『ピーターパン』を彩る珠玉の名曲と
、初演のクリエイターたち~「ザ・ブ
ロードウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

☆番外編 『ピーターパン』を彩る珠玉の名曲と、初演のクリエイターたち
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 今年、日本初演40周年を迎える『ピーターパン』。英国の劇作家・小説家ジェイムズ・M・バリーが創造した、永遠に大人にならない少年の夢と希望に満ちた冒険物語は、あらゆる世代の観客を魅了してきた。このミュージカルが、ブロードウェイで初演されたのは1954年。ここでは、存命のキャストへのインタビューを軸に、楽曲の魅力や知られざるメイキングに迫りたい。
初演のオリジナル・キャストCD(輸入盤)
■タイガー・リリーは語る
 翻訳上演のチラシにも英語で小さく表記されているが、初演の演出・振付・改作を担当したのが、『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)のジェローム・ロビンス(1918~98年)だった。本連載VOL.13で紹介した『オン・ザ・タウン』(1944年)や、『ハイ・ボタン・シューズ』(1947年)、『王様と私』(1951年)などの振付で、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼にとって、振付のみならず演出も手掛けた最初の作品が本作だったのだ。この初演で、ピーターを慕うインディアンの少女タイガー・リリーを演じたのがソンドラ・リー。ロビンスに踊りの才能を認められ、『ハイ・ボタン~』に抜擢された逸材だ。彼女が、ロビンスとの仕事を振り返る。
「ジェリー(ジェロームの愛称)は、一切の妥協を許さない完璧主義者でした。彼のダンスの基本は『真実』。つまり、人間の本能や感情に忠実な踊りで、このステップなら、観客からはこう見えるというような計算が一切ない。とても正直な振付師だったわね。私が演じるタイガー・リリーが仲間たちと踊る〈インディアン・ダンス〉は、子供たちが公園などで無心に遊び回る動きが振付のベースでした。そして、ジェリーのダンスに対する姿勢が演技にも反映されて、ピーター役のメリー・マーティンや私は、役柄に成り切り真摯な気持ちで演じる事が出来たのよ」
ジェローム・ロビンス(右)とリー(1950年代) Photo Courtesy of Sondra Lee

 マーティン(1913~90年)は、『南太平洋』(1949年)や『サウンド・オブ・ミュージック』(1959年)、『I DO! I DO!』(1966年)などの名作に主演した、ブロードウェイ黄金期の大スター。タイトル・ロールを溌剌と演じた本作も、彼女の代表作となった(トニー賞主演女優賞受賞)。リーは、「頭の中は演じる事だけ。全人生を舞台に捧げた人だった。おそらく、お湯も沸かせなかったんじゃないかしら(笑)」と回想する。
メリー・マーティンは、1965年に『ハロー・ドーリー!』のツアー公演で来日を果たした。
■2組のソングライター・チーム
 本作の大きな魅力が、聴くたびに童心に戻る事の出来る、シンプルで耳に馴染み易いミュージカル・ナンバーだ。奔放で自惚れ屋のピーターが歌う〈えばってやるぞ〉を始め、作品のハイライトとなる、心弾むフライング場面を盛り上げる〈飛んでる〉、ピーターと少年たちの〈大人にならない〉など、登場人物のキャラクターを活写した楽曲が揃っている。作詞作曲を手掛けたのは、新人のキャロリン・リー(作詞)とムース・シャーラップ(作曲)。特にシャーラップと仲が良かったリーは、彼の想い出をこう語る。
「1974年に、45歳の若さで亡くなってしまった。『ピーターパン』以外はヒット作に恵まれなかったので、過小評価されているのは残念だけれど、頭脳明晰な上にユーモア溢れる愛すべき人柄でね。その好もしいパーソナリティーが、曲にも表れていました」

