工藤広夢インタビュー そのエネルギ
ッシュな表現力のルーツに迫る/『ミ
ュージカル・リレイヤーズ』file.3

「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第三回は、前回、福田えりさんが「お芝居にもダンスにも熱があって、毛穴中から『表現するのが大好きです!』という感じが滲み出ている!」と語った工藤広夢(くどう・ひろむ)さんにご登場いただきます。(編集部)
「僕、0か100かの人間なんです」
はにかみながらそう語るのは、舞台上でのエネルギッシュなパフォーマンスが魅力の若手ミュージカル俳優、工藤広夢だ。中学時代のある出来事をきっかけにミュージカルの世界でプロになると決断したその日から、脇目も振らずにひたすら走り続けてきた。今や25歳の若さで『王家の紋章』、『メリー・ポピンズ』、『ウエスト・サイド・ストーリー』など数々の大作ミュージカルへの出演経験を持つ実力派だ。今後も『マタ・ハリ』(2021年6月~7月)、『SMOKE』(2021年夏)と話題作への出演が控えている。
そんな工藤にロングインタビューする機会を得た。彼の生い立ちを聞いていると、一つのことに熱中して追求し続ける意思の強さは、どうやら幼少期の経験で培われたものらしい。インタビューを通して、ミュージカル俳優であり表現者でもある工藤広夢のルーツを垣間見た。
水泳に明け暮れた少年時代
工藤広夢
――連載『ミュージカル・リレイヤーズ』の前回のインタビューで、工藤さんを「注目の人」として紹介してくださった福田えりさんとの関係を教えてください。
えりさんは同じ事務所の先輩で、2021年3月〜4月に上演された『BARNUM/バーナム』で初めてご一緒させていただきました。あと偶然ですが、一度だけジムで遭遇したことが。僕が通っているジムにえりさんが先に入会されていたんです。まだ共演もしたことがない時期だったので、お互い「あ、どうも……」みたいな(笑)。本格的な“はじめまして”は『BARNUM』でしたね。
――宮城県仙台市ご出身ということですが、どのようにミュージカルと出会ったのでしょうか?
仙台に東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)という劇場があるんです。そこで劇団四季の作品や『ミス・サイゴン』などが上演されることがありました。母が劇団四季の「四季の会」会員だったこともあって、小学2年生のときに劇団四季の『キャッツ』を観に行ったんです。それが初観劇。でも、当時は客席に猫が来て怖かったという印象しかなくて(笑)、すぐにミュージカルにハマるということはなかったです。
――初観劇はちょっと苦い思い出だったんですね(笑)。幼少期はどんな風に過ごされていたんですか?
僕は5歳から水泳をやっていて、週に6日泳いでいたんです。JOと呼ばれるジュニアオリンピックの大会を目指して頑張っていました。当時、県内の小学生が集まって小1から小6まで学年を分けずに競う学童水泳大会があって、最後の年、小6のときに、100メートルの平泳ぎやメドレーリレーで1位、2位を取ったこともあるんです。宮城県の中では頑張っていた方なんじゃないかなと思います。
工藤広夢
――かなり本格的に水泳に取り組んでいらっしゃったんですね! 始めたきっかけはご両親の勧めですか?
そうですね。実は僕、元々ちょっと体が弱いんです。幼いときに川崎病になって、医者から「心臓に負担がかかるような運動はできないかもしれない」と言われていました。水泳は身体のいろいろな部分を使うスポーツなので、身体が強くなるんじゃないかということでやらせたんだと思います。中学2年生くらいまで続けていました。
――今のエネルギッシュな工藤さんからは考えられないですね。そこまで水泳に熱中していた工藤さんが、ミュージカルに興味を持つようになったのはいつだったのでしょうか?
週6で水泳をやりながら、週1で仙台の子どもミュージカル劇団に参加していたんです。習い事というか、ちょっと遊びに行くくらいの感覚で。これもおそらく母が、人見知りな僕を心配して入れてくれたんだと思います。今だから言える話、正直辞めたかったです(笑)。唯一辞めなかった理由は、劇団の休み時間に一緒にカードゲームをやる男の子がいたから。それが理由で辞めなかったというくらい、ミュージカルそのものにはあまり興味がありませんでした。
――ミュージカル劇団に通っていても興味を持てなかったミュージカルが、今では仕事になっています。それはなぜ?
