情熱のフラミンゴ『ちょっとまって(
完全版)』座談会 〜飲み会の代わり
に取り入れた試みが飲み会よりも有意
義だった話など

2021年6月18日(金)より東京・プーク人形劇場にて、情熱のフラミンゴ第8回公演『ちょっとまって(完全版)』が開幕する。本作は、昨年12月にワークインプログレスの一環として『ちょっとまって(試作)』を二日間のみ上演。試作にしながら高い完成度が話題を呼び、両日満員御礼となった。
“チリチリバラバラな言葉、見立てられてしまう関係”というキャッチコピーが添えられた本作の登場人物は三人。二人の女と一人の男の幽霊だ。歌い戯ける男にあれよあれよと誘われ入り込んだ部屋にいたのは、二人の女。思わずこちらも「ちょっとまって」と言いたくなるような、どちらも譲らぬ濃密な会話劇が繰り広げられるー。外界から閉じられた部屋、陽気な音楽、そして、“ボードヴィル”という言葉の似合うセリフの応酬。出演の秋場清之(情熱のフラミンゴ)、西田夏奈子、兵藤公美(青年団)と作・演出を手がける島村和秀に話を聞いた。

■試作を経て得た、飲み会では作れないコミュニケーションの在り方

――近年の情熱のフラミンゴは「ワークインプログレス」という試みを取り入れ、創作過程を発表する機会を積極的に作っていますよね。本作も昨年12月に試作が上演されていました。試作を経ての戯曲の変化も気になるところですが、稽古はどんな感じでしょうか?
島村:完全版で新しく描いたシーンももちろんあるのですが、試作を経たことで「精度を上げる」という段階から稽古がスタートできたことは大きいと思いました。とくに、コミュニケーション面。作品への視点や捉え方を共有したり、互いを知るっていう段階がすでに踏まえられているので、そこをブラッシュアップしながら本を読み込むという感じで進めています。
西田:試作の終演後に島村さんがzoomでの振り返り時間を作ってくれたんですよ。完全版の公演に向けてどうやっていこうかっていうのをそこでみんなで話して……。稽古でもそういう時間が設けられているので、本読みの段階でも結構深いところまでディスカッションができている手応えがありますね。私は情熱のフラミンゴへの参加が初めてということもあり、そういったコミュニケーションの場を都度作っていただいたことはとても有難かったです。

島村和秀

島村:コロナ禍での初めてのクリエーションが昨年の試作で、稽古中は「できないこと」の多さを痛感する時間でもあったんです。稽古場での雑談や稽古後の飲み会などの交流もその一つでした。そういった「できないこと」を別の形で代用したり埋めたりすることができないまま終わってしまった感じもあって……。zoomでの振り返りでも言ったんですけど、稽古場きて稽古してさよならーって帰る流れが何だか不自然な感じがしたんですよね。
西田:一見稽古と関係ないことを話しているように見えて、稽古だけだと聞けないようなことがぽろっと聞けたり、新たな発見をすることってありますよね。そういったやりとりが稽古の時間に活きてきたりすることもやっぱりあって……。飲み会でしゃべるようなことを稽古内に全員でやるのは新鮮でとてもよかったです。
西田夏奈子
兵藤:そうそう。飲み会とはまた違う、いい機会でしたよね。飲み会って行った人しかわからないことがあるじゃないですか?(笑)。それはそれで全然いいんですけど、zoomや稽古時間であえてそういった時間を設けることで、コミュニケーションのバランスや関係性が均等になるという発見がありました。 “ここだけの話”みたいなのではなく、みんなの前で話せることを話す場というか……。
西田:たしかに、飲み会は好きな人もいれば苦手な人もいますもんね。発言が満遍なく均等であるっていうのが、飲み会よりもディスカッションがしやすい理由なのかも。
島村:おお、よかった〜! やってみたら、飲み会よりもはるかに有意義だったみたいな……(笑)。そんな経緯もあって、完全版の稽古は徐々に劇をやる身体にしていくイメージで互いにインタビューをしたりしながらコミュニケーションを取りやすくしています。それから稽古をして、終わった後はクールダウンを兼ねてエクササイズして帰る。そういった一連の流れは意識的に導入しましたね。

日々のクリエーション風景をフィルムとデジタルの両面から記録している情熱のフラミンゴ。予告や試作のダイジェスト動画なども続々更新中。
■ちょっとまてなくなってきた世相の中、新たに生まれたシーンたち

