彫刻とは何かを問い続けた、ある芸術
家の足跡 『イサム・ノグチ 発見の
道』で150灯の《あかり》に包まれる

上野の東京都美術館にて、20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチの大規模な展覧会『イサム・ノグチ 発見の道』が開催されている。会期は2021年4月24日(土)から8月29日(日)まで。イサム・ノグチの作品約90点が一堂に会し、その精髄に触れることができる貴重な機会だ。
※東京都の方針により、新型コロナウイルス感染拡大を防止する観点から、『イサム・ノグチ 発見の道』は4月25日(日)より臨時休室しておりましたが、6月1日(火)より再開いたします。詳細は公式サイトにてご確認ください。
会場となる上野の東京都美術館
イサム・ノグチの創り出す、太陽と月
本展は全3章で構成される。第1章「彫刻の宇宙」では、イサム・ノグチのライフワークである《あかり》シリーズのインスタレーションを中心に据え、各年代の彫刻作品が周囲にぐるりと配置されている。その中で、まず最初に目に入ってくるのが、代表作のひとつ《黒い太陽》だ。
イサム・ノグチ《黒い太陽》1967-69年 国立国際美術館蔵  (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
本作はシアトルにある同名作品の習作にあたる。磨き上げられた石の質感が、見る者の視界に重くめり込んでくる。写真から想像するよりもずっと質量が高く、すぼまった肉のような艶かしい厚みを持っていることに驚いた。
《あかり》インスタレーション
《あかり》は岐阜提灯に着想を得たもので、和紙と竹で作られたライトである。部屋の照明として見たことがある人も多いのではないだろうか? このインスタレーションでは大小150灯の《あかり》を組み合わせ、その間にちょっとした散歩道が用意されている。
《あかり》インスタレーション
ライトは深呼吸するようにゆっくりと明滅を繰り返し、くっきりしたりぼんやりしたり、そのたびに展示室の中で存在感が変化する。イサム・ノグチは《あかり》のことを“光の彫刻”と呼んでいたが、その言葉の意味を実感できる絶好のチャンスだ。ぜひ、灯りが消えた状態から、光が生まれ、次第に彫刻されていく過程を目撃してほしい。
ちなみに《あかり》は太陽と月をイメージした作品だという。《あかり》と《黒い太陽》をドンと据えて、まわりに彫刻作品を設えたこの展示室を「彫刻の宇宙」としたネーミングは、美しくハマっていてニヤリとさせられる。
太陽系周遊ツアーへ
展示風景 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
それでは、太陽のまわりに配された作品を見ていこう。多くを占めるのは「インターロッキング・スカルプチュア」と呼ばれるタイプの彫刻だ。これらはペーパークラフトのようにいくつものパーツに分かれており、それらが組み合わさってできている。
イサム・ノグチ《化身》1947年(鋳造1972年)イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵(公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与) (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
抽象化されたフォルムはやや難解なように思えるけれど、いざ目の当たりにすると、それが何なのかハッキリと分かるのが不思議だ。じっと見れば、膝のくぼみにしか見えないへこみや、乳首にしか見えない突起があったりする。ディティールにヒントのような取っ掛かりを見つけることができるだろう。
イサム・ノグチ《ヴォイド 》1971年(鋳造1980年)和歌山県立近代美術館蔵 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
《ヴォイド》もまた心揺さぶられる作品だ。voidとは空白・虚無という意味で、仏教用語としては“すべてのものの存在する場所”を表す言葉。三角形の間にある虚無は、見れば見るほど膨らんで、やがて目に見える部分よりもあからさまな実在感を放つようになる。“無い”ということの存在感をくっきりと感じる作品だ。
イサム・ノグチには、この作品を10mほどに巨大化したものを反核の象徴として制作しようという構想があったという。本作をはじめとするヴォイドシリーズが生み出されたのは1970年代。折しも、福島らでメイドインアメリカの軽水炉が稼働を始めた頃と重なる。原子炉の出力暴走を止める自制機能の名前もまた、ヴォイドという(ボイド効果:圧力容器内の水が沸騰して泡“void”ができることで出力が自然と下がる効果)。……本作をそこに結びつけるのは深読みだろうか?
イサム・ノグチ《発見の道》1983-84年 鹿児島県霧島アートの森蔵 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
本展のタイトルにもなっている作品《発見の道》越しに、《あかり》インスタレーションを望む。イサム・ノグチは芸術家人生を通して「彫刻とは何か?」を自身に問い続け、様々な出会い・学びを経て道を切り拓いた。彼が晩年に到達した石彫の世界については、第3章でさらに詳しく見ていこう。
かろみ=ライトネスの世界
展示風景 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
第2章は「かろみの世界」。かろみとは、軽み、すなわちライトネスのことだ。イサム・ノグチ自身がインタビュー映像で語った「明るい、ということには、軽い、が入ってるんですよ」との言葉には目から鱗が! 英語でlight(軽い)はLight(明かり)だし、日本語でも“あかるさ”の中には“かるさ”が含まれている。灯りをつけることは、気分がポッと軽くなることなのかもしれない。
《あかり》インスタレーション
《あかり》インスタレーションがこちらにも。ねじれた螺旋形状は遺伝子を意識しているのだそう。床に映るシルエットがまた美しい。
イサム・ノグチ《リス》1988年 香川県立ミュージアム蔵 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