中学生になってから、島谷ひとみさん主演のミュージカル『赤毛のアン』のオーディションを受けました。これも母に受けさせられたんですが(笑)、合格して、東北の仙台公演にだけ出演するアンサンブルキャストとして出演しました。夏休みに上京して稽古をしたのですが、そこでプロの芝居、歌、踊りを見て初めて「かっこいい!」と心の底から思ったんです。これが本当に最初のスタート。翌年には「僕はこの道で生きていく」と決め、ずっと続けてきた水泳を辞めました。僕がプロになると決めたときに一番驚いたのは、所属していたミュージカル劇団の先生たちだったと思います。
「東京へ行って劇団四季に入るんだ!」
工藤広夢
――劇場で観客として見る世界ではなく、稽古場でのプロの姿を見てミュージカルに目覚めたんですね。
はい。ですから本当に母に感謝しています。母がきっかけを与えてくれなかったら、きっと今ミュージカル俳優はやっていなかっただろうなと思うので。特に仙台にいた頃は『キャッツ』、『ウエスト・サイド・ストーリー』、『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』くらいしか観たことがありませんでした。『ミス・サイゴン』の公演プログラムを読んだとき、出演者のプロフィールに“元劇団四季”という文字を見て「やっぱりみんなまずは劇団四季に入るんだな」と。仙台にいたときは本当に情報がなかったので、そういったものを頼りにしていました。プロになろうと決めてからは「僕は東京へ行って劇団四季に入るんだ!」と思っていましたね。
――中学卒業後は地元の高校に進学されたんですか?
そうです。東京の高校に行くことは親に反対されたので、仙台の高校に通いながら2つのスクールに通っていました。1つは林希さんが開いたD-styleというダンススクール。もう1つは朝日雅弘さんが仙台からプロを出そうと開いたMJIMアカデミーというミュージカルのスクール。どちらも僕がプロになろうと決めたタイミングで開講されたので、同時に通い始めたんです。
工藤広夢
――高校卒業後は、東京にある日本大学芸術学部演劇学科に進学されました。
僕としては高校を卒業したらすぐに四季のオーディションを受けるつもりだったのですが、スクールの先生と出会って考え方が変わりました。(林)希さんが出演しているミュージカル『ウェディングシンガー』を観たときに、仙台に教えに来てくれている先生が東京の舞台に出演して、しかもダンスキャプテンまでしている。そのことにすごく感動したんです。四季以外にもこんなにかっこいい場所があるんだなあって。朝日先生からも「四季の道ももちろんあるけれど、他の道もいろいろあるんじゃないか」と。「じゃあとりあえず迷おう!」と思い、大学進学を決めました。
――ミュージカルではなく、演劇を学ぶ場を選んだのは何か意識されていたのでしょうか?
はい、あえて芝居の学科に入りました。当時いくつかの大学にミュージカルコースができ始めていましたし、ミュージカルを専門とする学校に行く選択肢もあったと思います。でも、希さんが「芝居の延長線上に踊りがある」という考えの方で、僕自身も、踊りや歌ばかりを学んでいてもダメなんじゃないかという想いが芽生え始めていたんです。それもあって、芝居を学ぶために大学へ行ってみようと。
――上京したことで、様々な舞台作品を観る機会が増えたのではないでしょうか。
演劇学科の友達が誘ってくれる舞台はストレートプレイばかり。初めて下北沢の小劇場へ行ったり、彩の国さいたま芸術劇場へ行ったり。大学には「ミュージカル? 何それ」みたいな人が結構多くて、ミュージカルをあまり知らない人がこんなにいるんだ、という衝撃も受けました。本当に初めての連続だったので、大学は転換期になりましたね。視野が広がって良かったなと思います。
プロとしての本格的な始まりは『王家の紋章』

工藤広夢

――在学中から数々の舞台に出演されていますが、上京してからの初舞台は?