『ちょっとまって(試作)』のチラシ イラスト・デザイン/カナイフユキ
――本作は二人の女と一人の男の幽霊の三人芝居であり、女たちの会話シーンでは二人芝居的な見どころもありますね。そういった濃厚で不思議な構造も含めて、稽古で培われたコミュニケーションが活かされてきそうです。目を見張るようなお二人の会話劇も、秋場さん演じる男の鮮烈な登場シーンも印象的でした。

秋場:僕が演じる幽霊はある種の道化であり、モノローグ的な役割も兼ねているんですよね。歌も歌うので、初めての挑戦づくし!と言った感じです。
島村:アキバッチョ(秋場)は、情熱のフラミンゴのメンバーとして過去作品にも出演してくれていますが、今回の役どころは確かに新しいですね。
秋場:決めるところは決めなきゃ!っていうのはありつつ、女二人の会話に沈黙しながら関わっていくという役柄をどう立ち上がらせていくか。試作の台本から時間の流れが若干変わっていたりもするので、そこも踏まえて二人にどう絡んでいくかを日々考えています。
兵藤:私も完全版の台本に呼応してセリフの向き合い方にも変化が生まれました。女二人の関係性ももう少し複雑なんじゃないかな?って思ったり……。あらすじの冒頭に「言葉にできない関係がある。女1と女2はまさにそれである」ってあるんですけど、まさにそんな感じで人物間の複雑さの解像度が高くなっているようなイメージですね。
兵藤公美
秋場:僕は昨日改めて改稿された台本を家で読んでいたら、すごく寂しくなってきて……。死んだ男が「人ではなく、モノ」って言われるシーンがあるんですけど、「ああ、そっか、僕は“モノ”なんだ」って。シンプルに男、可哀想だなあって思いました。
全員:あははは!
秋場:試作の時は死んだ直後のお話だったのが、完全版ではもう少し時間が経っちゃってるんですよね。放置されている時間が長いんです。セリフを借りれば、より“モノ”に近づいているというか……。孤独を感じます(笑)。でも、そこにも半年間の世相の変化を経たものが詰まっているのかなって思ったり。人でない様な人というか、人に扱われない人というか、そういったことが増えてる気もしたりして……。
西田:なるほど…。私が演じる女2の心情としては、男を「“モノ”なのだ」と言い聞かせている節もある気がするんですよね。本心はまだ想像しきれていないけれど、人の形がなくなっちゃったらその人じゃなくなっちゃう部分が少なからずあるわけで、そういった不可逆的なものも感じます。女1と女2同様に、男と女2の関係も、さらに言うと男と女1の距離感も全部が言葉にならないものなんですよね。その辺りは試作の時に掴みきれなかったことの一つだったかも。
秋場清之
――完全版の始動にあたって、みなさんそれぞれに新たな発見があったのですね。生きている女二人と幽霊の男、存在と不在、日常と非日常……様々な見解が持てそうなお話でした。実際、台本の改稿にはどんな創作背景があったのでしょうか?
島村:コロナ禍で書いた戯曲なので、世相の影響は大きく受けていると思います。政治で「おや?」と思うこともあったし、緊急事態という異様な空気感に対する飲み込めなさ。そういった “ちょっとまって感”が反映されたのが試作だったんですよね。そこから半年を経て、世相もさらに変わってきた。みんながちょっと待てなくなってきているし、ちょっと待ったところでどうしたらいいか誰もわからない状態で、より深刻になった印象があって……。日常から逸脱した出来事に対するある種の興奮も相まって、試作は躁と鬱なら試は躁の部分が強かったけど、完全版は鬱が強い。興奮が去り、異常が日常になっちゃったっていう複雑さがプラスされた気がします。