フライング・シーン〈飛んでる〉のマーティンと子供たち。

 そして本作、もう一チームのソングライター・チームが参加している。それが、前述『オン・ザ・タウン』のベティ・カムデン&アドルフ・グリーン(作詞)と、『紳士は金髪がお好き』(1949年)のジューリィ・スタイン(作曲)。作品のテーマ曲となった、美しいバラード〈ネバーランド〉などを提供した。リーは続ける。
「実は『ピーターパン』は、ブロードウェイ入りする前の、サンフランシスコでのトライアウト(試演)の批評が芳しくなかったの。楽曲もテコ入れする事となって、ジューリィらベテランが急遽起用され、新曲を書き下ろした。作品を宣伝するためにも、既にヒット作に関わっていた彼らの名前が必要だったのでしょう。でも私は、バリーによる原作のピュアなエッセンスを的確に捉えていたのは、ムースとキャロリンの曲だったと思うわ」
リーは、スティーヴン・ソンドハイムの楽曲で綴るレヴュー『アワ・タイム』(2014年)などで、演出家としても高い評価を得ている。

■ピーターの寂寥感を歌に
 リーは、トライアウト時にカットされてしまった2人の楽曲を、「とても大切な曲だったので、未だに惜しんでいる」と語る。ピーターが歌う、〈僕が家に帰ったら(When I Went Home)〉というナンバーだ。
「生まれた日に両親の元を逃げ出し、大人にならないと誓ったピーターが、『久々に家に帰ったら、ドアには鍵がかかり窓が閉ざされていた。そして恐ろしい事に、僕のベッドには、他の男の子が眠っていた』と、彼の心に潜む孤独を歌うバラードでした。歌詞はバリーの原作から忠実に要約され、ムースの曲も美しかった。でもメリー・マーティンが、拍手が来なかったという理由でカットを決めてしまったの。観客は、心打たれて静まり返っていただけなのに」
〈僕が家に帰ったら〉を収録した「ロスト・イン・ボストン」(輸入盤)

 だがこのナンバー、それから40年後に初めて陽の目を見た。ブロードウェイ・ミュージカルのトライアウトの際に、割愛された楽曲で構成したCD「ロスト・イン・ボストン」(1994年)に収録されたのだ(NYに近いボストンは、トライアウト常用の地だった)。アルバムでは、女性歌手ミシェル・ニカストロが可憐な声を聴かせている。さらに、後述するTV版のニュー・バージョンで、2014年に放映された『ピーター・パン ライブ』でも歌われた。ただ製作陣が、この曲の重要性を理解したのはあっぱれだが、肝心の作品の仕上がりが騒々しくチープ。楽曲のメッセージが、視聴者に届かなかったのは惜しかった(2021年7月21日にWOWOWで放映予定)。

■発見された幻のTVバージョン
 ブロードウェイ初演は、ウィンター・ガーデン劇場で152回の限定公演。その後、本作の知名度を後々までキープしたのがTV版だった。これは舞台中継ではなく、複数のスタジオにセットを組み、マーティンら舞台のキャストが出演。まず、初演がクローズした直後の1955年に生放送でオンエアされ、その好評を受け翌56年に再度放映(これも生放送)、60年にはカラーでビデオ録画されたバージョンが放送された。60年版は以降も再放映を繰り返したが、リーによると「短時間で収録したため粗が多い。1956年版がベスト」との事。

TV版収録のブルーレイ(輸入盤/国内のブルーレイ・プレイヤーでも再生可)
 その1956年版は、キネスコープ(TV受像機を白黒フィルムで撮影したもの)が発見され、2015年にブルーレイでリリースされた。今観るとフライング技術などは未熟だが、マーティンのパフォーマンスは圧巻。ピーク時のブロードウェイのトップ・スターが、生涯の当たり役を演じる喜びが伝わって来る。特に〈えばってやるぞ〉や〈ネバーランド〉など、豊かな声量で歌い上げるナンバーが素晴らしい。加えてリーの〈インディアン・ダンス〉も、小柄な身体を駆使したパワフルかつ闊達な踊りが見事。一見の価値ありだ(特典映像で、1955年版も全編収録)。

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