大学1年生のとき、『葉っぱのフレディー』(2014年)にマーク/メフィストという役で出演しました。調べてみたら過去に中河内雅貴さん、小野田龍之介さん、堀江慎也さんなどが演じていた役なんです。その方たちの名前を当時いろんな作品で見ていたので「もしかしてこれは登竜門?」と思ってオーディションを受けたんです。その後は『sign』、『JOYFUL2』、梅棒の第5回公演『OMG/風桶』などに出演しました。
――梅棒の公演は、連載第2回に登場した福田えりさんが初めて工藤さんを観たと話していらっしゃった作品ですね。
そのことは記事を読んで初めて知りました(笑)。梅棒は日本大学芸術学部の先輩でもあるので、そのご縁で出演することになったんです。この連載第1回目の可知寛子さんが梅棒の公演を観に来てくださっていて、ペコっと挨拶したのを覚えています(笑)。
――2021年は『イリュージョニスト』、『BARNUM』、そして『マタ・ハリ』とミュージカル作品への出演が続いています。ご自身の中でターニングポイントとなった作品は?
プロとしての本格的な始まりという意味で、初の帝国劇場出演となった『王家の紋章』(2016年初演、2017年再演)ですね。19歳で今の事務所に所属してから最初の仕事でもあります。元々僕はアンサンブルで出演予定だったのですが、セチ役の方が体調不良で降板されることになり、その代役を務める形になりました。事務所の社長から電話がきたときはびっくりしました。「え、役をやるんですか!?」って。共演者の方にもすごく恵まれました。当時の僕は20歳。大学でお芝居を学び始めたとはいえ、セチは芝居の部分が多い役だったのでたくさんアドバイスをいただきました。特にたつにい(川口竜也さん)は「今日良かったよ」「ここはもっとこうできると思うよ」と声を掛けてくださって、ありがたかったです。
――『王家の紋章』では、工藤さんのセチはすごくハマり役だなと思いながら観ていました。特に、浦井健治さん演じるメンフィスの歌唱シーンで一人踊るセチの姿が印象に残っています。
ありがとうございます! あのダンスシーンは元々台本にはなくて、演出の荻田浩一さんが作ってくださったんです。(浦井)健治さんの歌のソロシーンの稽古なのに僕が呼ばれている日があって、「何で僕の名前があるんだろう?」と思いながら稽古場に行ったらダンスシーンだったという(笑)。本当に何も聞かされていなかったんですが、荻田さんが僕が踊りが得意だということを知ってくださっていたようで、嬉しかったですね。
プリンシパルとアンサンブル それぞれの難しさとやりがい
工藤広夢
――工藤さんはプリンシパルもアンサンブルも務められていますよね。演じていてどういった違いを感じますか?
役をいただいたときは、作品を通して一人の人生を生きます。自分が生きてきた人生量だけでは到底演じきれない。例えば『王家の紋章』のセチは12、3歳くらいの古代エジプトの少年。今稽古中の『マタ・ハリ』のピエールは戦争へ赴くパイロット。特にミュージカルでは自分が経験したことがないような役を演じることが多いので、情報のインプットが必要になります。
一方、アンサンブルではそうした情報や感情が追いつかない程のスピードで役の入れ替わりがあります。なので、アンサンブルのときは通し稽古が始まるまでは「気持ちの動機を何も考えない」ということを大事にしています。とにかくその場にいる、順応するということです。そこから通し稽古をしたり、舞台に立って共演者の方の居方を見たりしながら気持ちを作っていくようにしています。
――なるほど、役作りへのアプローチが全く違ってくるんですね。やりがいという意味でも違いはありますか?
やりがいは全く違いますね。僕個人としてはっきりしているのは、役がつくと踊りのシーンが少なくなるということ。アンサンブルは大人数で踊る群舞もミュージカルの魅力の一つですし、自然と踊りのシーンが増えます。だから体力的にしんどいのはアンサンブル、精神的にきついのは役を演じるときですね。
――伸びやかで力強いダンスは工藤さんの魅力の一つだと思います。これからもダンスは続けていきたいですか?
