「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」
VOL.14 伝説の大女優ガートルード・
ローレンスについて

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

VOL.14 伝説の大女優ガートルード・ローレンスについて
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima

 渡辺謙のブロードウェイ&ウエストエンド・デビューで脚光を浴びた、リバイバル版『王様と私』。この公演で、相手役の家庭教師アンナに扮し、トニー賞に輝いたのがケリー・オハラだった(2019年の来日公演でも渡辺と共演)。この役を1951年のブロードウェイ初演で演じ、同様にトニー賞を受賞したのが、英国出身の女優ガートルード・ローレンス(1898~1952年)。ウエストエンドの舞台で一世を風靡し、その後ブロードウェイでも成功を収めた最初のスターだった。今回は、今や伝説と化した彼女の特集だ。
1968年に出版されたローレンスの伝記
■洗練された艶やかな個性でスターの座に

 まずは簡単に、『王様』に至るまでのローレンスのキャリアを記しておこう。生まれはロンドン。演芸場の歌手兼役者だった父親の関係で、幼い頃から舞台に親しみ、子役として10歳でプロ・デビュー。その後、レヴューでソング&ダンスの修行を積む。やがて大物興行主アンドレ・シャルロに見出され、『A・トゥ・Z』(1921年)で脚光を浴びた。1924年には、シャルロ製作のレヴューでブロードウェイにデビュー。彼女が歌った〈ライムハウス・ブルース〉は、生来の粋で艶やかな持ち味も手伝って賞賛される。以降、『オー・ケイ!』(1926年/ガーシュウィン兄弟作詞作曲)や、『レイディ・イン・ザ・ダーク』(1941年/クルト・ヴァイル作曲)など、優れたソングライターと組んだ作品で、ブロードウェイでも確固たる地位を築いた。

 そして彼女が14歳の時に出会い、終生の友情を貫いたのがノエル・カワード(1899~1973年)だった。劇作家、演出家、作詞作曲家、エンタテイナーなど多彩な活躍で鳴らした才人で、ローレンスのために書き下ろした戯曲『私生活』(1930年ロンドン初演)は大ヒット。お得意の軽妙洒脱なコメディーで、彼女の享楽的で奔放な魅力を一層引き出すのに貢献した。
『私生活』ブロードウェイ初演(1931年)のノエル・カワード(左)とローレンス

 またローレンスが劇中で創唱し、後にスタンダードとなった名曲も多い。前述の〈ライムハウス・ブルース〉を始め、『オー・ケイ!』の〈サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー〉と〈ドゥー・ドゥー・ドゥー〉、『私生活』の〈いつの日かあなたに〉、そして『レイディ~』の〈マイ・シップ〉などは、今なおジャズ・シンガーやミュージシャンに親しまれている。
ローレンスの十八番曲で構成されたLP

■ジュリー・アンドリュース主演の伝記映画
「スター!」(1968年)DVDは、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンよりリリース
 だが残された映像や録音が少ない事情も手伝って、ほどなく忘れ去られたローレンス。ところが没後16年の1968年に、その名は再びクローズアップされた。ジュリー・アンドリュースが、彼女に扮した伝記映画「スター!」が公開されたのだ。幼い頃から英国の舞台で活躍。ウエストエンドとブロードウェイを制覇したアンドリュースは、ローレンスの経歴と類似点が多く適役と思われた。しかし残念だったのは、ローレンスの夫たちや、疎遠だった娘との関係を描くドラマ部分が冗長。加えて、実生活では気性が激しく、他人に対して辛辣だったローレンスの人柄が魅力的には映らず、アンドリュースの熱演も空回りに終わったのは惜しい。
映画の日本公開時に発売された、サントラLPジャケット
 ただ、さすがにミュージカル・ナンバーは素晴らしい。前述の名曲陣を、アンドリュースがたっぷり歌いまくるのだ。豪華なセットと衣装も美しく、振付師マイケル・キッド(『ガイズ&ドールズ』初演)のステージングも見事。ところが当時既に、巨費を投じた大作ミュージカル映画が観客に飽きられ、次々とコケ始めていた。アンドリュースにとっては、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)以来、再び名匠ロバート・ワイズ監督とタッグを組んだミュージカル映画となったが、興行的には惨敗してしまった。
■これが伝説のミュージカル・スターの歌声なのか?
 実は私が、初めてローレンスの歌声を聴いたのは「スター!」を観た後。『王様』のオリジナル・キャスト盤を購入した時だ。正直、彼女にアンドリュース並みの歌唱力を期待していた私は、完全に肩透かしを食らった。か細いソプラノのボーカルは極めて不安定。長年舞台で培ったはずの実力は、殆ど感じられなかったのだ。また、『王様』の作曲家リチャード・ロジャーズが自伝で、「ローレンスの乏しい声量と、狭い声域に合わせて曲を書かざるを得なかった」と記していたのにも納得。彼は後々まで、ローレンスの歌唱に不満を示していたという。

 『王様』の原作は、シャム(現タイ)に渡り教鞭を取った、英国人家庭教師アンナ・レオノーウェンズの手記を基にした小説「アンナとシャム王」。その映画版(1946年)に感銘を受け、ミュージカル化を企画したのがローレンス自身だった。作詞作曲はロジャーズ&ハマースタイン、アンナと対立する王様を快演したユル・ブリナーは、本作で一躍注目された。
『王様と私』初演(1951年)のオリジナル・キャストLP
■観客を我が物にしたローレンスの名演
 もちろんローレンスの演技は各紙絶賛だったのだが、上記のように今一つ納得が行かない。そこで「生ローレンス」に遭遇した人を探すと、一人いました。元女優の写真家マージェリー・グレイ・ハーニック。『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1964年)の作詞家シェルダン・ハーニック夫人だ。彼女は、舞台上のローレンスをこう振り返る。
「とにかく演技がリアルだった。美しく威厳に満ち、正にアンナ先生そのもの。圧倒的な存在感でした。歌に関しても、キャラクターのまま素直に歌っているので、多少の粗は全く気にならなかった。コメディエンヌの評価も高かった彼女だけれど、無理して笑いを取る事もなく、実にナチュラルな芝居で私たちを楽しませてくれました。驚いたのは観客の反応です。ミス・ローレンスの一挙手一投足に、拍手を惜しまず歓声を上げ、カーテンコールでは、それまでに観た事のないほどの凄まじい喝采だった。未だに忘れられないわ」
〈シャル・ウィ・ダンス〉を歌い踊るローレンスとユル・ブリナー

 1951年3月29日の初日以来、毎晩熱狂的なスタンディング・オベーションに応えたローレンス。しかし、1年の続演を経た頃から体調を崩し、代役を立てる日が増える。翌52年の7月に休暇を取り、復帰するも再び悪化。当初は肝炎と診断された本当の病名は、末期の肝臓ガンだったのだ。彼女は、8月16日の舞台を最後に降板し、その3週間後の9月6日に逝去した。享年54。
ローレンスの映画初主演作「春宵巴里合戦」(1929年)の一場面
 ローレンスは舞台以外に、短編を除く9本の映画に出演している。母親アマンダを演じた、映画版の『ガラスの動物園』(1950年)が好評を博したが未DVD化。現在日本で入手出来るのは、画家レンブラントの伝記映画「レンブラント 描かれた人生」(1936年)のみ。レンブラントに仕える口うるさい家政婦役で、達者な演技を披露している(IVCよりリリース)。VOL.15は、〈虹の彼方に〉でおなじみの作曲家ハロルド・アーレンの特集だ。

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