福田えりインタビュー「エンターテイ
ンメントは心を豊かにするもの」/『
ミュージカル・リレイヤーズ』file.
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「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第二回は、前回、可知寛子さんが「常に背中を追いかけてきた」と語った福田えりさんにご登場いただきます。(編集部)
「一番好きなのは劇場なんだなということを、再確認しました」
コロナ禍での相次ぐ公演中止を経て、久しぶりに舞台に立ったときの想いを聞くと、言葉を詰まらせながらもこう答えてくれた。ミュージカル女優・福田えりの原点は、劇場への並々ならぬ愛なのだ。
物心が付く頃からエンターテインメントに触れ、劇場という空間に魅せられ、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)で役者としてのキャリアをスタートさせた。そんな彼女が上京して10年以上が経った今、日本のミュージカル界での奮闘の日々を語ってくれた。
「一人で乗り越えられないことは、みんなで力を合わせないと」
――連載第一弾で可知寛子さんが注目の人として紹介してくださったのが、福田さんでした。可知さんとの関係を教えてください。
彼女は大阪芸術大学のミュージカルコースの同級生です。1学年30人くらいの大学で、毎年授業の一環で公演をしたり、ダンスや歌のレッスンを受けたりしてきました。大学を卒業して上京してからは舞台での共演が続き、本当に長い付き合いになりましたね。私は頑なに彼女のことを“寛子”と呼んでいるのですが、これには理由があるんです。寛子のご家族に舞台を観てもらったときに「可知さんにお世話になっています」と挨拶をしたら、寛子に「みんな可知だからね!」って言われて(笑)。大抵の人は彼女を“可知”と呼ぶけれど、一人くらい名前で呼ぶ人がいてもいいかもって思ったんです。
――福田さんは可知さんのYou Tubeチャンネルにも何度か出演されていました。特にミュージカル女優の座談会(【一気見】気付いたら一緒にコタツ囲んでる気分になるミュージカル会議22分)は興味深かったです。
いつも可知寛子、遠藤瑠美子、伯鞘麗名、私の4人で集まって、仕事や私生活について話していたんです。年齢が近くて共演も多く、特に福田雄一さん演出作品のときに集まることが多いメンバーですね。私たちはミュージカルをやる方でもあるんですが、観るのも好きで一ファンでもあるので、観た作品について共有する場にもなっています。とにかく朝から晩まで話が尽きないので、寛子が「これをいつか『グータンヌーボ』みたいに動画にしたい」とだいぶ前に話していたんです。それがやっと実現できました。
福田えり
――そういった役者さん同士の横の繋がりは、どうやって生まれるのでしょうか?
共演がきっかけになることがほとんどですね。稽古と本番を合わせると長いもので1年、短くても3ヶ月は共に過ごします。チームワークという形で本番にも出てくるところですし、作品を作る上でコミュニケーションはすごく大切だと思うんです。
――コロナ禍では人に会えないことも多かったと思います。ステイホーム中は役者仲間で連絡を取り合っていましたか?
さっきの4人のメンバーでよくZoom飲みをしていました。誰にも会えなくて寂し過ぎたので、みんなお酒を飲みながら延々と喋り続けて、気付けば喉ガッサガサみたいな(笑)。逆にコロナ禍で繋がりが強くなった面もあるかもしれません。一人では乗り越えられないこともありますし、そこはみんなで力を合わせないとね、とよく話していました。大切な仲間ですね。
きっかけは宝塚「すごい羽を背負った人が大階段から降りてきた!」
――ミュージカルと出会ったきっかけを教えてください。
最初はミュージカルというよりは、宝塚歌劇団をよく観ていました。私は大阪の池田出身で、すぐ近くに宝塚があったんです。アルゼンチンに住むタンゴダンサーの姉がいるのですが、その姉が宝塚好きだった影響で幼い頃から宝塚を観る機会がありました。剣幸さんや杜けあきさんがトップスターで活躍されている時期ですね。初観劇の内容までは覚えていないのですが、すごい羽を背負った人が大階段から降りてきたことだけは覚えています!
――「すごい羽」と「大階段」、それは紛れもなく宝塚ですね! やはり最初は宝塚の舞台に立つことを目指していらっしゃったんですか?
高2で進学のことを考えたときに、ふと宝塚を受けたくなっちゃったんです。元々陸上の短距離走とか運動はやっていたんですけど、歌・ダンス・芝居はそのとき親に頼み込んで始めました。高校の先生に「宝塚を受けるので大学受験はしません」と伝えたときは、進学校だったので相当びっくりされましたね。授業が終わったらすぐにレッスンへ通うという日々だったのですが、当時のスクールで井上芳雄さんの妹さんと一緒だったんですよ。そのときはまさか芳雄さんの妹さんだとは知らず、数年後にひょんなタイミングで知りました。芳雄さんと初めてお仕事をご一緒したときに「妹がお世話になっています」とご挨拶されたのを覚えています。
福田えり
――そんな偶然があったとは! 宝塚受験はどうでしたか?
