【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#202
作詞家・川内康範の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

物書き志望だったから、なんでも体験し
なきゃいけないと思っていたんだ。考え
ているだけでは書けないからね。

『箆棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』(編著者・竹熊健太郎/太田出版/1998年8月7日発行)より

戦後のサブカルチャーを牽引し、現代も広い世代に影響を与え続ける大衆文芸界のスーパースター・川内康範。今回の名言は、川内が夕張炭鉱で働いていた17歳の頃を振り返っての言葉。「学校なんか行かなくていいんだよ」と主張する川内は、小学校卒業後、すぐ社会に出ている。作家になるまでに20数種類の職業を転々とし、「常識がまったく通らない世界」の数々を見てきたという。炭鉱夫時代の「殴られて死んだやつは見たよ」「山から脱走するんだ。もう必死だった」などといった壮絶な体験さえも甘受するかのような言葉である。どんな過酷な体験でも取材をしているような感覚で受けとめ、文学者を志す青年時代の川内。この考え方に、彼の志の高さと大作家の片鱗が感じられる。
川内康範(かわうちこうはん)
1920年2月26日生まれ、北海道函館市出身。作詞家、作家、詩人、原作家、脚本家、映画監督、プロデューサー、評論家。小学校を卒業したのち様々な仕事を経験しながら文学者を志す。1938年、日活撮影所に入社。1941年、東宝の演劇部へ入社。その後、脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当。舞台の脚本なども執筆する。のちにフリーとなり新東宝やテレビなどの脚本家、浅草の軽演劇の劇作家として本格的な作家活動を始める。1958年、伝説テレビドラマ『月光仮面』の原作と脚本を手がけ一躍スター作家となる。アニメーション版『月光仮面』の『正義を愛する者 月光仮面』(1972年)、『愛の戦士 レインボーマン』(1972年)、『まんが日本昔ばなし』(1975年〜1994年)など、ヒーローものや子供番組の原作やプロデュースを多く手掛ける。1958年の「月光仮面は誰でしょう」から作詞家としてのキャリアもスタート。和田弘とマヒナスターズの「誰よりも君を愛す」(1959年)や城卓矢の「骨まで愛して」(1966年)、水原弘の「君こそわが命」(1967年)、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」(1968年) 、森進一の「おふくろさん」(1971年) など、昭和歌謡を代表する名曲の作詞を手掛けている。2008年4月6日、慢性気管支肺炎にて死去。享年88。戒名は「生涯助ッ人」。この戒名らしからぬ戒名は、“人のために尽くす”という川内のポリシーに由来する。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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