冷めた考えになっちゃうかもしれないんですけど、肉体って限界があると思うんです。子どものとき一緒に水泳をやっていた先輩の中には、今選手として頑張っている人もいるのですが、特に水泳は肉体の限界が早いと感じます。同じように踊りにも限界があると思うので、そこまでに自分が踊りを極めるだけ極めるのか、それとも歌や芝居もやっていくのか……。ミュージカルに出ている方は、ある年齢を超えるとそこを選ぶ方が多いような気がしています。僕はダンス、僕は歌、僕は芝居って。自分はこの先やっていくなら、この3つ全部をやりたい。ダンスだけを突き詰めるのは賭けだなと思っちゃうんですよね。いつ怪我するかわからないですし、僕は小柄で決して肉体的にも恵まれていないので。ダンスだけを追求していく先に、自分の未来がどうなるかというビジョンが見えないんです。
工藤広夢
――工藤さん、今25歳ですよね? お若いのにしっかり将来のビジョンを模索していらっしゃって、素晴らしいです。
実は今、18〜19歳ぐらいの俳優さんが悩む壁にぶち当たっているんです。あるオーディションで子どもの役をやってみたら「ちょっと大人っぽかったね」と言われ、別のオーディションで大人の役をやってみたら「ちょっと子どもっぽいね」と言われ……。今の僕、ちょうどどっちでもないんですよね。そこをどう自分の個性や強みにしていこうかなと考えているところです。
――コロナ禍の自粛期間に考え事をすることも多かったと思います。
2020年の4月頃からですよね。『王家の紋章』が決まって以降、2ヶ月も予定がぽっかり空くのは初めての経験だったと思います。ジムも営業していないし、家とスーパーの往復の日々。役者仲間が曲を作ったり、パフォーマンスをしたり、SNSを通していろんな取り組みをするのを見て「すごいなあ」と思っていました。僕は外に向けての発信はしなかった。しなかったというか、できなかったです。それくらい精神的にきつかったんだと思います。
――最近、演劇界も厳しい状況ながら幕を開けることもできるようになってきました。コロナ禍を経て舞台に立ち、どんなことを感じていますか?
長らく満席の客席を見ていないんですよ。50%が満席というのが当たり前になっているので、それが心のどこかに引っかかります。もちろん上演できているだけでありがたいですし、感謝しています。でもふとした瞬間に「いろんなことが変わってしまったなあ」と思うときがあって。自粛中は多かれ少なかれみなさん気分の浮き沈みがあったと思いますが、僕もそれはありました。
工藤広夢
ただ、その浮き沈みって役を演じるときにすごく使えると思うんですよね。そのときの感情が役作りの参考になることが多いんです。フラストレーションが溜まるからこそできる芝居もあるので、その部分は前向きに捉えています。
――この連載では毎回「注目の人」をお聞きしています。工藤さんが注目する役者さんを教えてください。
2015年に『JOYFUL2』というミュージカルコンサートで共演した、和田清香さん。注目していると言ったら失礼かもしれませんが、めちゃくちゃ尊敬している役者さんです。清香さんは芝居から派生して歌うということができる方。歌がうまいのは言うまでもないですが、コメディもできるし、シリアスな芝居もできるし、本当に尊敬しています。
――最後は、工藤広“夢”さんということで“夢”を聞かせていただきたいと思います。
今、アクションにものすごく興味があるんです。稽古中の『マタ・ハリ』でもちょっとアクロバティックなアクションシーンをつけてもらっているのですが、改めてすごく楽しいなと感じています。僕はベースが水泳というスポーツだったので、芝居、歌、踊り関係なく、シンプルに体を動かすということが楽しいんでしょうね。なので、アクションシーンが多い舞台にいつか出演してみたいです。ガッツリ殺陣もやってみたい。そして舞台俳優の仕事は生涯続けていきたいと思っています。その中で、自分の見た目や身体的な特性を活かせるような役に出会えたらいいな、と。ベタになっちゃいますが、僕だからできる役を見つけていきたいですし、それに見合ったポテンシャルでいられるように努力し続けたいです。
取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=荒川潤

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