平尾隆之と今井剛が語る「映画大好き
ポンポさん」映像編集の世界(後編)

(c) 2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/映画大好きポンポさん製作委員会 「映画大好きポンポさん」は、今井氏が編集の立場で絵コンテ段階から作品づくりに参加し、平尾監督と試行錯誤を繰り返してストーリーや映像表現を練りあげていったことがインタビュー前編で分かった。後編では作品を鑑賞したことを前提に、具体的なシーンのメイキングや原作にないオリジナル要素にこめた思い、「90分」のために今井氏が悪戦苦闘したエピソードなどをうかがった。(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部)
■アニメの呼吸でつくったA、Bパートのテンポのよさ
――「ポンポさん」の前半はものすごくテンポがよくて、お話がスイスイ進んでいった印象です。(インタビュー前編で)平尾監督は「ワイプ」が新しい挑戦のひとつだったと話していましたが、車のワイパーでカットをつなげたり、飛行機のアイコンで画面を切りさいて次のカットにつなげたり、カットとカットのつながりに入るワイプにいろいろと面白い工夫がありましたよね。
今井:今言っていただいたようなワイプやエフェクトまわりの編集にかかわる技術的な手法は、それこそ編集マンが提示しそうなことじゃないですか。なのに、それらのほとんどは平尾監督発のアイデアなんですよね。そこが逆で面白いっていう(笑)。
平尾:(笑)
今井:編集の仕事をしていると「編集が面白い作品はどれですか」「どんな作品の編集が上手に見えますか」という質問をうけることがあって、分かりやすい技法などがあると目立つからそうした作品をあげたくなるのですが、僕から見て本当に編集がいい作品って、実はそういう技法が目立たず、どこがいいのか言葉にしづらいもののほうが多いんですよね。
 「ポンポさん」では、カットつなぎのギミックや時間伸縮など編集マンがやっていそうなことを平尾監督発でやっているのが面白いところです。そして、それが面白く見えるってことは演出として成立しているということなんですよね。過去の平尾監督作品にあった技法をふくめ、いろいろなギミックが盛りこまれていたので、「あ、これはあのときのやつだな」と思いながら楽しく見ていました。
平尾:カットのつなぎにワイプやエフェクトを取り入れて見せていくことは、絵コンテ段階から描いていました。ただ、そこからコンテを精査してくなかで、特にCパートなどでは、今井さんのほうから「ここはちょっと急だから、今回やっているワイプでつなぎましょうか」というふうに追加でいれていただいたところもあります。
 テンポがいいと言っていただいた前半のA、Bパートは、けっこう苦労したところなんですよ。全体の尺を90分におさめるためにはA、Bパートはできるだけテンポよくいかないと、悩むシーンが多いC、Dパートで尺をとることが分かっていましたから。だからといって、お話が急すぎていたり、見ている人に分かりづらいものになっていたりしてもいけない。
 今井さんは、今お話したような僕の意見を聞いてから編集に入っていったんですけど、A、Bパートのテンポのよさは、きっと僕にも分からないような編集の技を使っているんだろうなと思っています。今日の試写を見ても(編注:取材はスタッフ向けの初号試写後に行った)、やっぱりテンポが最後のカッティングのときよりもあがっているように感じたんですよね。ほんのちょっと音や前のカットを食わせるとか、そういうことを少しずつやっているんだろうなって……そうそう、A、Bパートのテンポのときに、今井さんに「この世界の片隅に」のことを話したんですよ。あの映画の序盤ってすずのモノローグを入れながら進んでいって、すごくテンポがいいじゃないですか。
――なるほど。「この世界の片隅に」は作品自体はゆったりしていますけど、たしかに序盤は話がサクサク進んでいる印象ですものね。
平尾:そうなんです。あんな感じでストーリーをしっかり分かってもらいながら、でもテンポよく進んでいける方法はないだろうかみたいなことを、今井さんに最初に話させてもらったと思います。それはもうワイプでつなぐとかではなく、カットのテンポやつなぎ方を、1コマ2コマ単位で考えていくという、針の穴に糸を通すような相談で、そこから今井さんのほうで捉え直してもらうっていう感じで進めていきました。
――A、Bパートには、きっとお話を聞いても理解できないぐらい専門的な今井さんの編集の技が駆使されているのですね。