さらにこのエリアでは、日本の折り紙にイメージを得たという軽やかな金属板彫刻が並ぶ。子供が折り紙で遊ぶように、作家が純粋にカタチを作ることを楽しんでいる様子がうかがえるようだ。《マグリットの石》《宇宙のしみ》《道化師のような高麗人参》など、独創的なタイトルが付けられているものも多いので、それも加味して鑑賞するのも面白い。
《プレイスカルプチュア》2021年 鋼鉄 茨城放送蔵
場内で特に目を引くのは、ぐにゃりとうねる真っ赤なチューブ状の彫刻だ。これは《プレイスカルプチュア》、遊具としての彫刻である。イサム・ノグチは子供たちのための遊園地の構想を抱き続けており、本作もその一環として生み出された。この彫刻を前にすると、確かに「よいしょっ」とまたがってみたい衝動に駆られる。
展示風景
第2章と第3章の間には、石材の違いを実際に見て学べるコーナーが用意されている。この後はいよいよイサム・ノグチの石彫の世界へ。
地球を彫刻する男の“聖地”を知る
イサム・ノグチは65歳のときに香川県の牟礼にアトリエを構え、そこで晩年の傑作石彫群を生み出した。古い武家屋敷を改築したその住居兼アトリエは、現在ではイサム・ノグチ庭園美術館として作品の保護・展示を行っている。今回の展覧会では、“聖地”と名高いそのイサム・ノグチ庭園美術館から多数の石彫作品がやって来た。これだけまとまった数の貸出しは同館のオープン以来初のことだそう。しかもイサム・ノグチ庭園美術館は内部の写真撮影がNGなため、実際に行かないと雰囲気を知ることも難しいのだ。
展示風景 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
最終章である第3章は「石の庭」。イサム・ノグチは彫刻それだけではなく、置かれた空間、そこで過ごす時間、呼び起こされる心の動き、それらすべてを含めたものがアートだと捉えていた。「庭」は彼の総合的な創造を表すキーワードだ。本展ではできる限り牟礼の「庭」に近付くよう、作品の配置や展示室の雰囲気づくりに丁寧に意識が配られているのがわかる。
イサム・ノグチ《無題》1987年 イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵(公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与) (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
本展覧会のチラシにも採用されている《無題》。何も難しいことを考えず、ただ向き合っていたくなる作品だ。石の描くカーブが、心の丸みにぴったりと沿う不思議な感覚である。滑らかな面、ノミの跡が残る凸凹の面、刃物のように切り立ったエッジ……見る角度によって表情が変わる。
イサム・ノグチ《無題》1987年 イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵(公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与) (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
横から見るとこんな感じ。ふたつの石を組み合わせているように見えるが、実はひとつの石を彫り出したものだ。
イサム・ノグチ《フロアーロック(床石)》1984年 イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)蔵(公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与) (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
《フロアーロック(床石)》では、ザラッとした石肌と磨き上げられた面との対比が気持ちいい。実際に同じ空間でこの作品を前にすると、ふたつの石の狭間にみなぎるエネルギーに驚かされるだろう。彫刻を“見る”というより“感じる”と言うべき体験だ。
展示風景 (c)2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS,NY/JASPAR,Tokyo E3713
古代から彫刻家たちは石に自分の思いを託して表現を追求してきたが、イサム・ノグチは制作にあたり、「はじめに石の声を聴く」と語っている。石がどうしたいか、どうなりたいのかに耳を澄ませてから、そっと手助けしてやる。石の声を聴くために「自分自身は空っぽの状態でなければならない」とも考えていたという。それこそが、彼の到達した独自の境地なのだろう。それぞれが“なりたい姿”へと背中を押された石たちは、ハッとするほど豊かで、輝いて見えるのだ。
「地球ってのはぜんぶ石でしょう」
ミュージアムショップではバラエティに富んだ展覧会のオリジナルグッズが販売されている。さらに《あかり》をはじめ、イサム・ノグチのデザインしたプロダクトを購入することもできる(ミッドセンチュリーの名品として知られるコーヒーテーブルも。欲しい……)。
ミュージアムショップ
また、5月22日(土)からはサカナクション・山口一郎とのコラボレーション企画「サウンドツアー」(税込800円)がリリースされる。音楽というこれまでにない視点からイサム・ノグチを紐解くことができるそうなので、こちらにも注目だ。
最後に……会場を訪れた際には、各章の間に挿入される3分ほどのインタビュー映像もぜひ見逃さないでほしい。「地球ってのはぜんぶ石でしょう? だから、僕は石に興味を持つ」そうチャーミングに語るイサム・ノグチの言葉ひとつひとつが心に残る。
彼が20世紀を代表する彫刻の巨人と言われるのはなぜなのか、地球を彫刻した男という呼び名を持つのはなぜなのか。この『イサム・ノグチ 発見の道』に足を運べば、その答えはきっと頭より先に感覚で理解できるはずだ。『イサム・ノグチ 発見の道』は、上野の東京都美術館にて、2021年4月24日(土)から8月29日(日)まで。

文・写真=小杉美香

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