旅の歴史と、色彩の変遷に触れる ポ
ーラ美術館『フジタ―色彩への旅』レ
ポート

マルク・シャガールやマリー・ローランサンと並んで、エコール・ド・パリの代表的画家として知られるレオナール・フジタ(藤田嗣治)(以下、フジタ)の企画展『フジタ―色彩への旅』がポーラ美術館(神奈川県箱根町)で2021年9月5日(日)まで開催されている。
第1章の入り口 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
1886年に日本で生まれ、1913年に26歳で渡仏したフジタは、81歳で亡くなるまでの生涯をフランスなど異国を中心に生活する。本展では旅先で目にした人や文化などに触発され変化していく色彩などに着目しながら、200点以上(会期中に展示替え有り)の作品を展示。渡仏から1929年の一時帰国、1931年から1933年までの中南米旅行、1930年半ばから1949年の日本脱出まで、1949年の米ニューヨーク滞在を経てパリに戻っての創作活動を、4つの構成で紹介している。
渡仏後に影響を受けたキュビズムから、乳白色の肌の技法にたどり着くまでを追いかける第1章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
見どころは、同館が新たに収蔵した《座る女》(1921年)など「乳白色の肌」の手法による2点の油彩画と、連作《小さな職人たち》の中の1点である《猫のペンション》の計3点が初公開。また、《小さな職人たち》96点を並べたコーナーには、フジタが戦後のパリで暮らしたアパルトマンの壁面も再現されている。
晩年に暮らしたパリのアパルトマンの壁を再現した第4章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
旅の始まり
ブナやヒメシャラが群生する富士箱根伊豆国立公園内に位置するポーラ美術館。豊かな森の中にあるガラス張りの建物には、柔らかい光が降り注いでいる。地下1・2階にある展示室に向かい、エスカレーターで降りていくと、企画展のタイトルが虹色の文字で記されていた。気候や湿度などで変化する光を追いかけた画家に触れる旅が、ここから幕を開ける。
第1章『パリとの出あいー「素晴らしき乳白色」の誕生』に入ると、希望を胸にパリの地を踏んだフジタが愛用した革製のトランク(遺品、目黒区美術館所蔵)が出迎えてくれた。
フジタ展を担当した内呂博之学芸員と、フジタが愛用した遺品のトランク
陸軍軍医総監を務めていた父のもと、4人兄弟の末っ子として、1886年11月27日に東京で生まれたフジタは、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科で画家・黒田清輝に師事。「世界的な画家になりたい」と1913年6月に単身でフランスに渡った。当時の日本の住所が記されたトランクには、乗船した船のステッカーなどが貼られ、長い時間を共にしたことをうかがい知ることができる。
第1章では、城砦都市だったパリ周縁の長閑な日常をとどめた《巴里城門》(1914年、ポーラ美術館所収蔵)など、渡仏後のフジタがパリ郊外の風景に見出した原点のほか、交流があったパブロ・ピカソの影響を受けて制作した《キュビズム風静物》(1914年、ポーラ美術館所収蔵)など、日本を離れ海外の影響を受け生まれた作品を紹介。異国の地で衝撃を受けながらも、唯一無二の表現である「乳白色の肌」の技法を生み出していく軌跡をたどることができる。
乳白色の技法を取り入れた初期の作品《座る女》(左)とフジタの写真(中央) (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
1920年代初頭にパリの女性をモデルに生み出したとされる「乳白色の肌」は、日本画の技法を油彩画に取り入れた独自のもの。展示ではこの技法を用いた初期の作品とされる肖像画《座る女》(1921年、ポーラ美術館所収蔵)とともに、装飾的な布地を背景に手指や足のつま先までを繊細に描いた《タピスリーの裸婦》(1923年、京都国立近代美術館所蔵)などが並び、「乳白色の肌」の表現が深まっていく様子がうかがえる。特別出品された《ベッドの上の裸婦と犬》(1921年、個人蔵)は、乳白色を際立たせる漆黒の美しさに息をのんだ。また、同章には金箔を使い始めた初期の作品《イヴォンヌ・ド・ブレモン・ダルスの肖像》(1927年、ポーラ美術館所収蔵)も並んでいる。
広がる色彩表現
パリから中南米へと広がった旅を追いかけていく第2章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
第2章『中南米への旅ー色彩との邂逅』では、世界恐慌により閉塞感が高まったパリを離れ中南米をめぐったフジタを追いかけていく。「南米の大空を心行く迄吸って晴々」することを目的に、1931年から33年までの間にブラジル、アルゼンチン、ボリビア、メキシコを訪ねたフジタは、自然や鮮やかな民族衣装をまとった人々をキャンバスに描いた。強い陽光の下で感じたエネルギッシュな日々は、画家の表現にも影響を与え、《メキシコに於けるマドレーヌ》(1934年、京都国立近代美術館所蔵)など “赤” を効果的に使った作品に取り組むようになる。色彩の対比と類似、グラデーションによって対象の質感を表現するなど、南米の旅ではこれまでにない色彩感覚をフジタにもたらした。展示室にはフジタが収集した仮面や石器、土偶、玩具なども並べられ、さまざまなものにアンテナを張っていた画家の姿に驚かされる。
大画面の絵画を制作
日本国内やアジアの文化に影響された第3章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