今井:どうなんですかねえ(笑)。
平尾:だと思いますよ。
今井:ただまあA、Bパートはたしかに、僕がこれまでアニメーションの編集をやってきて身につけたアニメ独自の呼吸というか、何コマ増やす減らすみたいなことをやっていたところが多かったと思います。C、Dパートになるとドラマ性がでてくることもあって、ここは構成上入れ替えたほうがいいんじゃないかという意見やアイデアふくめ、実写的な目線で見ていたところはありました。
■映像の切れ味をよくする「中抜き」
――おっしゃるように前半と後半では印象がだいぶ違っていて、ひとつの映画で2つの味が楽しめる感じがありました。作中の時間の流れも編集でそのようにコントロールされていたのですね。
平尾:たしかに編集の仕方もちょっと違うというか、A、Bパートは今井さんの言うようにアニメの呼吸なんですけど、C、Dパートになってくるとちょっと重めの印象になるんですよね。構成、表現の仕方、カットの切り返し方やタイミングふくめて若干重厚感のようなものが少しずつでてくる感じになっていて、そのへんに何か編集のマジックがあるのかなあと。
 編集のマジックといえば、僕は今井さんとずっとやりとりしていて慣れていたんですけど、演出の居村(健治)さんから「今井さんって、けっこう中抜きするんですね」と言われて、それってちょっと特殊なことなんだと思ったことがありました。中抜きって、あんまりアニメではやらないっぽいんですよ。
今井:えっ、ほんとですか。
平尾:僕もよく分からなくて、そうだったっけと思って。
――「中抜き」というのは、ひとつのカットで中の動きを抜くということですか。
平尾:そうです。例えば6秒あるカットのシート(※タイムシート)があるとしたら、「3秒4コマ目から3秒12コマ目まで中抜きします」っていうことが、たまにあるんですよ。
――それは例えば、会話のシーンなどでやるのでしょうか。
今井:会話のシーンでもやりますね。でもまあ、そうなのか……。僕はフィルムを知っていた世代なので、助手としてついていた頃、例えば撮影さんが撮影時にミスをしていたら「3コマNG」とボードに書かれているから、その3コマ分のフィルムをチョキンと切ってつなげたりよくしてたんですよね。フィルムの時代に僕が教わったエディターさんは、みんな文字通りフィルムを切ることでちょっとした呼吸をつくっていたんですよ。
 例えば女の子のキャラクターがいて、恥じらいをもってセリフを言うとき、そこになんの間(ま)もブレスもなくパッと言っちゃったら、なんの感情もおきないですけど、そこに1秒間「あの……」っていう言いよどみがあってから「好きです」と言ったら、その子のキャラクターがぜんぜん違って見えてきますよね。そんなふうに、「ここは伸ばそう」「この間はいらないから詰めよう」とフィルムを切ったりつなげたりすることは四六時中やっていたことなんです。今回も同じような感覚でやってたんですけど、最近はそんなことないんですかね。
平尾:たぶん、複雑になるからあまりやらないのかもしれないです。
今井:まあ、予定していた動きからずれちゃいますからね。
平尾:アニメはシートで動きを管理しているじゃないですか。中抜きをするとシートの書き直しが発生するので、あまりやらないのかもしれないです。仮にやるとしても大きくやるか、分かりやすいかたちで、例えばコンテ撮でシートしかない状態のときにカッティングで「何秒何コマまでは中抜きで切っちゃってください。で、こことここはつなげましょう」みたいなことはありますが、ある程度作業が進んでレイアウトやラフ原がある段階で、同じことをやろうとすると「もともと6枚あった中割が3枚になっちゃうから計算し直そう」とか、「ここを抜くと動き的につながりづらく見えてしまう」みたいなことがアニメーションの場合は発生してしまうんですよね。しかも今回はカットつなぎがワイプになっていることが多いからより複雑になっていて、「キャラクターがいて、そこからBG(背景)がOL(オーバーラップ)してきて……ここ2コマだけ編集で抜いてます」っていう(笑)。ほんとに居村さんにはご苦労おかけしました。
今井:相当大変だったと思います。
――なるほど。中抜きにともなうテクニカルな調整も演出の居村さんがされていたのですね。
平尾:そうですね。タイムシートの管理は居村さんにお任せさせていただきました。中抜きすることで、カット自体は一緒だけれどほんの少しつまっていく部分の積み重ねみたいなものが、A、Bパートのテンポのよさや独特のリズム感につながっているんじゃないか……と思っているんですけれど。