兵藤:たしかに、完全版の台本はより刻んできているというか、細かく詰まってきているイメージがありますね。試作の時は書かれていることを自分なりに立ち上げようっていうレベルでやっていたのですが、今回はそれでは足りなさそうだなって。もう少し自分に何かチャレンジを設けなきゃいけないと感じました。そういう意味で、演技も変わりそう。今はそんな自分の課題を見つけようともがいている感じです。
西田:チャレンジ面でいうと、私も試作の時は少し気を張っていた部分がありましたね。背伸びもしていたかもしれないし、正直になりきれないところもあったかもしれないなって。最善は尽くした!という思いはもちろんあったのですが、自分の中でもっと切り込めたかもしれないと思った瞬間も何回かあったので……。そのあたりも高めていきたいですね。
■人間の“わからなさ”をドライに魅せる、島村戯曲と演出の魅力
――西田さんは参加前から情熱のフラミンゴの過去作を観劇していらしたとお聞きしました。兵藤さんも『LOVE BUTTLE FIELD』から3度目の出演、秋場さんは情熱のフラミンゴの一員として作品を見つめてきてこられました。みなさんが思う、島村さんの戯曲や演出の魅力とはどんなところでしょうか?
兵藤:島村さんの戯曲って、「言葉にならなさ」や「わからなさ」みたいなものにすごく”幅”を感じるんです。人との関係の中に「こういうことってあるよなあ」っていうことが出てくるんだけど、いざ稽古で立ち上げていくと、段々人間というものがわからなくなっていく感覚があって……。「人ってこうだよね」っていうことを断定しない本だから、こちらも絶対にこうじゃないとだめ、これしかできないってことがないんです。だからこその臨場感があるというか。
島村:それを聞いて、自分でもすごく腑に落ちました。どこかで同化させたくないという気持ちがあるんですよね。今作でも、女二人の会話劇に熱中していくにつれて「あ、二人の言ってることわかるかも」と思った瞬間に、男の様子を見て「やっぱり全然わかんないや」ってなるみたいな。入れたと思ったのに入れない瞬間というか、同化と異化が風景の中に繰り返されていく感じが好きなのかもしれません。
西田:私も観客として観た時に同じようなことを感じました。感情の変化とか見せ方が独特ですよね。「人が本当は何考えているかわからない」っていう部分をきちんと見せていて、それも湿っぽい感じじゃなく「そういうものです」という感じで見せる。ぐぐぐーっと物語に入り込んで号泣とかはないんだけど、ただただ静かに衝撃を受けるというか、もう見ているしかないという感じ(笑)。目撃していることが面白いという不思議な魅力があります。
兵藤:逆に言うと、ありえない出来事や行動が起こっても、やりとりが出来上がっていっちゃう不思議もある。通常の演技から外れていく感覚があるんですよね。それに加えて、「このシーンはこんな感じでいこう」っていうコンセプトが俳優各々にあるじゃないですか?自分は台本をこう読んだけど、西田さんや秋場くんは違ったっていうところ。そこがまた面白いんですよね。自分の思い込みにも気付く側面もあるし、そういうところに一緒にやる豊かさや刺激があるなあって。どこへいくかわからないことをたくさん試していきたいですね。
西田:そうですね。この人たちは実際どんな関係だったんだろう?その関係はどう展開していくんだろう?っていうところ。そこはお客さんが想像を楽しむ部分でもあるし、その想像はこちらが語る言葉から汲み取られるものなのでみんなでたくさん考えていきたいですね。