中南米の旅で鮮やかな色に心を奪われたフジタは、1930年半ばからその目をアジアに向けるようになる。第3章『アジア旅行記―色彩による大画面の絵画へ』では、日本各地を訪問した様子を紹介。また1934年11月から約1カ月間に滞在した中国・北京の街で出会った人、風土は画家に大きな作品を描くきっかけになったとされている。同章では高さ180.9センチ、横幅225.4センチの大作《北平の力士》(1935年、公益財団法人平野政吉美術館所蔵)を展示。大作へとつながる素描も並ぶほか、カメラを手に各地を撮影した写真も公開されている。
1938年に従軍画家として日中戦争下の中国に渡ったフジタは、終戦後に戦争記録画を描いた責任を問われることに。1947年にGHQが公表した戦犯リストにより公式に疑いが晴れたが、フジタの心はすでに旅へと向けられていた。「明るい春の絵を描きたい」と神奈川県の丹沢を取材し、ヤマユリやポピーの中を歩く女神を描いた《優美神》(1946‐48年、聖徳大学・聖徳大学短期大学部所蔵)などを制作するが、「どことなく重苦しい雰囲気が伝わってくる」(本展図録より)と払しょくできない思いから逃れるように。同章では戦後、フジタのアメリカ・フランス行きを支援したフランク・シャーマンに宛てた手紙も公開。画家が抱えていた葛藤に触れることができる。
右:シャーマン(右)と談笑するフジタ(左) (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
旅の終わりに
1949年にアメリカ・ニューヨークへと渡ったフジタは、かつての自身のアイデンティティであった「乳白色の肌」を取り戻すべく、創作活動に没頭していく。翌年にフランスに戻ったフジタは、1955年にフランス国籍を取得し、帰化。1959年にはカトリック教徒の洗礼を受けレオナール・フジタと名乗るようになった。
子供やキリスト教をモチーフにした作品が並ぶ第4章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
第4章『心の旅ゆきー色彩からの啓示』では、パリに戻ったフジタが晩年に取り組んだ連作《小さな職人たち》や、クリスチャンとして信仰を誓った十字架など、キリスト教をテーマにした作品がまとめられている。
モンパルナスに構えた住居の壁には、街角で大人たちに紛れて働く子供たちの姿を15センチ四方のパネルに描いた《小さな職人たち》が115点並べられていたといい、本展ではポーラ美術館が所蔵する96作品を一挙に公開。パン屋や庭師など手仕事に打ち込む子供たちの絵には、職人(アルティザン)であり続けようとした自らの思いが重ねられている。会場内に再現された終の棲家の中で見る、職人たちは圧巻の一言だ。
小さな職人たち96作品が並ぶ第4章 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
フジタ展と同時開催中の企画展
同館は開館15年を記念した2017年に現代美術作家の活動を紹介する「アトリウム ギャラリー」を新設。芸術表現と美術館の可能性を開くという趣旨の展示「HIRAKU Project」を行っている。2021年9月5日まで、日本とメキシコを拠点に活動する岡田杏里の企画展『Soñar dentro de la tierre/土の中で夢をみる』が開催中だ。
33枚のカンヴァスを組み合わせた《内なる森》を説明する岡田杏里
75センチ四方のカンヴァス33枚を組み合わせた壁画のインスタレーション《内なる森》(2021年、作家所蔵)は、コロナ禍にメキシコシティのアパートで自粛生活を送っていた岡田が感じた「森」を描いたもの。岡田は「生命の木をモチーフに、命の循環を描きたかった」と話しており、昆虫や植物などが描かれたパネルは1枚1枚が物語になっている。
パネル1枚1枚にストーリーがある
「2021年はへび年なので、へびをモチーフにしました」と、来場者と展示室を繋ぐエスカレーター、さらに柱にも装飾を施した岡田。愛嬌たっぷりのエスカレーターに乗った瞬間から、物語は始まっている。
地上と展示フロアを繋ぐエスカレーターがかわいいエビに変身 (ポーラ美術館提供)(c)Anri Okada photo:(c)Ken KATO
『モネ―光のなかに』の会場構成を手掛けた建築家・中山英之
地下2階では、ポーラ美術館が収蔵するクロード・モネ作品の中から11点を展示する『モネ―光のなかに』が、2022年3月30日まで開催中。建築家・中山英之がデザインした空間では、モネが目にした自然光が再現されている。
モネが見つめた光を再現した展示室 (ポーラ美術館提供)(c)Ken KATO
うぐいす色のカーブしたトタン板で仕切られた壁にかけられているのは《ルーアン大聖堂》(1892年)、《睡蓮の池》(1899年)などの名作。「曇り空の下で、大きな光に包まれるような空間を作りたい」と考えた中山は、天井全体を薄い膜で覆い、その膜に向けて上向きの光を照射するなど各所にこだわりを詰め込んだ。「モネがキャンバスを置いた川辺で、キャンバスの隣に立って絵を見るような感覚を持ってもらえたらうれしい。時空を超えて時間旅行を楽しんで」と中山が紹介した室内は、来場者の足元に影もできない異空間。日没2時間前、または日の出2時間後を想定した白みがかった光の中で見る《ジヴェルニーの積みわら》(1884年)は、光を受けた地面の草がキラキラと輝く様子が感じられるように。「この空の下でしか再現できない風景を体感してほしい」と思いを込めたそうだ。

文・写真=Ayano Nishimura 写真(一部)=ポーラ美術館提供

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