オフィスコットーネプロデュース『母
MATKA』(作:カレル・チャペック)
──演出の稲葉賀恵、出演の増子倭文
江、大谷亮介に聞く

オフィスコットーネプロデュース『母 MATKA』が、2021年5月13日(木)~20日(木)に吉祥寺シアターで上演される。『ロボット RUR』で知られるカレル・チャペックが、80年前に発表した作品で、母の視点から「戦争」が問い直されていく。このほど、演出の稲葉賀恵、そして出演の増子倭文江、大谷亮介に、いま新たにこの戯曲を上演する意図について話を聞いた。
■生者と死者の境界線
──カレル・チャペックの『母』を上演する理由について聞かせてください。前回演出されたサルトルの『墓場なき死者』との連続で、考えていたことはありますか?
稲葉 『母』には、『墓場なき死者』とちょっと似てる雰囲気とぜんぜんちがう雰囲気のどちらもありますが、わたしがこの戯曲を選んだのは、生きてる人間と死んでる人間がいっしょに話をしてるのが面白いなと思ったからです。
 これは祖父の死のエピソードと直結しています。祖父が死んだことは、わたしにとって初めての身近な人の死で、自宅で亡くなったとき、親戚全員で体を2階から1階に移動させたのですが、途中で口が開いちゃったんです。みんな悲しくて泣いていたのに、思わず爆笑してしまった。そのときに死ぬって何だろうと思ったんです。
 『母』では、死んでる人間と生きてる人間が、同時に舞台上でしゃべっていたりする。この演劇的な面白さを表現したいと思いました。
──レジスタンスや戦争による暴力への抵抗よりも、生者と死者が対話することへの関心の方が強かったんですね。
稲葉 最初は強かったんですけど、その後、キャストやスタッフのみなさんと話したとき、これは生死という境界線の話だと思いました。『墓場なき死者』はレジスタンスと民兵という境界線の話で、それを決めているのは生きてる人間です。だから、国境線があって統治が分割されていても、大地はただ単に広がっていてなにもない状態なのに、生きてる人間が折り合いをつけるために国境線を決めている。
 基本的に男の人と女の人も、性別はグラデーションだと思うんですが、折り合いをつけるために男的な考えかたと女的な考えかたがある。そうしないと、先に進めないから。だから、生きてる人間と死んでる人間の境界線から派生して、戦争や脅威の問題へとつながっています。
オフィスコットーネプロデュース『母 MATKA』のチラシ。

■戦争に対する母の態度
──生者と死者という対立があり、そのうえ『母』には、女性と男性という対立があります。息子たちや夫に加えて、おじいさんも登場するので、自分以外は家族全員が男性。今回の増子さんは、母として全員と対話し、社会に送り出したり、引き止めたりする役ですね。
増子 まず、読んだときに、とっても不思議な話だなと思いました。リアルにとらえるというよりも、別役実さんとか、星新一さんみたいだなと。筒井康隆さんのテイストもちょっと感じたり。
 考えてみると、夫と子供を次々に戦争に奪われていくわけだから、すごく悲惨な話なんですよ。それがとてもドライなタッチで書いてあって、女性としても共感する台詞はとても多いんです。これが80年前に書かれたとは思えないぐらいに、いまに通じる内容で、身近で語られているような台詞もある。それがとても面白いなと思いましたね。
──母を演じられているあいだ、ずっと子供たちや夫と話しつづけなければならない。長男は黄熱病、次男は飛行機事故、三男、四男の双子はそれぞれ体制側と反体制側に分かれて対立しています。
増子 全部が闘いですよね。劇中に「あたしたち母親はね、一度も戦争なんか起こさなかった」という台詞があるんですけど、母親の口を借りて、チャペックさんがものすごく語ってる感じがする。
 もちろん、戦争に対して批判もあるでしょうし、男と女の考えかたのちがいについても、母親の口を借りて語ってると思います。だから、最後の方のシーンでは、母が5人の息子たちと闘う場面では、守るものが男とはちがうわけですけど、とても胸が痛くなります。
オフィスコットーネプロデュース『母 MATKA』母を演じる増子倭文江。

■死者の視点から現代を見つめる
──『母』では、大谷さんが演じる夫が生前に使っていた部屋で、さまざまな出来事が起こります。17年前に戦死した父の役ですが、台本を読んだときの感想を聞かせてください。
大谷 まず、職業軍人がどういうものだったのか、いまのわれわれにはピンとこない。もう職業軍人という感覚が、わからなくなっている。
──当時の職業軍人は、かなりのエリートだと思います。
増子 ああ、だから台詞にもありましたね、「いちばんできる男が行くのは当然だろ?」と。
大谷 自分が幽霊だというのも、どう演じればいいか。日本の幽霊とはちょっとちがいますから……
──『母』の場合、幽霊も生きてる人と同じように、ふつうにしゃべっていますね。
大谷 最初は、母親の頭のなかに出てきたイメージとしての幽霊というとらえかたをしていたんですけど……
──母親は亡くなった夫と常に対話していますね。
大谷 でも、そう考えるのは現代的な小さい考えかたで、幽霊は本当にいると思って演じるとどうかなと。幽霊が本当にいるかどうかは、わからないですから。
──母親がどんどん子供たちを亡くしていく戯曲といえば、ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』ですが、チャペックの『母』が書かれたのが1938年で、その翌年の39年に『肝っ玉おっ母』が書かれている。戦争に対する母親の思いを、劇作家が連続して書いたという気もしています。
増子 そうなんですね。
稲葉 想像するに、この時代は、思いもかけないほど価値観が揺らいだときだった。ファシムズが出てきたとき、ふつうに生きていても、不条理というか、意味のわからない理由で命が消える状況が起こるようになる。神様に祈るとか、そういう信念を超えた力みたいなものが働いてしまう時代だった。それに対して、哲学者や劇作家が警鐘を鳴らした。緊急事態宣言みたいなところで書いてる感じがあります。
オフィスコットーネプロデュース『母 MATKA』父を演じる大谷亮介。

■80年経って『母』が上演される意義
──舞台の最後に、母は大きな決断を迫られます。そこには母という存在、母が生みだす子供たち、さらには、その子供たちから生まれる子供たちというかたちで、わたしたちの未来が投影されているような気がしています。
大谷 母の決断が、未来への希望なのか、絶望なのかは、わからないですよね。
稲葉 選択をするおかあさんは、すごく強いと思います。演出的にクライマックスをどう見せるかということですけど、絶対的に折り合いのつかないところで、矛盾を抱えたまま、選択をしてしまったかたちで終わらせるのか、それとも、その先にある未来みたいなものを描くのか。わたしは白か黒かではなく、そのあわいを描いている気がしました。
 要は希望でもあり絶望でもあるんだけど、どちらであるかということよりも、こういう選択をせざるをえなかったこの時代を、いまのわたしたちはちがう目線で見ると思うんですよ。
──80年を経過した『母』を、現在の観客が見ることで、新たな意味が加えられていく。
増子 物語の後ろにある苦悩は、きっといろいろなことがあるんでしょうし、戦争とか、深刻な問題があるんでしょうけど、でも、なんか笑えたりもするし、おたがいのやりとりのずれの面白さもあるので、引きずり込まれるような重い芝居にはならないと思います。
オフィスコットーネプロデュース『母 MATKA』演出家・稲葉賀恵。
取材・文/野中広樹

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