィスから独立して、渡邉さんが社長になってからは、全部自分たちの判断だから、やめるも続けるも自分たちの責任になっていて。だから、それぞれにはあったんじゃないかな? 私も何回かあったけど、結局そこに至らないのは、渡邉さんが言うように奇跡が起きることで留まっていたんだと思う。

そういう危機を切り抜けられた理由は何だと思いますか?

渡邉
僕はロックがやりたくて上京した時から“音楽をやりたい!”という気持ちがベースにあるので、それがぶれなかったからですかね。その気持ちをなくすことのほうがつまらないと思っていたから、それ以外は些細なことのように思ってやってきました。メンバーもそれぞれにそういう譲れない気持ちがあったからだと思います。

PERSONZはライヴハウスでの活動も長く、『RELOAD PROJECT』をやりながら当時のことを思い出すこともあると思いますが、バンドの支えになった存在はいますか?

本田
誰ってことではないけど、ライヴハウスでやっている時に出会えたミュージシャンの存在は大きいですね。先輩のミュージシャンやライバルのミュージシャンと一緒に飲んだりしゃべったり、ライヴを観ることで、“自分のスタイルはこれでいいんだ!”って確認できたし、自信にもなったと思います。

それでは、みなさんそれぞれにとってのキーパーソンを挙げるとしたらどなたでしょうか?

渡邉
このバンドに僕を紹介してくれたAUTO-MODのGENETです。僕がPERSONZをやれているのも、いろんな人に出会えたのも、GENETがJILLさんに“こいつを使ってやってください!”って言ってくれたおかげなので。
本田
そういった意味では、もちろん僕はJILLさんです。僕を拾ってくれたので(笑)。
藤田
僕にとっては渡邉 貢ですね。この話をもっと掘り下げちゃうと、結局GENETに行き着いちゃいますが(笑)。でも、僕の人生にターニングポイントを作ってくれたのは、紛れもなく渡邉です。
JILL
私は本田さんかな?(笑) バンドを一回諦めて、何もやっていない時に彼に出会って可能性を感じたんです。それまではバンドメンバーを物色しても全然見つからなかったんですよ。本田さんは上手だったし、華もあったし、紹介してくれた人たちもすごくオススメしてくれたけど、当時はツルツルの大学生だったから“引き込んでいいのかしら?”とも思ったけど。でも、あの時に有無を言わさず“一緒にバンドをやりましょう!”と言えたのがきっかけだもんね。私は当時から人見知りが激しいし、口下手だったけど、あの時だけはうまく言いくるめられたというか(笑)。本田さん、渡邉さんを誘って、勉ちゃん(藤田の愛称)は渡邉さんの紹介だったとはいえ、私も気に入ってたから、この流れも最初に出会った本田さんのおかげなので。きれいにみんな回ったね、GENETもいるけど(笑)。

取材:千々和香苗

PERSONZ プロフィール

パーソンズ:1984年結成。87年にリリースしたミニアルバム『POWER-PASSION』がインディーズチャート1位を獲得し、同年9月にアルバム『PERSONZ』でメジャーデビューを果たす。TBSドラマ『ママハハ・ブギ』に「DEAR FRIENDS」が起用されると大ヒットを記録。その後もエッヂの効いたメロディアスでポップなサウンド、そして存在感あふれるヴォーカルで多くの人々を魅了し続け、15年6月には24年振り3度目となる日本武道館公演を開催した。PERSONZ オフィシャルHP

OKMusic編集部

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