最初の受験はレッスンを始めて数ヶ月だったこともあり、第一次審査で落ちました。翌年は最終試験まではいけたのですが、そこで落ちちゃったんです。宝塚受験一本だったので、その後は1年間浪人生になりました。改めて将来のことを考えたときに、やはり舞台が好きなので宝塚以外の道もあるかな、と。舞台に立つためにもう少し大阪で勉強しようと思い、大阪芸大に入りました。
――大学在学中からUSJの『WiCKED』に関わっていらっしゃったそうですね。
大学4年のときにオーディションを受け、『WiCKED』の立ち上げメンバーに合格したんです。在学中に現場の舞台に立つというのはイレギュラーなことだったのですが、大学の学科長の浜畑賢吉さんが「現場でやるのが一番勉強になる。大学に在籍しながら頑張ってみなさい」とおっしゃってくださったんです。なので、大学最後の1年間は『WiCKED』のショーにアンサンブルとして出演しながら授業を受けていました。
――学生時代に東京へ行くことはありましたか?
夜行バスに乗って『ミス・サイゴン』を観に行ったり、夏休みを利用してダンスのレッスンを受けに行ったりしていました。今はなき青山のベルコモンズでレッスンを受けたときは、それはもう衝撃的でしたね。都会の一等地のビルの中にスタジオがあって、しかも生ピアノで、現役の人たちがバリバリ踊っているんです。大阪ではちょっと考えられないことなので「これは東京行かんといかん!」と(笑)。大阪で役者としてお仕事をするとなると、どうしても範囲が狭いところがあります。オーディションを受けるにしても、東京に受けに行くということがほとんど。いつオーディションが始まるかもわからないですし、東京にいないといざというときに動けないな、と思っていました。
――卒業後はUSJを続けるのではなく、上京する道を選ばれました。
今思えば、USJでの出会いが上京することに繋がったのかもしれません。『WiCKED』は菅野こうめいさんの演出だったのですが、立ち上げメンバーには菅野さんが声をかけた東京の役者さんが多く参加していたんです。普段東京で舞台に立っている人たちと仕事をすることができたのは、とても刺激的でした。USJで仕事を続ける選択肢もありましたが、立ち上げから1年が経ち、大学卒業のタイミングでもあったので、迷いなく「東京へ行こう」と思えたんです。

福田えり

『オール・シュック・アップ』『ミス・サイゴン』『天保十二年のシェイクスピア』現場での学びの数々
――東京に来てから最初に出演された作品は?
坂本昌行さん主演の『オール・シュック・アップ』(2007年日本初演)という、エルヴィス・プレスリーの曲を使ったジュークボックスミュージカルです。上京してすぐは経歴もないので書類審査が通らず、オーディションを受けに行くことすらできない日々が続きました。そんな中やっと受かった作品です。
――当時のことは覚えていますか?
はい。初めてのことだらけだったので、先輩たちからいろいろ勉強させてもらいました。この仕事は作品によって求められるものが違うので、現場で学ぶことがたくさんあります。作品としてはとにかくダンスが多かったです。あまりに振付量が多いので本当に間に合わないぞとなって、稽古場が使えない時間に公園で練習していたんですよ。大人が必死に踊っている姿を、離れたところから子どもたちが不思議そうに見ていました(笑)。
――それから現在に至るまで、10年以上に渡って多くのミュージカル作品に出演されていらっしゃいます。ターニングポイントとなった作品は?
ターニングポイントと言えるのは、2013年の『ミス・サイゴン』。オーディションも作品に取り組む期間も長く、すごく勉強させてもらいました。演出はダレン・ヤップという、言葉があたたかくて、一人ひとりを尊重してくれる素敵な演出家でした。自分の役に対して手紙を書くというワークショップもあって、普段は時間がなくてそういったことはなかなかできないのですが、作品の持つ深いテーマを大切にしながら作っていくことができました。ちょうど日本でスウィング制度(※)が始まった頃だったかもしれません。私たち役者もスウィングがどういうポジションのなのかわかっていなかったくらい。演出のダレンからは「スウィングはキングでありクイーンだから尊敬しなさい。彼らがいないと作品は成り立たないぞ」と言われていました。そういう新しい制度の中で本番をやったということも印象深いですね。
(※)スウィングとは、万が一に備えて作中の複数の役の代役をする人のこと。常に複数の役を演じられるようにしておく必要があるため、役者として高いスキルが求められる。
福田えり
――最近の出演作で印象的な作品はありますか?