稽古の様子

秋場:こうして話していても、自由度の高い戯曲で創作の場なのだなと感じますね。僕はこれまでも情熱のフラミンゴの作品に関わってきたので、カズカズ(島村)のやり方が当たり前のように思っていた部分があったんですけど、改めて俳優に任せてくれていることの多さに気づきました。少し前にある一つの戯曲でカズカズ(島村)と別の演出家さんに同時に演出を受けるワークショップのような機会があって、すごく新鮮にそのことに気づいて……。
島村:アキバッチョからこういうことを聞くのは、何気に初めてかもしれません(笑)。
秋場:俳優が考えてきたことの中に良さや面白みを見つけてくれる。それが自分では気づかないようなことだったりもして……。だから、自分の中でも改めて「次はこういう風にやってみようかな」「こうしたらもっと面白がってもらえるかな」と考える。役と向き合う機会が更新されて返ってくるような感覚があります。セリフのやり取りも”日本語吹き替えバージョンの喧嘩”みたいなニュアンスがあって、そういう島村戯曲の持ち味みたいな部分は本作に引き継がれているし、その濃度は濃くなってる気がします。

■情熱のフラミンゴ作品に流れる、海外の香り
――ちょっと私感になってしまうのですが、私も過去作を拝見してきた中で情熱のフラミンゴの戯曲にふんわりと海外の香りを感じていました。なので、秋場さんの“日本語吹き替えバージョンの喧嘩”という言葉がしっくりきました(笑)。
島村:自分でもわかる気がします(笑)。むしろ最近、自分が日本人じゃないんじゃないかって思い始めてるくらいなんですよね。ガタイもだし、考えていることや言動も……。
兵藤:そうだったんだ!(笑)
島村:なんか、日本の音楽の歌詞も日本語と英語の垣根がなくなってきてるじゃないですか?ラップもロックも。僕もそんな風に自分の日本人的価値観を劇作の中でひねりたい!と思い続けていたんですよね。でも、今回は考えすぎずに自分のやりたい言語感と世界観でやっちゃおう!って思って作ったらこんな外国のようなものができました、という感じです。なんか、日本人シェフが作る異国料理みたいですね……(笑)
全員:あはははは!
西田:あんまりウェットじゃないというか、ちょっとドライなところが和風っぽくないのかな。そこが海外戯曲を彷彿させるところなのかな?って今思いました。今回、試作と完全版と2バージョンの台本を見て感じたのは、あれだけのセリフ量があってずっと面白いと思えるのがすごい!
兵藤:私たちの世代って羞恥心や隠すことを美徳とするような、そういった世代感が割とあるなあと思っているんですけど、島村さんの戯曲はそういう感覚が更新されるようなところがあります。だからといって言いたいことは全部言おうってことでもなく、詩的な言葉の使い方が入っていながらもやりとりは極めて現代的であったりして……。自分がこれまで経験してきた演技体のままやれる台本でもないなあと思ったりもします。
西田:反復も多いんですけど、繰り返すだけあって、徐々に高まっていくものを作っている感覚もあります。さっき秋場さんが言ったみたいに、その中に「次はこうしてみよう」っていうやりようもある。日常で何か心がちょっと動いたりした時にセリフの意味が追いかけてくるような感じもあって、「この感覚久しぶり!」って思いましたね。いろんなところから光の当てがいがある台本だから、是非、台本が読める特典付きチケットを買ってください!と、ここでおすすめしておきます(笑)。
兵藤:さすがです、西田さん!(笑)。自分の想定を越えたところに何かがあるんじゃないか、自分自身も更新できるのかなあなんてことを感じる台本ですよね。

■メキシコ音楽とクラシカルな空間と手を取り合って
会場となるプーク人形劇場
――音楽という言葉も出ましたが、情熱のフラミンゴ作品は楽曲の選び方や使い方にもこだわりを感じます。今回はメキシコの「マリアッチ」という音楽が使われていて、プーク人形劇場という場所とのマッチングも魅力だと感じました。
兵藤:不思議な空間ですよね。上は高いんだけど間口は小さくて、絵本のような感じ。人形が劇をやる場所だから、その人形感を楽しく感じているのはあるかも。サイズを間違った人形がぎゅうぎゅうと暴れちゃっているみたいな。物理的な密感はないんだけど、この劇そのものの密感というか、外界から閉ざされた設定ともマッチするのかなっていう感じがしますね。
秋場:椅子や幕も可愛いし、おもちゃ箱って感じもあります。あの幕の前でピンスポットを浴びて歌って踊って戯けるのはとても楽しいしドキドキしますね。『トイ・ストーリー』の、人間が寝静まった後におもちゃ達がおずおずと動き出すあの感じを思い出しました。
島村:たしかに!あと、建物そのものの歴史も大きいですよね。いわゆる小劇場とはまた違う、文化というか歴史的な香り。クラシックな趣きがあります。
西田:名曲喫茶感もあります(笑)。晴れ晴れしくピカーッって感じじゃないんだけど、そこにぼーっと人がいるのが似合う空間だなって思います。兵藤さんが言ったみたいに、小さいところに大きな人たちが入れられてしまったような。だから、リアリティから少しかけ離れたことをしても受け止めてくれるというか。誰も見ていない場所で、実はこういう話があったんです…って話し出す感じ。
島村:そうなんですよね。こっそり感、ありますよね。いろんな人の「ちょっと、まって」をこっそり、でもしっかりと目撃してもらえたらと思います(笑)。試作を観た方も観ていない方も楽しんでいただけるように皆さんと一緒に作っていますので、是非約80分間の『ちょっとまって(完全版)』お楽しみください!

【情熱のフラミンゴprofile】
情熱のフラミンゴ 写真/玉井美世子
島村和秀(演劇作家)、服部未来/MIKI the FLOPPY(ダンサー)、秋場清之(俳優・ラッパー)を中心に活動する演劇ユニット。舞台芸術は「共生」について考えるメディアであるという信念のもと、日常生活では可視化されずらい人間の衝突や矛盾、喜びを喜劇的かつスリリングに表現するのが特徴。また、古典や近代文学の引用、ソウルミュージックや民族楽器の生演奏など、歴史や土地の文化芸術を意図的に混ぜ合わせた、複雑でエネルギッシュな現在を表現する。

取材・文/丘田ミイ子
写真/情熱のフラミンゴ提供

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