今井:例えば、ジーン君が編集をするときのイメージ世界でブレードをビュンって振るとき、その振り上げや振り下ろしの動きを1コマ抜くだけで動きがシャープに見えたりするんですよ。同じことは実写でもよくやっていて、アクション映画などで剣がぶつかる瞬間を1コマ切るとすごく切れ味よく見えるんです。「ポンポさん」でもそういうことをけっこうしていて、そこは実写の脳でやっている部分が大きかったのかもしれません。
(c) 2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/映画大好きポンポさん製作委員会■ジーンを映画のなかで成長させたかった
――原作漫画ではジーンとナタリーはオーディションのときに会っていますが、映画では会わせないでキャスト決定のときに会わせていますよね。そこからナタリーの話がはじまる構成になっていて、時間が巻き戻るところが面白かったです。
平尾:あの構成は脚本段階からあって、単純にいうと誰が主人公かを最初のパートで明示しないといけなかったんですよね。原作ではジーンとナタリーのドラマが並行して進んで、流れ的にもちょっとナタリーのほうが先になる。ジーンが監督に任命される前にナタリーのエピソードがあると、お話が行ったり来たりになるし、主人公が誰か、ちょっとぼんやりしてしまうなと思ったんです。ジーンとナタリーを最初に会わせないことで、この映画はジーンの物語であることを観客に分かってもらい、Aパートの最後で初めて2人が出会ったところでナタリーのドラマがはじまるっていう。
 それがまず大きな理由で、そのためにどうすればいいかを考えたときに「空の境界」の「矛盾螺旋」のことを思い出したんです。あのときも途中で話が裏返って時間がもどるので、あの手法は使えるなと。それでBパートはナタリーのパートからはじまる構成にしたんです(編注)。
編注:各パートは以下のとおり。Aパートは冒頭からジーンとナタリーが初めて出会うところまで。Bパートは時間が巻き戻ってナタリーの物語がはじまるところから、ポンポさんが「この映画、間違いなくニャカデミー賞取っちゃうぜ」と言うところまで。Cパートはジュネーブ市街を映すところから、アランが上司の部屋でジーンの名前がある書類を見て「この件、俺にやらせてもらえませんか」と言うところまで。Dパートはジーンがポンポさんに追加脚本を書いてもらった場面からラストまで。
――映画後半では、原作にないオリジナル要素が展開されます。ジーンが映画の追加撮影をしようとするエピソードは、どんなところから生まれたのでしょうか。
平尾:ジーンが「足りないシーンがある」って言うところですよね。ジーンを主人公にするにあたって、なぜ彼がそこまで映画にこだわるのかを描きたかったんです。ジーンは映画が本当に好きで、ただそこだけに向かっている人ですが、映画への思いだけではやっていけないのが実際の映画製作というものなんですよね。そこには作品に関わるいろいろな人の思惑もあるでしょうし、出資者やプロデューサーの言うことを聞いたり話し合ったり、自分が違うと思ったことは戦ったりするわけじゃないですか。ジーンが追加撮影をしたいと言ったとき、当然それがすんなりかなうわけではなく、映画で描かれるようなことで自分自身に返ってくる。そこまでしてもジーンはなぜ映画を撮ろうとするのか。そこを描きたかったんです。
――原作の、ポンポさんが「ニャカデミー賞取っちゃうぜ」と言ってから授賞式にいく流れも漫画のテンポとしていいですし、面白いですよね。
平尾:そうなんですよね。すごくいいんですけど、それを映画の流れのなかで考えたとき、ジーン自体のドラマが映画のテーマにつながって欲しかった。これは決して漫画が悪いということではなくて、あくまで映画ではジーンを軸にしたかったからという僕の思いからでてきたことなんですけれど。追加シーンが必要です、それには追加予算が必要であらためてスタッフを集めるのは大変なことです、それでもお前はやるのかっていう試練を与えることで、ジーン自身の意志や、彼がなぜ映画をつくるのかというところまでフィーチャーする。そうすることで映画とは何か、夢をかなえるということはどういうことか、というテーマにたどりつきたかった。