『天保十二年のシェイクスピア』(2020年)ですね。いわゆる和モノ作品が初めてだったので、めちゃくちゃ大変でした。ミュージカルっていろんなジャンルのダンスがあるのですが、これまで日本舞踊はやったことがなかったんです。そのとき共演していた可知寛子と私の2人だけ、どうしてもロボットみたいな動きになっちゃって(笑)。「先生意味がわかりません!」という状態(笑)。ちょっとした動作一つとっても、洋モノでは胸を張っていたのに、和モノではしゃなりとさせなきゃいけない。勉強不足だったので本当に苦しかったです。
――『天保十二年のシェイクスピア』の舞台は拝見しましたが、微塵もそんな感じはありませんでした。無事に乗り越えられたんですね。
日本舞踊の名取の共演者がいたので、基礎の基礎を教えてもらったんです。私はよく「システムがわからない」という言葉を使うんですけど、ダンスって構造がわかると理解が早いんです。基礎がわかればパズルを組み立てやすくなるというか、それがないと振付そのものも入ってこなくて……。稽古が始まって1週間くらいはロボット状態でしたね(笑)。でもなんとか乗り越えたお陰で、お着物が好きになりました。作品を通して改めて日本のいいところを知ることができましたし、これからも日本らしさのあるミュージカルが生まれていったらいいなと思います。
「舞台はお客様に観てもらってなんぼ」
――『天保十二年のシェイクスピア』はコロナ禍の影響を受け、東京公演後半で上演中止となりました。その後、福田さんが出演予定だった『ジョセフ・アンド・アメイジング・テクニカラー・ドリーム・コート』(以下、『ジョセフ』)は全公演中止に。当時のお気持ちを伺ってもいいですか?
『天保十二年のシェイクスピア』の終わりの頃は、コロナがここまで大事になるとは正直思っていませんでした。東京公演はあと数回を残して終わってしまったので、心残りでしたね。『ジョセフ』は全ての稽古を終えたタイミングでの中止でした。演出のダレンが稽古期間中にどうしても帰国せざるを得なくなって、途中からずっとリモートでやりとりしながら作品を作っていたんです。衣装合わせもして劇場でセットまで組んでいた。そこで公演中止が決まったので、あれはなかなか……。やっぱり舞台というのはお客様に観てもらってなんぼなので、あのときは燃え尽き症候群じゃないですけど、気持ち的に落ちてしまった部分はありますね。そのままステイホーム期間に入ったので、家でオンライン配信作品を観たり、こういった状況で自分はどうやって舞台を続けていけばいいのか考えたり。このウィルスは1年じゃ収まらないんだろうなということも、徐々にわかってきました。
――その期間の後に出演された『プロデューサーズ』(2020年)は、初日から大千秋楽まで無事に完走されました。久しぶりに板の上に立ち、どんなことを感じましたか?
……一番好きなのは劇場なんだなということを、再確認しました。劇場ってすごく特別な空間だと思うんですよね。お客様にも一体感があって、待っていてくれたんだなということが肌で感じ取れました。オープニングで私と寛子の2人が舞台上に出ていくシーンがあるのですが、あのときすごく嬉しかったんです。袖から見ている他の出演者の方たちも喜んでくれていました。
福田えり
『プロデューサーズ』は福田雄一さん演出のコメディ作品だったのですが、「マスクをつけて、しかも声を出すことが制限されている環境でお客様はどうやって観てくれるんだろう」という不安を抱えながらの稽古でした。でも幕が開いたらすごくあたたかいお客様がいっぱいで、不安は一気に吹き飛びましたね。張り詰めてしんどい日々だとしても、3時間の上演中は笑いながら観ていただくことができて、非日常は絶対に必要だと改めて感じました。「エンターテインメントは不要不急」とよく言われますが、心を豊かにするものだと思います。
――この連載では毎回「注目の人」を伺うのですが、福田さんが注目されている役者さんを教えてください。
同じ事務所の工藤広夢くん。彼が梅棒の公演に出ていたのを観たとき、すごく身体能力に長けていて「何このキラキラしてかわいい子は!」と思ったのが最初でした。最近『バーナム』で共演させてもらって、彼の魅力を近くで感じることができたので注目しています。お芝居にもダンスにも熱があって、毛穴中から「表現するのが大好きです!」という感じが滲み出ているところがすごく素敵。一緒に振付を受けていても、彼は誰よりも低くしゃがみ、誰よりも高く跳ぶんです(笑)。そういうところは年齢を重ねても失っちゃいけないなって、勉強させてもらっています。
――最後に、これから福田さんご自身はどんなことをしていきたいと考えていらっしゃいますか?
『天保十二年のシェイクスピア』に出演してから、日本のオリジナルミュージカルに関わっていきたいと思うようになりました。あのときは作曲家の宮川彬良さんが立ち会ってくださって、直接曲のイメージや音の意味を聞きながら稽古をすることができたんです。これはオリジナル作品ならではだと思います。役者としては、いい意味で観ている方を裏切っていきたいという想いがあります。ジャンルを問わずいろんな作品に出れる役者になりたいですね。常にアップデートして、新しいところを見せていきたいです。
福田えり
取材・文=松村 蘭(らんねえ) 撮影=荒川潤

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