松川ケイスケ(LACCO TOWER)

松川ケイスケ(LACCO TOWER)

松川ケイスケ(LACCO TOWER)
- Key Person 第14回 -

自分たちをカッコ良く見せられるのは
自分たちしかいない

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第14回目は2002年の結成から来年で20周年を迎えるLACCO TOWERの松川ケイスケ(Vo)。長年バンドをセルフプロデュースする中で自分が強くこだわっている部分と、それでも“周りの人に育てられた”と語る真意に迫った。

“カッコつけすぎてる”と
引っかかってた部分を突かれた

2001年に結成した前身バンドを経て、02年7月に渋谷CYCLONEでLACCO TOWERとしての初ライヴが行なわれましたが、当時はどんなお気持ちだったのでしょうか?

その結成日までにいろいろあったので、僕らは普通に集まって渋谷CYCLONEでライヴをしたわけではないんですよね。もともと前身バンドの時に韓国でデビューすることが決まっていたんですけど、バンドではなくアイドルっぽい売り出し方に少し疑問を感じていて。それを経て、お世話になっていたライヴハウスの店長さんをはじめ、周りの方の力を借りて、なんとか初ライヴの日を迎えたから、“ようやくライヴができる”って気持ちでした。

うまくいかなかった時に、メンバーがバラバラになったりもぜす?

やっぱりバンドをやりたかったんですよ。別に当時の事務所のやり方も間違ってはいないと思うんですけど、その出来事があったことでメンバーは一致団結してました。相手がイメージしていることと、自分たちがやりたいことの温度差をどうやって解消するかっていうところで、弱気になるというより“やってやるぜ!”って感じのほうが強かったと思います。

その翌年の03年に初企画を行なった高崎club FLEEZは、LACCO TOWERにとって思い入れの深いライヴハウスのひとつだと思うのですが、何か印象的なエピソードはありますか?

今は高崎にありますけど、当時は前橋にあったんですね。その初企画以降に何回かイベントをやって、初めてチケットがソールドした時は本当に嬉しかったです。バンドとしてもそれが初めてのソールドだったんじゃないかな? 高崎に移転したあとも思い出があって…演奏中にバッタが飛んできたこと(笑)、先輩方と対バンしたのもそうだし、思い出のひとつひとつにFLEEZが入ってます。

結成時からライヴハウスとのつながりは大事だったと思うんですけど、特に背中を押してもらった人はいましたか?

仙台の長町にあるLIVE STUDIO RIPPLEに僕らの2、3個年上の店長がいるんですけど、初めてのツアーでライヴをした時に“お前らは明日解散すると思ってライヴをやってない”と言われたのをずっと覚えてます。普段は本当にちゃらんぽらんな人なんですけど(笑)、“だから、解散ライヴをするバンドには勝てないし、いいライヴができないんだ”と言われて、“明日解散するわけじゃなくても、来ているお客さんにとってはそれで終わりかもしれないし、一回一回の出会いはそこでしかないから、それくらいの気持ちでやらないといけない”って思い直しました。あとは、音楽仲間で後輩なんですけど、back numberを2年くらいツアーに連れて行った時、清水依与吏に急に呼び出されて“ケイスケさんはカッコつけすぎてる”って夜に説教をされたことがありました。あいつも酔っぱらってたんですけど、それもすごく記憶にありますね。

後輩なんですよね?(笑)

はい。今考えてもどついたらなあかんって思いますけど(笑)。そのふたつの言葉は誰かが言ってくれそうで誰も言ってくれなかったことだったので、すごく心に残ってます。

松川さん自身も気を張ってた時期だったのでしょうか?

そうですね。どう魅せるかっていう部分でも気を張ってたし、自分の中でも引っかかってた部分を突かれたので響いたんだと思います。

LACCO TOWERの歴史をおうかがいする上で、13年に塩崎啓示(Ba)さんが代表取締役となって株式会社アイロックスを設立したことも重要な出来事だと思うのですが、そこにはどんな決意があったのでしょうか?

もともとDIYが染みついていたバンドではあったので、社会的にも認められるようなかたちでやっていこうっていうのが一番大きかったから、全然違うステージに行こうとしたっていうより、暑いからクーラーの温度を下げるみたいな感じでしたね(笑)。やるならちゃんとやるかって。啓示をリーダーに指名したのは僕なんですけど、彼の人柄もあって周りの反対もなかったです。

自分たちに合ったバンドのスタイルを見つけていく中で、松川さん自身が先ほどの気を張っていた状態から変わっていった感覚はありました?

毎日変わっている気がするんですよ。思い返してみても“ここで変わった”というのがなくて、本当に徐々に変化してます。昨日は正しいと思ってやったことが今日は違う気がしたり、“ここがターニングポイントだ”って言えるほど自分が成長できてないのかもしれないですね。ただ、作詞家としてターニングポイントになったのは「薄紅」(2016年2月発表のシングル)で。リリースしてからですけど、書き方やアプローチの仕方が変わったというか。「薄紅」の歌詞は30分くらいで書いたんですよ。それまでは歌詞を書く前に軽く小説みたいなものを書いていて、“先に小説を書いてるから歌詞にしても大丈夫だ”っていう安心感が自分の中にあったんですけど、いきなり歌詞から書いたんです。その違いが僕の中では結構大きくて、初めて降りてきた感覚があったのが「薄紅」なのかなと。

「薄紅」はアニメ『ドラゴンボール超』のエンディングテーマですが、もともとは「奇々怪々」がエンディングになる予定で先に出来上がっていたことも関係あるんですかね。

「奇々怪々」はもっとテクニカルで、ベジータの台詞を歌詞に入れていたりしてたんですよ。それがあったからなのか、「薄紅」はすごくスラスラ書けましたね。

ちなみにLACCO TOWERの楽曲タイトルを漢字にこだわっている理由は?

これは完全に僕が漢字フェチだからです(笑)。最近気がついたんですけど、活字が好きなんですよね。歌詞を書く時はいつもパソコンなんですけど、自分で書く字よりも活字で出てくるところが好きで、明朝体を見るとホッとするんです。“檸檬”なんて見ただけで堪らないので、ちょっと変態なんですよ(笑)。

画数が多いほうがいいんですか?

いや、そういうわけでもなくて。語感というか、漢字の並びですかね。僕らの曲って果物のタイトルの曲が多いんですけど、あえてタイトルにしていない果物もいっぱいあるんですよ。漢字的にハマるものとなると違うんですよね。“無花果”なんてそれっぽいんですけど、何か違ってて。まぁ、ただの活字中毒です(笑)。

OKMusic編集部

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