今井:平尾監督の作品にはいつも「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というキーワードというか隠しテーマのようなものがあるんです(編注)。主人公のジーン君と対照的なかたちで、映画オリジナルのアラン君というキャラクターがいるところに平尾監督のテイストをすごく感じましたね。
編注:「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」については、「アキバ総研」掲載の平尾監督インタビューを参照のこと。「ポンポさん」映画化の経緯についてもくわしく語られている。
https://akiba-souken.com/article/45656/
――学生時代はスクールカースト最下位で、社会的にもマイノリティな存在だったジーンが映画のおかげで自信を取り戻し、学生時代からマジョリティの道を歩んできたアランが自分を見失って、ジーンの映画にコミットすることで自分を取り戻すっていうのが面白いですよね。
平尾:「ポンポさん」の原作が良かったところや、みんなに受け入れられたところはどこなんだろうって考えたとき、「マイノリティはマイノリティのままでいていいんだ」という肯定感にあふれた漫画だったからなんじゃないかと思ったんです。映画製作というあまり一般的ではない職業の世界でジーンという社会不適合者が輝いていくなかで、特別な敵がでてくるわけでも、ものすごいドラマがあるわけでもない。それでも読んでいる人が深く感じ入ったのは、「こんなキャラクターが主人公でいいんだ」という発見と「このままでいいんだ、突き進め」という肯定感があったからなんじゃないかなと。
 で、原作が1巻しかでていなかったときに、この作品の良さをどうすればもっと広くたくさんの人に知ってもらえるかと考えたとき、「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」という自分自身のテーマと符合したというか。そのときにジーンに対するカウンターとして、夢ややりたいことが見つけられないアランというキャラクターをおいて、そんな彼がやりたいことを見つけることでマイノリティ側になっていくドラマも描く。そうすることで一般的な視点を獲得できて、映画製作に興味のない方々にも、夢を追う人への応援歌みたいな映画になるんじゃないかなと考えたんです。
――原作の「映画大好きポンポさん2」は、ちょっと今回の映画のような話になっていますよね。
平尾:そうなんですよ。
――後半のオリジナル要素は、原作の「2」を取り入れた部分があるのかなと思っていました。
平尾:「ポンポさん」の漫画が発表されたのは2017年4月で、僕がアニメ映画のために最初のプロットを書いたのが17年の7月なんですよ。その段階では原作の「2」は存在しなくて、その後脚本の修正をしている途中に「2」のネームを見せていただいたんです。なので、「2」のネームを見て微妙に影響をうけた部分はあると思いますけど、最初のプロットのときには「2」のことはまったく意識していませんでした。
――最初のプロットから、再撮影のエピソードやアランは存在したのですか。
平尾:どちらもありました。あったんですけど、アランが銀行マンという設定は途中までなかったです。最初のプロットだとアランは最後会社を辞めるっていう終わり方だったんですけど、「置かれた場所で咲いたほうがいい」というアドバイスを受けて、じゃあ銀行マンにしようかというふうになっていったと記憶しています。「2」でいちばん影響をうけたのはジーンの土下座だった気がします。
――あ、なるほど。たしかに原作「1」のジーンは土下座をしていませんね。
平尾:アメリカで土下座はあまりないだろうけど、原作で土下座させているんだったらやっていいかなと思いまして(笑)。
――「ポンポさん」の物語やジーンというキャラクターを掘り下げていった結果、映画と原作の「2」にシンクロする部分があったというのは面白いですね。作中にクラウドファンディングの要素を取り入れたのはどうしてだったのでしょうか。
平尾:アランが経営陣に数字をしめさなければいけないっていうとき、映像として何が有効かと考えたときに、クラウドファンディングはいいんじゃないかっていう意見があったんですよね。結果的にそれに決めたのは、数字が見えるのが理由だったと思います。アランは熱意だけでなく、ちゃんと行動して数字もだせる。そのうえでプレゼンをしているっていうときに、いちばん分かりやすい数値の出方はクラウドファンディングだろうと。

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